毒親の毒をたっぷりもらっている

「毒親」という言い方がだいぶ前からされています。

元々は「毒になる親」スーザン・フォワード著から使われるようになったようです。(画像)

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毒親という言い方が持つ親への怨み憎しみはとても上手く表現されていて、子が親に向けて言う時にリアルに実感できて「早く決別しなきゃ」と思えます。

私はこの言葉は使いません。だとしたら毒親の子は親の毒をたっぷりもらっていて、その毒は私の身体の隅々まで回っていると思うと、何ともやり切れなくなるからです。

私は専ら機能不全家族=親の側、ACアダルトチルドレン=子の側、と使っています。

親を毒親と言うなら子は「毒の子」とでも言うことにしましょうか。

毒親に向き合いましょう。

自分の親は毒親であることを認識することがまず一歩。ここから毒親離れが始まります。

物理的に経済的に精神的に自立・自律することです。親と距離を置いて生活する。親を頼らない。これは最初の難関です。

親と子は確かに別人格です。ですが毒親と毒の子は共依存という強い絆で結ばれています。親は子の自立・自律を奪ってきました。親に依存するように育ててきましたから、そこから離れるのは大変です。

毒親の元に生まれて育ち、大人になった今まで、自分の親は毒を持っていたことに気付きませんでした。その毒が子である自分の中に流れていることも。

毒の子である自分は、自分の身体の毒を「解毒」することをしなければなりません。でないとその毒は自分の子に受け継がれるからです。家庭内連鎖、家族の輪廻を止めるには、自分の解毒が必要です。

ではどうしましょうか。
親からもらった毒を一つひとつ丁寧に調べます。認知の歪み、自立・自律できない、嫉妬、怒りの感情が過剰なこと、他者との距離が取れない、相手の下に入り対等な関係が作れない、自己肯定感が少ない、自尊心が根拠なく高い、愛し愛された体験がない、などなど。もらった毒は不要なもの余計なものばかりです。
これは全部捨てることになります。全部捨てると何も残らないのです。一度死んで生まれ変わるようなものです。生き直しです。
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ACの悲しさは「言語化できない」こと

分かって欲しい、構って欲しい、でも分かってもらえない、構ってもない。

ACの内側に渦巻く不全感、不安感は何をどう説明すればいいのか分からないほど混沌としています。何もかもが一緒くたになり、大きなひとつの塊になり、自分の中の奥底に沈んでいるのです。

感情が凍りつき、感覚も思考が止まる。自分の内面ので動きが止まった感じ。目と耳は動いているが、見えて聞こえてはいるが、言葉が出ない。

これはまるで幼児期のままの自分。幼児期そのものの自分。見えて聞こえてはいるが、言葉が出ない。感情、感覚、思考が芽生える前に、それを止めてしまった、止められてしまったのです。

幼児が言葉を発するまでに、自分の周りの世界を見ています。声を、たくさんの物音を聞いています。

あなたの幼児期を振り返ってみてください。

親の言葉かけ、語りかけ、話しかけを聞いて、模倣して言葉を獲得し、親の表情を見て気分、感情を聞いて、それを理解していきます。

この体験がACにはなかったのです。私自身を振り返っても確かにない。

これをきちんと獲得することです。

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まず自分の感情を掴む。今ここの自分の感情。喜怒哀楽。それらの混ざり合いを感じる。

それを丁寧に言葉にする。試しながら。直しながら。

言い換えながら。自分が納得できるまで。

他者に伝える。これは相手を選んで。きちんと受け止めてくれる相手に伝える。その相手がいなければ、やらない方がいい。

相手がいなければ、伝える相手話しかけ小さい頃のあなた自身へ。小さいあなたが微笑めばOK。

これを繰り返し繰り返しやってみる。

—————

ACにとって「言語化できない」は最大の難関ですが、避けて通れない課題。

じっくり自分と向き合ってください。いいことがあるかもしれません。

 

どうしたらいいのか分からない 〜 ACの恋愛とセックス ③ 〜

①自分の気分・感情に気づき
②それを言語化する
③そして他者に伝える能力を身につける
④その上で他者と向き合う
⑤他者を尊重する
⑥他者を愛する
⑦言語コミュニケーションを優先させる
などなど。
機能不全家族で育った頃に得られなかったもの─健全なら得られるはずだった全て─を獲得するには、時間と手間がかかります。

