かつては人それぞれの特性に合った仕事の選択肢がいろいろあったのだと思います
ワタシの両親は自営の理容業
人を相手にする商売というよりは 職人気質の業種でした
癇癪持ちで無愛想で無口な父親には向いていたのかもしれません
職人としての腕は良かったようです
総合病院から手術用メスの研磨を受けていたようですから
それでも気に入らないと仕事を放り出して姿を消していましたが
母親はうわべの愛想はよく お世辞も上手く客あしらいをしていました
その分 裏では人の悪口 陰口をたたき ワタシはそれを痛い思いで聞いていました
二人ともどう見ても会社勤めはできない人たちでした
そんな人にはそれなりの それに向いた職種があったのです
一人でコツコツやるのが好きな人には それに向いた仕事
要領は悪いけどいい仕事をする人にはそれなりの
現代ではどうでしょう?
機械化に押されて 手仕事 職人仕事は減ってきているのではないでしょうか
それぞれの適性を活かした仕事を選び それに就くことができているでしょうか
仕事そのものへの興味と 周りの人間関係が上手く構築できるか
仕事をするということには この二つの側面があると思います
ACは仕事そのものは得意なのです 器用で技術的なレベルも高いのです
ところが人間関係の構築が苦手
仕事はできるのに人間関係が上手くいかないために その場を去ることも多いのです
この理由も 何度も出てくる感情の交流ができないこと
自分の感情を言語化して他者に伝える
他者の感情の言葉を理解して応える ができないこと
こうして社会からはじかれた人はフリーターやニート 果ては引きこもってしまうしかないのでしょう
原因は自分の側にありながらも 自分は被害者という意識を持っています
自分は悪くない 悪いのはあの人のせい 社会のせい と
この部分を少し分けて考える必要があります
自分は被害者 というのは親子の関係の中でのこと
親が加害者であり子は被害者
他人や社会のせい というのはまた別の問題 と切り分けることが必要でしょう
また ACであっても成人してしまえば一人前
いつまでも親のせい他人のせい 社会のせいと言っていても何も解決しません
誰もその代わりをしてはくれません
自分で自分を律していく 生かしていくことはしてもいいのです
それこそが生きる実感 生きる幸せでしょう
人は一人ひとり違います
その性格 適性 気質によって 自分がどんな仕事に向いているのか
自分で自分をよく知ることが大切です