ACの結婚

類は友を呼ぶ といいます
短い会話でお互いの不幸を一瞬にして嗅ぎ取ったACどうし
すぐに惹かれ合い恋に落ちるのですが
愛する という感情が分からないままです
欲求を貪り合う とでもいうように お互いを求め合います
今までの不足感を取り戻すかのように
愛する のではなく 求める のです この違いは大きいのです
勢いで結婚するという言い方がありますが ACどうしもまさにその例
ただ 一緒に生活を始めても あまり充実したものにはなりません
喜怒哀楽の感情を言葉にすることができないので 気分や感情の交流がありません
やり取りはことがらや出来事の情報交換だけ
恋愛の時と同じように 相手を束縛 支配しようとします
新婚時代はそれも快感ですが 時間が経つとお互いのわがままが出て来ます
ACに欠けている「ありがとう ごめんなさいが言えない」はここでも登場します
相手を認める 赦す 受け入れる ができないので お互いの不満は少しずつ募ります
罪を憎んで人を憎まず と言いますが それもできません 
坊主憎けりゃ 袈裟まで・・・の世界です
気持ちのすれ違い 行き違い 誤解 
お互いの関係の修復 和解ができません
ちょっとしたきっかけで喧嘩 そして離婚
ACの行動や認知のお手本は親です
親からもらったものを 自分の結婚生活でも繰り広げます
私は親のようにはならない と反面教師 という言葉を使っても いつの間にか同じことをしてしまいます
自分の親を見てみましょう 夫婦の関係は健全でしょうか
あなた自身を眺めてみましょう あなたの夫婦は大丈夫ですか?

ACの恋愛

親からの愛情をもらえずに大人になったAC
自分自身の恋愛にも大きな影響を与えます
なかなか大変なのですが それでも相手は見つかります
同類 です
ACどうし 機能不全家族に生まれ 育った人どうしは 少ない言葉のやり取りで共感できます
「ウチの親はアルコール中毒(依存)でさぁ・・・」
「私の母親は過保護で過干渉で・・・」
この言葉でお互いが共感できます
同じ不満 不全感を持って生きていることが理解できるのです
「自分もそうなんだよ」「私と同じ」
二人の距離はすぐに縮まります
自分にとって最重要のことを理解し共感してくれる人に出会えたのです
それぞれの個性や指向ではなく 生育歴で一致 共感できるのです
ここからACの恋愛が始まります
親からの「愛しているよ 大好きよ」の言葉をもらっていないので 愛することが分かりません 
愛される喜び 安心感を持ったことがありません
愛することを教えられずに育ったので 愛し方が分かりません
代わりに他の方法でそれを表現しようとします 
欲求です
愛情という感情は自覚できませんし表現できませんが 欲求なら自覚できます
ACにとって愛する とは 支配 束縛 同一化 そんな言葉と置き換わるようです
愛してる と言葉で言えないので その代わりの言葉を探します
好きだから〜したい 愛してるから〜して と欲求の言葉が並びます
自分の欲求を満たそうと 相手を振り回します
相手に尽くす 貢ぐ 世話を焼く 過剰に干渉する
相手と一つになろうと 相手との境界を乗り越えます 自他の境界がなくなるのです
愛しているからあなたは自分のもの という 親からもらった認知がそうさせます
私がいて あなたがいる 私はあなたが好き
健全な人の認知は 相手との境界があって 相手を認め尊重します
相手の存在 感情 意思を認め そのままを愛します
ACには このシンプルな感覚 感情が体験できていないのです
余分な感情 欲求が付いて来ます 
上手くいっているうちはいいのですが ちょっとしたことで行き違いが生じると 歯車が狂い始めます
相手が自分の欲求を満たしてくれないとなると怒る 泣いてすがり付く あるいは嫉妬する
最後は恨み 憎しみの感情だけが残ります
相手との関係を遮断して その恋愛は終わります
そして次の相手を捜すのです
破局の原因を相手のせいにしているので 自分の側に反省がありません
答えはすべて 自分の中に
この言葉をかみしめる必要がありそうです