私の場合、カウンセリング終結後好きになった異性はできましたが、ここで自分の言語能力、コミュニケーション能力が試されました。

もっと難しいのは、幼児期の愛する愛される体験がないこと。これがその後の恋愛、セックス観を大きく歪めてしまっているのです。
このハンデはなかなか取り返しのつくものでもない。まして恋愛もセックスも相手がいること。壁は高い、険しいのです。

その点では私はとても近い距離になると対人恐怖があるようです。
パーソナルスペースという概念があります。自分と他者との距離がどれくらい近づけば快・不快に感じるか、というもの。(図)

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相手によってこれは変わります。好意を持つ相手には近くでもOK、嫌いな人は視界に入るだけでもNG。

愛する人ならお互いのパーソナルスペースに入る、ほぼ同軸上で重なるのですから、これは幼児期から「慣れて」おかないと難しい。まずは親との親密な愛着関係がないと、他者との距離を詰めるのも難しいようです。
初歩的な訓練から。他者を愛する前にまずは自分を愛すること。これ一つでもACには難しい。

ありのままの自分を受容し、無条件に愛する。

自分を愛することなどなかった。愛されることも。自分を否定して規制して、条件付きの愛で支配・操作されてきたAC。他者にも同じことを求めてしまう。これをやめることです。
親のために、愛されるためにと言いなりに生きてきた「癖」を捨てることです。

親のためでなく自分のために生きる。自分が幸せになるために生きる。
ここから始めましょう。

そしていつか、愛する人と愛のあるセックスができる日を目指しましょう。

が、最近ではセックスレスの夫婦が増えていると知って、私は呆然としています。他者との親密な関係を持つことが重く、不要になっているのでしょうか。

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どうしたらいいのか分からない 〜 ACの恋愛とセックス ② 〜

 

 

土地と家を処分して新しい場所に引っ越し、ブログで知り合ったカウンセラーと、メールカウンセリングが始まります。

ここで初めて、私は機能不全家族に生まれ育ったACであること、ACと共依存がセットであること、パーソナリティー障害が症状として表れることを知ります。

自分の認知(物の見かた、受け止め方)の歪み、自由な感情を抑え込んで生きて来たこと、言語コミニュケーションができない、非言語コミニュケーションで生きていること、親への恨み憎しみの感情が終わっていないこと、それは同じ大きさで親に愛されたい親を愛したい欲求があったこと、などなど←過去記事をご参照ください。

ACとは実に厄介な荷物を背負っていると、親からいらないものばかりもらったものだと思います。
親からもらったものを全部捨てて、親をきちんと恨み、その感情を終わらせることが必須だと知ります。
機能不全家族のメンバーは、仲良く暮らす、仲良くすることがありません。私は父母の仲睦まじい姿を一度も見たことがありません。だから男女が仲良くするとは実際どうするのかが分からない。模倣から学ぶ体験がないのです。

結婚しても言語コミニュケーションなしのセックスはするのですが、言語ありで仲良くはなれない。感情の交流ができない。
互いにACなのでスキンシップに嫌悪する。触り触られることに慣れてないのです。幼児期のスキンシップ、肌の触れ合い、ハグ、キスの体験がない。幸せな体験がない。殴られるなど暴力はある。

また元妻は「人前でベタべタするのは嫌い、手を繋ぐのも嫌い」でもセックスはするのです。性欲を満たすための愛のないセックス。

幼児期からの愛情体験がない。セックスの知識も得られない、教えてもらえない。それどころかセックスは恥ずかしいもの穢らわしいものと遠ざける。この環境で育ったのです。

結果、他者を好きになっても、相手を束縛、支配、操作しようとする。結婚したら自分の所有物と考える、自分の気分感情は相手も分かっていると考える、言語コミュニケーションをますます不要と考える、など思い違いは果てしなくなります。

束縛する愛、解放する愛。この違いは「タフラブという快刀」信田さよ子 著 をご参照ください。
相手をを気に入らないと無言になる、非言語コミュニケーションを繰り出し、最終的に破綻します。

