無意識を意識する

無意識を意識する とても大切
カウンセラーから言われた台詞でした
でも当時は何だか禅問答のようで 意味が分かりませんでした
実はACは無意識の言動がとても多いのです
幼児期のトラウマ 親からの支配とコントロール 
ほとんど思考停止の状態でした
求めても与えてはもらえない親からの愛
それを求めて それを得るためだけに時間を費やして来ました
感情 思考 意思の表現を抑え込んで来ました
結果 自分の人生でありながらそれは親に奪われ
自分ではっきりと自我の意識を持つことができませんでした
ほとんど無意識のまま生きて来たのです
もらったのは親の思考と言動の癖
この癖を真似て生きるしかなかったのです
こんなもので自分を守るしか方法がなかったのです
この癖を捨てます
自己否定 自己犠牲 保身 虚栄心 
演技 過剰な自己愛 逃避  
被害妄想 他者への恨み 憎しみ 
破壊 遮断 孤立
無意識の言動を 丁寧にチェックすることが必要です
言葉遣い 表情 仕草 溜め息や舌打ちなど 親からもらった非言語のメッセージをやめます
すべてを言語メッセージに置き換えます
無意識を意識する
とても大変な作業です
今まで自分を守って来たものの正体を知ることです
この武器を捨てることを意味します これは恐怖です
でも武器は捨てなければいけません
武器を持ったままでは 他者との友好は築けません

理詰めで 最後まで突き詰める

親の支配とコントロールの下で育ったAC
自分の頭で最後まで理詰めで考えることが苦手です
自分のことなのに 何処か他人事のようなのです
自分自身のことなのに リアリティを持って自分の中に受け止められないのです
自分の人生は自分だけのもの 自分で決めて自分で生きるもの という感覚が持てないのです
自分の頭で考えようとしても 親が介入して その思考も感情も意思も 奪い取ってしまっていたのです
それが何度も続き やがて親の言うままになってしまったのです
ま いいかぁ と いつの間にか諦めてしまうのです
前回お話した思考停止に陥ってしまうのですが
それはそれで楽なことです 親が決めてくれて 自分はそのレールの上を走ればいいだけですから
何かあれば その責任は親が取ってくれます 自分は親に文句を言えばいいのです
この癖がついているので 人生において何事も途中で諦めてしまいます
ACはアイデアも発想も悪くはないので 時としてとてもユニークなものを出して来ます
ただ それを持続してやっていく 誤ったら修正する 周りの他者の意見やアドバイスを受け入れて変えていく
最後まで突き詰める これが足りないために失敗するのです
他者と関わるコミュニケーション能力とは別の 自分の内側の課題でしょう
ここでいう突き詰める とは 自分を追い詰めることでも 問い詰めることでもありません
自分と敵対してはいけません 自分の味方はいつでも自分です
もう一人の自分としっかり対話して 段階を踏んでいくのです
二度とない自分の人生です
諦めてしまうにはもったいないと思います
この嗜癖を捨てましょう
もう一度 自分の頭で 感じる 考える 決める をやり直しましょう
人生は自分の生きたいように生きられるのです

思考停止

あるイベントでの出来事
雨が降るという予報を気にしながら進行していましたが
とうとう降って来ました
子どもたちの吹奏楽も大慌てで楽器を片付け避難
そこへ父兄と思われる男性が本部席に怒鳴り込んで来ました
「子どもたちも楽器も濡れてるじゃないか!雨が降ると分かってて何でやるんだ!」激昂しています
濡れた楽器の修理代は父兄の負担になる とも
主催者はもちろん気象情報を睨みイベントを進めています
学校も自分たちの判断で参加を決めています 天気が心配だから参加を見合わせる という判断もありなのです
この男性に欠けているのがこの 自分の判断 という部分
自分で判断し行動することを放棄しているのです
無意識で思考停止してしまっているのです そのせいでストレスが溜まり キレるのです
これは一例ですが ACにはこの傾向が多く見られます
他者の言いなりになる という場面は 実際には多くあるようです
親と子 教師と生徒 上司と部下 上下関係のあるところです
こんな場面では 立場が下の人が思考停止になるようです
自分で決められないというストレスが どんなに深刻かが分かります
ACには「自分のことは自分で決める」「自分の人生は自分で引き受ける」という自覚 姿勢が希薄です
親に自分の人生を奪われていましたから 自分のことなのにどこか他人事
思考停止しているのです 無意識に
この癖を終わらせ 自分の人生を自分の手に取り戻すことができれば 本当の自立 自律ができます
今ここ にいる自分 他の誰でもない この世にたった一人の かけがえのない自分 を感じましょう
自分の頭で感じー 考えー 決めてー 行動する この一連の癖をつけましょう
自分の人生を自分で引き受ける とは そういうこと
失敗したり想定外のことが起こっても 他人のせいにしないことです

