自分を好きでいられているか

親の愛をもらえなかったAC
自分を誰かに好きになってもらう 愛してもらう 構ってもらう ができない連鎖が続きます
待っていても 求めても 親は自分を愛してはくれませんでした
正確に言うと「自分が望む愛し方をしてくれない」のです
親は親なりに子を愛していたのでしょうが それが伝わりませんでした
親自身も自分の親から満足な愛をもらっていないので 「愛する」が分からなかったのです
自己愛のないAC これも親譲りです
自分で自分を愛する ができないのです
愛するそのものの認知(ものの受け止め方 感じ方)が歪んでいるのです
子は親への愛情欲求の不足 不満に 長い間不安に育ちました
その癖が大人になってからも自分を苦しめます
機能不全家族の「愛する」は 感情が希薄です
それに反して支配とコントロールが過剰
普通ならば笑顔で「愛してる」とだけ言えばいいのに
眉間にしわを寄せて相手の世話を焼くのです
過剰な世話焼き 過干渉を 愛すると勘違いしています
これでは愛する幸せ 愛される喜びなど感じることもできません
ACはこうして育ち 大人になりました
ACは人を好きになる前に まず自分を好きになることから始めることが必要です
親からもらったこれらの認知を捨てて ただ好き という感情を育てます
今まで自分のことなんて大嫌いだったのに 好きにになることなんてできません
それは自分を条件付きで好き嫌いをしていたから
好きも嫌いもまるごとの自分を「好き」でいるのです
〜ができないから嫌い 〜だから嫌い はもうやめましょう

ACと仕事②

かつては人それぞれの特性に合った仕事の選択肢がいろいろあったのだと思います
ワタシの両親は自営の理容業
人を相手にする商売というよりは 職人気質の業種でした
癇癪持ちで無愛想で無口な父親には向いていたのかもしれません
職人としての腕は良かったようです
総合病院から手術用メスの研磨を受けていたようですから
それでも気に入らないと仕事を放り出して姿を消していましたが
母親はうわべの愛想はよく お世辞も上手く客あしらいをしていました
その分 裏では人の悪口 陰口をたたき ワタシはそれを痛い思いで聞いていました
二人ともどう見ても会社勤めはできない人たちでした
そんな人にはそれなりの それに向いた職種があったのです
一人でコツコツやるのが好きな人には それに向いた仕事
要領は悪いけどいい仕事をする人にはそれなりの
現代ではどうでしょう?
機械化に押されて 手仕事 職人仕事は減ってきているのではないでしょうか
それぞれの適性を活かした仕事を選び それに就くことができているでしょうか
仕事そのものへの興味と 周りの人間関係が上手く構築できるか
仕事をするということには この二つの側面があると思います
ACは仕事そのものは得意なのです 器用で技術的なレベルも高いのです
ところが人間関係の構築が苦手
仕事はできるのに人間関係が上手くいかないために その場を去ることも多いのです
この理由も 何度も出てくる感情の交流ができないこと
自分の感情を言語化して他者に伝える
他者の感情の言葉を理解して応える ができないこと
こうして社会からはじかれた人はフリーターやニート 果ては引きこもってしまうしかないのでしょう
原因は自分の側にありながらも 自分は被害者という意識を持っています
自分は悪くない 悪いのはあの人のせい 社会のせい と
この部分を少し分けて考える必要があります
自分は被害者 というのは親子の関係の中でのこと
親が加害者であり子は被害者
他人や社会のせい というのはまた別の問題 と切り分けることが必要でしょう
また ACであっても成人してしまえば一人前
いつまでも親のせい他人のせい 社会のせいと言っていても何も解決しません
誰もその代わりをしてはくれません
自分で自分を律していく 生かしていくことはしてもいいのです
それこそが生きる実感 生きる幸せでしょう
人は一人ひとり違います
その性格 適性 気質によって 自分がどんな仕事に向いているのか
自分で自分をよく知ることが大切です