多くの機能不全家族ではここに暴力が登場し、とても危険な事態になります。

健全なセックス観が得られなかった男女の末路です。

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どうしたらいいのか分からない 〜 ACの恋愛とセックス ① 〜

私自身の体験も織り交ぜながら、ACアダルトチルドレンの恋愛とセックスについて書いていきます。

機能不全家族に生まれ育ったので、人を愛する、が分かりません。

親から教えられていない。親自身が愛されて親を愛して育っていないので、親にも分からない。逆に親は愛=支配、所有を刷り込んでくるので、これで子は育ってしまう。

相手に好意を持つ、ぐらいまではできるのですが、それ以上が無理。支配したくなる、所有したくなる。

私は2度の結婚、離婚でようやく気づきました。人を愛するってどうすればいいの?

ACはコミュニケーションが下手。非言語コミュニケーションは人一倍上手いが、言語コミュニケーションはほとんどダメ。
事柄、出来事を話してコミュニケーションをとることはできるが、自分の感情、気分を言葉にして他者に伝えるのが下手。そもそも自身の感情が分からない。

さて、私の結婚生活も上に書いた通り、相手と言葉が通わない、心が通わない、二人でいるのに寂しい(と相手に言われた)日々でした。
ACが結婚相手に選ぶのは、自身の生育と似た匂いを感じて惹かれ合う。相手の不全感が短い会話で分かるので、共感しやすいのです。

互いの生育歴、親からの仕打ち──躾や教育の軽視または無視、ハラスメント、ネグレクト、暴力、無言のコミュニケーションやコミュニケーションそのものの拒否──は、互いを近づけ親密にさせます。すぐに同棲、結婚。

セックス観が未熟。これも教えられていないので、本当にどうしていいのか分からない。
私は今でも恥ずかしいのですが、行為そのものが愛情表現だと思い込んでいたので、ここでも言語コミュニケーションは全くなし、無言でした。

言語コミュニケーション能力が低い二人は、しばらくは楽しく暮らせますが、やがて子どもが生まれても育てるのが難しいのです。親から教えられていないので。

我が家では妻の育児拒否。神経過敏で母乳が出ず、従って子どもの夜泣きがひどく、親子心中まで行くところでした。ハイハイするようになっても「触られるのが嫌」と拒否、躾や教育も放置でした。

こんな家族ですから、月日と共に互いの気持ちは離れていきます。本来必要なコミュニケーションを取らなくなる。私もますます無口になります。やがて妻の不倫がきっかけで離婚。
それまで築いた土地も家も、生活空間の全てを処分しました。

(続く)

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セルフネグレクト~自分で自分を変えられない

TV番組でこの様子を映していました。私はこの言葉を初めて聞いて、すこし衝撃的でした。

自分自身の世話を放棄する、という意味ですから、ショッキングです。

番組では30代の男性を追います。週7日のアルバイトで仕事終わりにコンビニで弁当とペットボトル飲料を買い部屋で食べる暮らしを続け、部屋のゴミが溜まる。片付ける時間がない、そのうちに部屋の汚れを放置してしまう。それが何年も積み重なり、ゴミ部屋になる。

どんな心理状態で、こんなことになるのか。

私が想像するのは忙しさと疲れで日々がすぎてしまう風景です。そこには感情や思考が入り込む隙間もない。景色を眺めて季節の移り変わりを楽しむことも、たまには贅沢をして美味しいものを食べることもできない。潤いのない荒んだ風景です。

感情や思考を失くす=放棄すると、味気ない暮らしをするしかありません。恐らく経済的な理由で。必死で稼がないと暮らしていけない。アルバイトではいくら頑張っても、家賃、水光費、食費、ケータイ代を払うとそれでおしまい。預貯金など無理です。

最近よく言われる「自助」は充分にしているのではないでしょうか。自分の部屋がゴミで溢れるほど、懸命に働いているのですから。TVの彼もギャンブルやアルコールに溺れている様子はありません。至って真面目な感じです。

自分で自分を変えられないのは、それでも自分のせいでしょうか。

私にはどうも共助、公助が不足しているように見えます。しかも圧倒的に不足していると。どうもこの国は自助だけを要求し、共助、公助を放棄していると。

社会構造からくる貧困、という言葉があります。自分の力、努力ではどうにもならない社会の仕組み、構造。
人の精神状態は社会の状況に規定されることは間違いないようです。