「元気であること」より「幸せである」ことを

元気? と問いかけられて 元気!と応えます が
改めて思い直すと 何だか違うようです
小さい頃からこの言葉に縛られて
いつも元気でいなければ と頑張ってしまっていたのです
それはACにとっては強迫的とも言えるほどでした
例えば「愛する」を「一生懸命」と言い換えて惑わされたように
「幸せ」を「元気」と言い換えていたようなのです
分からない言葉は 他の言葉に言い換えて学ぶのです
言葉が違う ということは 意味が違うのですが
勝手に言い換えるのです
健全な育ちであれば まず幸せ感を持つことができていて その上での元気 なのですが
機能不全なACは 幸せ感のないまま元気でいようと頑張ってしまったのです
幸せ感が持てない分 水を求めるように無理をしてしまったのです
ですから幸せと元気はそれぞれ別のもの
それほど元気でなくてもいいのです 幸せであれば
「今 ここにいる」自分が幸せかどうか
考えるのではなく 感じることが大切です
「感じる」と「考える」も それぞれ別のもの
自分の内側から湧き上がる感情を ただただ感じる
そしてそれを そのままの大きさで言葉にする
ACにはこれができません
考えてしまうのです そして言葉にできないためにキレて爆発する
この不幸な繰り返しをやめることです
そのためには 感じること
幸せを感じる など ACにはとてもできません 感じたことなどなかったのですから
でもそれは今までのこと 過去のことです
過去は変えられませんが 今は変えられます それに続く未来も 変えられます
自分の傷を自分で癒やし まずは小さな幸せから 感じましょう

母親をどう手放すか

母親への愛着を手放す
ACにとって最大の難関です
ずっと長い間 母親の愛が欲しくて でも愛が貰えなくて
母親に「愛してるよ」と言って欲しくて
でも言って貰えないままだったのです
自分も母親に言いたいことがたくさんありました
それも我慢して抑え込んで生きて来たのです
それが満たされないまま 終わらないまま このまま手放す訳にはいかないのです
ではどうするか
何とかして自分の言葉で 今までの思いを母親に伝えなくては
本当の自分の気持ちを 抑え込んでしまっていた終わらない愛着を 言葉にするのです
ああしろこうしろという支配とコントロールではなく
「大好きだよ」「愛してるよ」と言いたいし 同じ言葉を母親の口から聞きたいのだ と
あれこれ先回りのお節介や介入ではなく 暖かく見守って欲しかった
ただ 悲しいことに 母親自身が 暖かい言葉を受けて育った体験がないので 要求すること自体が無理なのです
でも これを言わないと 子どもは自分の内側での決着が着かないのです
インナーチャイルドを癒すことができないのです 幸せ感を持つことができないのです
愛を求めても 与えてはくれない母親
言葉にして伝えるのです 理解してはもらえないでしょうけど
そして 自分の中の子どもに語りかけるのです
もう心配しなくていい と もう寂しくないよ と
今までその袖に 気づかないうちにしがみついていたその手を そっと離すのです
手放す とはそういうこと
見放すことでも見捨てることでもありません 自分の手を離すのです
手放すことで ようやく自分の足で立つことができます
やっと自分の人生を 自分で生きることができます