無意識を意識する

無意識を意識する とても大切
カウンセラーから言われた台詞でした
でも当時は何だか禅問答のようで 意味が分かりませんでした
実はACは無意識の言動がとても多いのです
幼児期のトラウマ 親からの支配とコントロール 
ほとんど思考停止の状態でした
求めても与えてはもらえない親からの愛
それを求めて それを得るためだけに時間を費やして来ました
感情 思考 意思の表現を抑え込んで来ました
結果 自分の人生でありながらそれは親に奪われ
自分ではっきりと自我の意識を持つことができませんでした
ほとんど無意識のまま生きて来たのです
もらったのは親の思考と言動の癖
この癖を真似て生きるしかなかったのです
こんなもので自分を守るしか方法がなかったのです
この癖を捨てます
自己否定 自己犠牲 保身 虚栄心 
演技 過剰な自己愛 逃避  
被害妄想 他者への恨み 憎しみ 
破壊 遮断 孤立
無意識の言動を 丁寧にチェックすることが必要です
言葉遣い 表情 仕草 溜め息や舌打ちなど 親からもらった非言語のメッセージをやめます
すべてを言語メッセージに置き換えます
無意識を意識する
とても大変な作業です
今まで自分を守って来たものの正体を知ることです
この武器を捨てることを意味します これは恐怖です
でも武器は捨てなければいけません
武器を持ったままでは 他者との友好は築けません

理詰めで 最後まで突き詰める

親の支配とコントロールの下で育ったAC
自分の頭で最後まで理詰めで考えることが苦手です
自分のことなのに 何処か他人事のようなのです
自分自身のことなのに リアリティを持って自分の中に受け止められないのです
自分の人生は自分だけのもの 自分で決めて自分で生きるもの という感覚が持てないのです
自分の頭で考えようとしても 親が介入して その思考も感情も意思も 奪い取ってしまっていたのです
それが何度も続き やがて親の言うままになってしまったのです
ま いいかぁ と いつの間にか諦めてしまうのです
前回お話した思考停止に陥ってしまうのですが
それはそれで楽なことです 親が決めてくれて 自分はそのレールの上を走ればいいだけですから
何かあれば その責任は親が取ってくれます 自分は親に文句を言えばいいのです
この癖がついているので 人生において何事も途中で諦めてしまいます
ACはアイデアも発想も悪くはないので 時としてとてもユニークなものを出して来ます
ただ それを持続してやっていく 誤ったら修正する 周りの他者の意見やアドバイスを受け入れて変えていく
最後まで突き詰める これが足りないために失敗するのです
他者と関わるコミュニケーション能力とは別の 自分の内側の課題でしょう
ここでいう突き詰める とは 自分を追い詰めることでも 問い詰めることでもありません
自分と敵対してはいけません 自分の味方はいつでも自分です
もう一人の自分としっかり対話して 段階を踏んでいくのです
二度とない自分の人生です
諦めてしまうにはもったいないと思います
この嗜癖を捨てましょう
もう一度 自分の頭で 感じる 考える 決める をやり直しましょう
人生は自分の生きたいように生きられるのです

思考停止

あるイベントでの出来事
雨が降るという予報を気にしながら進行していましたが
とうとう降って来ました
子どもたちの吹奏楽も大慌てで楽器を片付け避難
そこへ父兄と思われる男性が本部席に怒鳴り込んで来ました
「子どもたちも楽器も濡れてるじゃないか!雨が降ると分かってて何でやるんだ!」激昂しています
濡れた楽器の修理代は父兄の負担になる とも
主催者はもちろん気象情報を睨みイベントを進めています
学校も自分たちの判断で参加を決めています 天気が心配だから参加を見合わせる という判断もありなのです
この男性に欠けているのがこの 自分の判断 という部分
自分で判断し行動することを放棄しているのです
無意識で思考停止してしまっているのです そのせいでストレスが溜まり キレるのです
これは一例ですが ACにはこの傾向が多く見られます
他者の言いなりになる という場面は 実際には多くあるようです
親と子 教師と生徒 上司と部下 上下関係のあるところです
こんな場面では 立場が下の人が思考停止になるようです
自分で決められないというストレスが どんなに深刻かが分かります
ACには「自分のことは自分で決める」「自分の人生は自分で引き受ける」という自覚 姿勢が希薄です
親に自分の人生を奪われていましたから 自分のことなのにどこか他人事
思考停止しているのです 無意識に
この癖を終わらせ 自分の人生を自分の手に取り戻すことができれば 本当の自立 自律ができます
今ここ にいる自分 他の誰でもない この世にたった一人の かけがえのない自分 を感じましょう
自分の頭で感じー 考えー 決めてー 行動する この一連の癖をつけましょう
自分の人生を自分で引き受ける とは そういうこと
失敗したり想定外のことが起こっても 他人のせいにしないことです