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他人に向けてキレる人 2

 ここしばらくモヤモヤしていたのは、この体験を片付けられなかったのでした。
仕事で出会う人の中に私が最も苦手とする人種がいます。赤の他人に向けてキレる人です。
イベント本番中でもキレる、誰にでもキレる。自分の後輩に嘘ついたとキレるなどなど。
ACアダルトチルドレンの特徴がこれであり、パーソナリティ障害の特徴なのですが、当人はこれが普通だとばかりに他人を相手にキレるのです。
そんな人の幼児期を振り返ると。原家族での体験が繰り返されています。彼ら彼女らの親たちも同じようにキレていました。
家族、親戚に対してキレる、が日常的に行われていました。それを見て育ったので、「他人に向けてキレる」もやっていいことだったのです。
かつて私もそうでした。赤の他人をまるで自分の家族や親戚のように、相手との距離を詰めるのです。そして激昂する。感情的にまくし立てる、または押し黙るのです。私は後者のタイプ。で恨み憎しみを募らせる。
冷静に、言葉を使って相手に向かう、相手に言葉を届けることができないのです。一度感情的になると制御不能になる。自分をコントロールできなくなるのです。
私の生き辛さの大きな一つでした。カウンセリング終結後にはこれがコントロールできるようになりました。
自分の感情と向き合う、今どんな気分?どんな感じ?が分かる。それを言語化することができる。同様に相手の気分感情を受け止める、分かる。気分感情の相互交流ができるようになったのです。
キレる人はまずこの上記のトレーニングをしましょう。そして相手のどんな言葉に反応してキレるのかチェックして。
キレる自分への対処法は、自分の感情特に怒りを言語化できるように。私はあなたの〜な言動に怒りを感じます。務めて冷静に。
とても難しいですが、感情的な言葉は暴力でしかない。相手の身体に触れれば明らかに暴力ですから、心しておきましょう。
瞬間湯沸かし器のように感情が一気に爆破する自覚がある人は、危ないと思ったら一呼吸置く、深呼吸するなどの逃がしを。一度火がついたら制御不能な人はもっと深い個別の心理療法が必要でしょう。
他者とのコミュニケーションをとる上で、キレるという行動はあってはいけないことです。相手に問題があるのではなくキレる自分に問題がある。
(私の場所、自分が相手をキレさせる原因になっているのではないか、私の言葉の使い方、表現の仕方、表情などに問題があるのではないかと思うのですが。)
相手と会話して、気分感情が一切見えてこない人がいます。自分の感情に蓋をして相手と関わろうとする人。
会話は出来事、事柄の連続で、話をしていても何だかつまらない。感情が言葉にならない。言葉にしようとしないので、会話から生まれる共感がない。感情が共有できないのです。こちらが感情を言葉にして発しても受け止めてもらえない。これも過去の自分の姿です。

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生き直し

前回は親の納骨のことを書きました。
私がAC共依存から離れられたのは、当然ながら親の死があったからです。

存在がなくなる、親がいなくなる。それまで抱えていた全てが終わるのです。
強い愛着、執着、恨み、憎しみ、悲しみ、怒り、言葉にできなかった感情の全て。
親と自分を縛り付けていた共依存という怪物が消えてなくなります。

もちろんこれに狼狽え戸惑い、自分を失くします。親と私は一卵性だったのですから。
その喪失感も長くは続きません。自分の手で足で、自分の頭で生きていくことになります。

親への思い。言いたくて言えなかったこと、言って欲しくて言ってもらえなかったこと、してあげたくてできなかったこと、して欲しくてしてもらえなかったこと。できなかったことを諦め、手放す。これで区切りがつけられます。

今までのことを終わったこととして受け止め、受け入れる。終わったことを少し離れて、まるで風景画のように眺める。

親の死とは、AC共依存を手放すための儀式でもあります。
その後は自分の生き直しです。文字通りの生き直し。

親からもらった価値観、コミュニケーションパターン、認知の癖などなどは、ほとんどが役に立たないどころか邪魔なもの。全部捨てます。そうすると肝心の自分には何もありません。親に代わる師を探します。見つけるのは大変ですが、探します。その間にも他者の優れた点を真似る=学ぶ のです。