母親とどう向き合うか

ACからの解放を目指す時 目の前の親とどう向き合うか とても重要です
この場合の親とは 主に母親です 父親は残念ながら子どもとの距離が離れているので あまり問題にはなりません
それでも父親が暴力を振るったりアルコールやギャンブルなどに依存している場合は影響力が大きいのですが
やはり子どもを支配しコントロールしているのは母親という場合が多いようです
母親の支配とコントロールには 暴力はあまり見られませんが 真綿で首を絞めるように 気づかないうちに子どもを取り込んでしまいます
幼児期から ずっと長い間 母親の愛が欲しくて貰えなかったACには 母親への強い愛着があります
でも当の母親は 子どもには愛着がありません 母親もまた自分の内側にACの悩みを抱えているからです
愛するということが分からず 支配とコントロールで子どもを育てて来たのです
母親は 自分が育った時と同じように 子どもを自分の所有物として扱います
自分とは別の 一つの人格を持った一人の人間として見ることができません
ここが子どもにとって一番不可解な部分かもしれません
自分にとって最愛の母親が 自分を一番苦しめるのです 何故?
答えが見つからないまま 時間だけが過ぎます
一番好きなはずなのに 一番嫌いな存在
そんな母親とどう向き合うか です
一番いいのは 離れて眺める こと
近くにいてはいけません すぐに子どもは取り込まれてしまうからです
親から離れて できるだけその支配から逃れることです
これは親子双方に言えることです お互いに離れる 干渉し合わない それぞれの人生を認める
親とは子は 二人で一つ ではないのですから
このことを親子で話し合える時間があれば どんなにいいことかと思うのです
親は変わることがなかなか難しいので (長い間ACの嗜癖で生きて来ましたから)
子どもの側が変わる方がスムーズなようです
子が親を変えようとしても無理です
過去と他人は変えられない のです
外側からの力では 人は変わりません
自分の内側の「変わりたい」という欲求で 初めて変わることができます

主人公

ACが外の世界と関わる時 周りの人が気になります
普通の人以上に「とても」気になります
自分は周りの人に あの人に この人に どう見られているのだろう どう思われているのだろう
嫌われているんじゃないか 失敗したり変なことを言ったら笑われるんじゃないか バカにされるんじゃないか
自分の言動をいつも誰かにチェックされているんじゃないか
自分の噂や悪口で話題になっているんじゃなかいか
これが過剰になると 自己嫌悪や対人恐怖の元になります
自己顕示欲は普通以上にあるのです このギャップに苦しむことになります
自分を普通に理解してもらいたいのですが どう言葉にしていいのか分かりません
言葉にする方法も それを使って相手とコミュニケーション取る方法も分からないのです
人は誰も 自分の人生をひたむきに生きています
赤の他人の人生にまで介入する暇はありません
それぞれが 自分が主人公です それ以外の人のことは 話題にしても一瞬でしょう
周りの目を 声を過剰に気にすることなどないのです
ところが ACには この「自分の人生では自分が主人公」の認識がないのです
自分はいつも脇役でした 主人公は親
自分の人生の時間を 親に介入され 奪われていたのですから
親からの評価のために生きていたのですから
この癖のまま外の世界と関わると 他人に評価されるために生きてしまうのです
この癖を すぐにでもやめることです
やめるのはとても難しく思えますが 意外に簡単です
無意識の中で親に捕まり続けていたあなたのその手を すっと離してしまうのです
親へのしがみつきをやめるのです
自分は一人で立てるのだ 一人で歩けるのだと 自分を信じることです

愛したい 愛されたい

ACにとって この「愛したい 愛されたい」は未知の世界
愛が何か そもそも分からないのですから
〜したい 〜されたい という「欲求」は人一倍強く持っているのです
愛 そのものが分からないのです 愛という「感情」 が分からないのです
ですからACにとって愛したい 愛されたいは「かまって欲しい」「世話を焼いて欲しい」という意味です
そして所有欲 あなたは私のもの 私はあなたのもの
ですから向かう方向もそれなりです お互いを束縛し 支配し 干渉し合うのです
自他の境界がないので 相手の領域を侵します 相手との距離が取れずにくっつきます
この調子で恋愛そして結婚に向かうのですから 破綻するのは目に見えています
御多分に洩れず ワタシも愛が分かりませんでした
カウンセラーはこう言いました
彼女曰く 愛とは 「あなたがいる 私がいる 私はあなたが好き」
驚きました こんなにシンプル
好き という感情だけで 余分な欲求はありませんから
自他の境界がはっきりしていますから お互いの自立・自律を認め合います
束縛も支配も干渉もありませんから 互いを解放します
ACに最も大切なのは この「感情と欲求を分ける」ことです
〜がしたい 〜して欲しい 〜と渦巻く欲求の 一番奥底にある感情に気づくことです
愛したい 愛されたい の前に 愛を感じる ただただ好き という感情を感じる
この感情 親からもらえなかったので とても理解しにくいのですが
例えば誰かを好きになった時に 「好きです」が素直に笑顔で言える とか
誰かに「好きです」と言われた時に その言葉を その気持ちをきちんと受け止める など
 