「元気であること」より「幸せである」ことを

元気? と問いかけられて 元気!と応えます が
改めて思い直すと 何だか違うようです
小さい頃からこの言葉に縛られて
いつも元気でいなければ と頑張ってしまっていたのです
それはACにとっては強迫的とも言えるほどでした
例えば「愛する」を「一生懸命」と言い換えて惑わされたように
「幸せ」を「元気」と言い換えていたようなのです
分からない言葉は 他の言葉に言い換えて学ぶのです
言葉が違う ということは 意味が違うのですが
勝手に言い換えるのです
健全な育ちであれば まず幸せ感を持つことができていて その上での元気 なのですが
機能不全なACは 幸せ感のないまま元気でいようと頑張ってしまったのです
幸せ感が持てない分 水を求めるように無理をしてしまったのです
ですから幸せと元気はそれぞれ別のもの
それほど元気でなくてもいいのです 幸せであれば
「今 ここにいる」自分が幸せかどうか
考えるのではなく 感じることが大切です
「感じる」と「考える」も それぞれ別のもの
自分の内側から湧き上がる感情を ただただ感じる
そしてそれを そのままの大きさで言葉にする
ACにはこれができません
考えてしまうのです そして言葉にできないためにキレて爆発する
この不幸な繰り返しをやめることです
そのためには 感じること
幸せを感じる など ACにはとてもできません 感じたことなどなかったのですから
でもそれは今までのこと 過去のことです
過去は変えられませんが 今は変えられます それに続く未来も 変えられます
自分の傷を自分で癒やし まずは小さな幸せから 感じましょう

母親をどう手放すか

母親への愛着を手放す
ACにとって最大の難関です
ずっと長い間 母親の愛が欲しくて でも愛が貰えなくて
母親に「愛してるよ」と言って欲しくて
でも言って貰えないままだったのです
自分も母親に言いたいことがたくさんありました
それも我慢して抑え込んで生きて来たのです
それが満たされないまま 終わらないまま このまま手放す訳にはいかないのです
ではどうするか
何とかして自分の言葉で 今までの思いを母親に伝えなくては
本当の自分の気持ちを 抑え込んでしまっていた終わらない愛着を 言葉にするのです
ああしろこうしろという支配とコントロールではなく
「大好きだよ」「愛してるよ」と言いたいし 同じ言葉を母親の口から聞きたいのだ と
あれこれ先回りのお節介や介入ではなく 暖かく見守って欲しかった
ただ 悲しいことに 母親自身が 暖かい言葉を受けて育った体験がないので 要求すること自体が無理なのです
でも これを言わないと 子どもは自分の内側での決着が着かないのです
インナーチャイルドを癒すことができないのです 幸せ感を持つことができないのです
愛を求めても 与えてはくれない母親
言葉にして伝えるのです 理解してはもらえないでしょうけど
そして 自分の中の子どもに語りかけるのです
もう心配しなくていい と もう寂しくないよ と
今までその袖に 気づかないうちにしがみついていたその手を そっと離すのです
手放す とはそういうこと
見放すことでも見捨てることでもありません 自分の手を離すのです
手放すことで ようやく自分の足で立つことができます
やっと自分の人生を 自分で生きることができます

母親とどう向き合うか

ACからの解放を目指す時 目の前の親とどう向き合うか とても重要です
この場合の親とは 主に母親です 父親は残念ながら子どもとの距離が離れているので あまり問題にはなりません
それでも父親が暴力を振るったりアルコールやギャンブルなどに依存している場合は影響力が大きいのですが
やはり子どもを支配しコントロールしているのは母親という場合が多いようです
母親の支配とコントロールには 暴力はあまり見られませんが 真綿で首を絞めるように 気づかないうちに子どもを取り込んでしまいます
幼児期から ずっと長い間 母親の愛が欲しくて貰えなかったACには 母親への強い愛着があります
でも当の母親は 子どもには愛着がありません 母親もまた自分の内側にACの悩みを抱えているからです
愛するということが分からず 支配とコントロールで子どもを育てて来たのです
母親は 自分が育った時と同じように 子どもを自分の所有物として扱います
自分とは別の 一つの人格を持った一人の人間として見ることができません
ここが子どもにとって一番不可解な部分かもしれません
自分にとって最愛の母親が 自分を一番苦しめるのです 何故?
答えが見つからないまま 時間だけが過ぎます
一番好きなはずなのに 一番嫌いな存在
そんな母親とどう向き合うか です
一番いいのは 離れて眺める こと
近くにいてはいけません すぐに子どもは取り込まれてしまうからです
親から離れて できるだけその支配から逃れることです
これは親子双方に言えることです お互いに離れる 干渉し合わない それぞれの人生を認める
親とは子は 二人で一つ ではないのですから
このことを親子で話し合える時間があれば どんなにいいことかと思うのです
親は変わることがなかなか難しいので (長い間ACの嗜癖で生きて来ましたから)
子どもの側が変わる方がスムーズなようです
子が親を変えようとしても無理です
過去と他人は変えられない のです
外側からの力では 人は変わりません
自分の内側の「変わりたい」という欲求で 初めて変わることができます