道は遠いですが、楽しんで生きることを覚えましょう。今まで楽しむなんて罪悪感でいっぱいでしたから。たっぷり楽しんで構いません。人生は楽しい。

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親の遺骨

親の遺骨を市営霊園の合葬墓に入れる手続きをしています。
親の謄本を結婚から死亡まで辿り、霊園が確認して納骨するのですが。この前時代的なシステム、明治時代に作られてそのまま使われているシステムは何とかならないかとは思いますが。
居住した地を4ヶ所辿り、熊本県の私が生まれた土地の役場に郵送申請して、謄本が届きました。
母親が姉を連れて父親と再婚したことは聞いていましたが、その姓を知ったのは初めて。
振り返れば親のことは何も知りませんでした。親は自分たちのルーツ、生い立ち、歴史生き方、人生哲学など一切子に話してはいなかったのです。機能不全家族あるある、です。
父親は癇癪持ち。コミュニケーションが取れない、今でいうパーソナリティ障害。どんな家庭で育ったのか想像がつきます。
姉を連れた母親と父が結婚します。当時の常識では初婚の男と子連れバツイチの女と結婚するのは珍しかったでしょう。
父方は癇癪持ちの息子に手を焼いていたのかもしれません。
この二人が結婚して私が生まれた。親が育ったように子も育った。面前DV、乖離、トラウマ、コミュニケーション障害、そしてパーソナリティ障害。
家族の輪廻、家庭内連鎖は見事に次の世代に受け継がれました。機能不全家族の歴史は脈々と続きます。
親は機能不全のまま死んでいきました。姉は強い共依存のまま。母の亡き後は他の依存相手を探して収まったのでしょう。
幸いにも私はカウンセラーと出会い、カウンセリング、心理療法でAC共依存を終わらせました。
機能不全家族がなくなることはないのでしよう。少なくなることもないでしょう。見ていると逆に増えているような気がします。社会全体が機能不全になっているのでしようか。とても気になります。

 

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「消えたい」 虐待された人の生き方から知る心の幸せ 高橋和巳 著

Twitterで相互フォローしている女性はカナダ在住のシングルマザー。

彼女の紹介ツイートで読んでみようと思いました。

精神科医が向き合うDV被害当事者。著者は彼ら彼女らを「異邦人」と呼ぶのです。同じ時代同じ時間を生きているのに違う。

私は精神科医の著書を読んだのは少なく、磯部潮、斎藤環氏ぐらい。カウンセラーの著書が圧倒的に多いです。
両者の違いは医師の場合は患者、カウンセラーの場合はクライアントと呼び方が違うのですが。同じテーマを扱うのでも向き合い方、見る方向が違うといえます。

精神科医は患者と対向して正面から患者に向き合う感じ。医師は患者を、患者は医師を見る。
カウンセラーはクライアントの隣に座って同じ視線でクライアントと同じ風景を見る感じ、といえばお分かりいただけるでしょうか。

著書を読む場合、どちらが自分に合うかはそれぞれです。

さて、精神科医はこの異邦人と出会います。いつも診る患者とは違います。最初は鬱と当たりをつけても、それはまるで底なしの闇のように。自覚の感覚、言葉の感覚も違う。

機能不全家族に生まれて育ったACアダルトチルドレンとの出会いです。
精神科医の世界では機能不全家族の言葉は馴染みになったようですが、ACアダルトチルドレンの呼称はないようです。〜障害と、パーソナリティ障害と呼ばれることになります。メディカル部門とそれ以外のコ・メディカル部門の違いです。

少しずつ読み進めていくと、著者のカウンセラーとしての力量+精神科医としての力量が見えてきて、しかもその両方を上手く使い患者を導いていく光景が見えてきます。

精神科医の患者への接し方、診断、薬の処方が適切に行われると、患者の症状は見事に回復します。本書を読むと分かります。著者はカウンセラーの養成をしいてるとあります。このような状況が作れているのは素晴らしいと思います。

こんな人がもっと増えて欲しいと思います。

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