欲求にブレーキをかけるのではなく じっくりと自分の感情と向き合う 相手の感情と向き合う のです
じっくりと感じた後で 欲求を言葉にしてみます
例えば
「大好き」「だからずっと一緒にいたい」
相手の言葉を待ちます 相手の言葉を待つのが苦手なのもACでした それはNG
自分の感情も欲求も尊重する それと同様に相手の感情を欲求も尊重します
言葉は相互通行 一方通行ではありません 感情を大切にするから言葉も大切に
少しずつ 少しずつ やってみて確かめましょう
見返りを求めないで

プライド らしきもの

ACのプライドの高さ かなりのものだと思います
おバカではないので むしろ頭が良く成績優秀で
そのことで他者を見下すようなところがあります
そして頑固 他人の意見を聞かない 人の言うことを聞かない
自分の思い込みで物事を判断し行動しようとする
人と比べて 人より優れていることが そんなに重要なのでしょうか
人から学ぶ 人を真似る ができないのはどうしてでしょうか
確かにACはプライドが高く それが傷つくことを極端に怖れているようです
では プライドとはどういうものなのでしょうか
誇り 自尊心 と言い換えればいいのでしょうか
だとしたらそれは元々他者と比べたりするものではなく
自分の中にしっかりと存在して 自分を支えるだけの役割
他者に傷つけられ 凹んでいるようなものは プライドとは言わず
見栄や虚栄心と言われるものではないかと思うのです
そしてどうやらACのプライドらしきものとは コンプレックスの裏返しのようなのです
コンプレックス・劣等感が過剰に強いために その分をプライドで埋めている
本来ならこんなプライドもコンプレックスも 両方とも捨ててしまえばいいのですが
これも原家族から学んだことで 簡単には捨てられません
ACは小さい頃から 他者との中で生きるのに
ある種の優越感がないと不安や恐怖が強かったのではないかと思います
人より上にいる 人より優れていることが必要で
対等な立場 同じレベルでは満足できない それほど劣等感が強かった と
対人関係を「相手より上か下か」「相手に勝ったか負けたか」という基準で見ている
そんな認知の歪みがあるように見えます
これがACの生き辛さ
こんなプライドなら 捨ててしまう方が楽ですね
自分を弱い人間だと認め 受け入れることが 
あなたを強くする一番の方法なのです

もっと笑おう

すべての感情を抑え込んできたAC
感じること=罪悪 とでもいうように
親の支配のままに コントロールのままに生きてきました
感情を言葉にできない 言葉にしないことで 他者とのコミュニケーションは滞り
不全感は一層募りました
ACは笑うことも下手です
生きている上で 基本的な幸せ感がほとんどないので 笑えないのです
自分はこの世に生まれて こうして生きて 幸せだ と感じることがありません
では何が不満?と問われても 自分の内側を言葉にできないので それは漠然としています
他愛ない話にも共感も同調もできず 周りからはちょっと変わった人 に映ります
嬉しい 楽しい 面白い 幸せ という感覚が持てないのです
不幸の感覚はたくさん持っています
幸せ感を得るためには ではどうしたらいいのでしょうか
度々登場するインナーチャイルドを癒す必要があります
インナーチャイルド=内なる子ども
自分の中にいる小さい頃の自分 とでも言えばいいでしょうか
幼児期のトラウマで 笑顔はありません 悲しみと恐怖に怯えています
そんな子どものあなたを あなた自身が癒すのです
子どものままでいたい 〜インナーチャイルドの癒し〜
http://accodependcy.makusta.jp/e232835.html

心の底から 何の屈託もなく笑えるには 時間がかかるでしょう
でも諦めないで続けることです