主人公

ACが外の世界と関わる時 周りの人が気になります
普通の人以上に「とても」気になります
自分は周りの人に あの人に この人に どう見られているのだろう どう思われているのだろう
嫌われているんじゃないか 失敗したり変なことを言ったら笑われるんじゃないか バカにされるんじゃないか
自分の言動をいつも誰かにチェックされているんじゃないか
自分の噂や悪口で話題になっているんじゃなかいか
これが過剰になると 自己嫌悪や対人恐怖の元になります
自己顕示欲は普通以上にあるのです このギャップに苦しむことになります
自分を普通に理解してもらいたいのですが どう言葉にしていいのか分かりません
言葉にする方法も それを使って相手とコミュニケーション取る方法も分からないのです
人は誰も 自分の人生をひたむきに生きています
赤の他人の人生にまで介入する暇はありません
それぞれが 自分が主人公です それ以外の人のことは 話題にしても一瞬でしょう
周りの目を 声を過剰に気にすることなどないのです
ところが ACには この「自分の人生では自分が主人公」の認識がないのです
自分はいつも脇役でした 主人公は親
自分の人生の時間を 親に介入され 奪われていたのですから
親からの評価のために生きていたのですから
この癖のまま外の世界と関わると 他人に評価されるために生きてしまうのです
この癖を すぐにでもやめることです
やめるのはとても難しく思えますが 意外に簡単です
無意識の中で親に捕まり続けていたあなたのその手を すっと離してしまうのです
親へのしがみつきをやめるのです
自分は一人で立てるのだ 一人で歩けるのだと 自分を信じることです

愛したい 愛されたい

ACにとって この「愛したい 愛されたい」は未知の世界
愛が何か そもそも分からないのですから
〜したい 〜されたい という「欲求」は人一倍強く持っているのです
愛 そのものが分からないのです 愛という「感情」 が分からないのです
ですからACにとって愛したい 愛されたいは「かまって欲しい」「世話を焼いて欲しい」という意味です
そして所有欲 あなたは私のもの 私はあなたのもの
ですから向かう方向もそれなりです お互いを束縛し 支配し 干渉し合うのです
自他の境界がないので 相手の領域を侵します 相手との距離が取れずにくっつきます
この調子で恋愛そして結婚に向かうのですから 破綻するのは目に見えています
御多分に洩れず ワタシも愛が分かりませんでした
カウンセラーはこう言いました
彼女曰く 愛とは 「あなたがいる 私がいる 私はあなたが好き」
驚きました こんなにシンプル
好き という感情だけで 余分な欲求はありませんから
自他の境界がはっきりしていますから お互いの自立・自律を認め合います
束縛も支配も干渉もありませんから 互いを解放します
ACに最も大切なのは この「感情と欲求を分ける」ことです
〜がしたい 〜して欲しい 〜と渦巻く欲求の 一番奥底にある感情に気づくことです
愛したい 愛されたい の前に 愛を感じる ただただ好き という感情を感じる
この感情 親からもらえなかったので とても理解しにくいのですが
例えば誰かを好きになった時に 「好きです」が素直に笑顔で言える とか
誰かに「好きです」と言われた時に その言葉を その気持ちをきちんと受け止める など
 
欲求にブレーキをかけるのではなく じっくりと自分の感情と向き合う 相手の感情と向き合う のです
じっくりと感じた後で 欲求を言葉にしてみます
例えば
「大好き」「だからずっと一緒にいたい」
相手の言葉を待ちます 相手の言葉を待つのが苦手なのもACでした それはNG
自分の感情も欲求も尊重する それと同様に相手の感情を欲求も尊重します
言葉は相互通行 一方通行ではありません 感情を大切にするから言葉も大切に
少しずつ 少しずつ やってみて確かめましょう
見返りを求めないで