一年の終わりに 生きていくこと 暮らしていくこと 稼ぐこと

今年も残り僅か

皆さんはどんな一年だったでしょうか

久しぶりに信田さよ子さんの本を読んでいます

「家族のゆくえは金しだい」

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いつものように物語はドラマを観ているように進みます

お金で子を支配する親 親の財布を当てにする子

機能不全家族にはお馴染みの風景です

自分自身の過去を振り返っても「あるある」がいくつもあります

子が親元を離れ 精神的にも経済的にも自立・自律するのはなかなか大変です

働くこと一つを取っても他者とのコミュニケーションが苦手 環境に馴染めない 長続きしないなど 今までの失敗の記憶が残っていて また同じ失敗をするのではないかと 次に踏み切れません 引きこもりがちになります これは私にも記憶があること

それでも何とかなると思っています 根拠のない自信

無意識に親を頼っているからでしょうか 依存の片鱗が見え隠れします いざとなれば親の財布をあてにすればいい 親もそれを分かっていています 自分の老後が子にかかっているのですから 嫌とは言いません それと分かるように恩着せがましくお金を渡します

親も子も お互いの自立・自律を拒むかのように寄りかかります

当事者どうしの場合はこの関係は何の問題もないのですが

この本では 親子の関係ですら行き着くのは経済的な問題 と言っているようです

今までに言われてきた愛とか絆とか 精神的なものを拠り所にしても解決はしない と

確かに

私はどうもACの問題については「親への愛情欲求の不全」が強い それが解決されないままではACは終わらないと執着しているので 納得できない部分もあるのですが

確かにお金のことについては認めます

親の支配 コントロールが目に見える形で現れるのがお金 逆もまた然り 子も親を支配 コントロールするのにお金をチラつかせますから

ここから逃れるためには お互いが自分のお金を持つこと 財布を別にすること それぞれが収入を得る方法を持つこと でしょう

ただ 子には仕事を得る自信がないので つい親に依存してしまう 堂々巡り

さあ 来年はどうしましょうか?どう生きていきましょうか?

親との距離 どれくらいまで離れることができるでしょうか?

なりたい自分をイメージして これからの毎日を過ごしていけるでしょうか?

嫌な記憶を片付けて 手放して 少しだけ笑顔になれるでしょうか?

感情を普通のテンションで言葉にできるようになれるでしょうか?

感情的にならずに他者とコミュニケーションできるでしょうか?

この世にたった一人の 他の誰でもない かけがえのない自分を 愛していけるでしょうか?

幸せになりましょうね

今年一年 たくさんの方にご訪問いただき ありがとうございます

 

私は本当に人を愛することができるのだろうか

新しい出会いがありました
ちょっとした悩みが現れたので 書いておきたいと思います

私は相手を本当に愛することができるのだろうか という悩み

前回の恋バナでは 愛するという感情よりも 欲しいという欲求が先走り 相手に不快な思いをさせてしまったという苦い記憶が残っているのです

コミュニケーションは相互通行 一方通行ではないので 自分のコミュニケーション能力だけでなく相手のコミュニケーション能力も問われるのですが

実際お相手のコミュニケーション能力は低く こちらもそこに気づくのが遅かったのですが

自分の内側を探ってみると ACの悲しさに出会うのです
今までに本当に人を愛したことがあるのか

親から愛されなかったAC 無償の愛をもらえなかったAC 自分は愛されていると思っていたのが 実は条件付きの愛だった 先回りの世話焼きや過干渉は 支配とコントロールのための道具だった…のです

幼い頃に親からもらった言葉を思い出します

「誰に育ててもらってると思ってるんだ」

「食わしてもらって育ててもらってありがたいと思え」

無償の愛はほとんどの場合 親からもらうものでしょう 親以外に近い親戚などもあるでしょう この愛情体験と感情の記憶があるとないとでは のちのちの恋愛関係に影響するのだと思います

無償の愛をもらえなかったACは 前回の恋で相手に無償の愛を与えることなく 自分の欲求のままに相手を求めたのでした

で  今回 今まで本当に人を愛したことがあるのか です

無償の愛で人を愛した記憶 見返りを求めない愛の記憶

記憶を辿ると 条件付きの愛の記憶ばかりです

あなたが〜してくれるのならOK でも〜してくれないならNG

これから相手に見返りを求めないで愛することができるのだろうか

想像すると怖いものがあります 遠い昔の癖が現れるのではないかと

その都度意識して自覚して対処するしかないのですが 上手く自分をコントロールできるのだろうか と心配です

あなたがいて 私がいる 私はあなたが好き

無償の愛を言葉にすればこんなにシンプルなのに

ACお得意のそれ以外の余分な感情 余分な欲求がつきまとうのですから厄介なものです

この先どうなることやら いいえ 自分がどうしたいのか 問われます 自問自答です

 

やめる勇気 拒否する勇気 逃げる勇気

「死んでしまいたい」過労自殺した電通の新入社員

痛々しい悲しいニュースです

残されたご家族には かける言葉もありません 親よりも先に逝ってしまうのですから

何よりも本人 死を選ばざるを得なかった苦しみ

新しい環境で 何もわからない状況で 仕事を与えられ それは過剰に

残業を強いられ 睡眠時間もプライバシーも削り 仕事を終わらせるだけが目的になる

仕事以外のすべてが思考停止し 自分の人生を生きている意味さえ分からなくなる

機能不全家族の中で生き抜いて来たサバイバー ACには共通する記憶 匂いです

どんなに苦しかったか 悲しかったか理解できます

ひとつ間違えば 私にも 私たちにも死ぬチャンスはいくらでもあったのです それをしなかったのは何故なのか

して欲しくてしてもらえなかったこと 言って欲しくて言ってもらえなかったことがたくさんあったからではではないでしょうか それを言ってもらうまでは それをしてもらうまでは死んでも死にきれない 皮肉な話ではありますが そんな感情が私たちACを サバイバーとして生かしている そんな気がします

でもそれは卑下することではありません 誇れること 自分を褒めてあげていいこと

逞しく生き延びてきたことは 自分の勲章です

恐らく誰でも一度は 死について考えたことがあるでしょう 死は身近なもの

必ず誰もが体験すること みんな不死身ではありません

生かされている間は 人生の時間を十分に楽しみましょう 不用意に死なないために 気配りをして生きていきましょう

不用意に死なないために 私たちはシミュレーションをしておく必要があります

やめる勇気 拒否する勇気 逃げる勇気

身の危険を感じたらーーこれにはいつでも敏感でいましょうーーできるだけ早くその場から遠ざかる

他者から強いられたら拒否する 追いかけられたら逃げるのです

無防備ではいけません

ACは普段から無防備であることが多いのです 人一倍警戒心は強いのですが無防備 このアンバランスが 何かがあった時にパニックになる原因かもしれません

だからと言って鎧で身を包む必要はありません 過剰な防衛は逆に自分を苦しめます

自然体ですっと立っている感覚 身軽な状態 何かがあればすぐに動ける 避けられる自分をイメージしましょう

ここでいう防衛とは もちろん言葉による防衛 暴力ではありませんし感情的になることでもありません 冷静に 普通のテンションで相手への拒否を伝えます

「やめてください」「それ やめてもらえる?」「あなたの今の言葉・言動は不愉快です」できれば笑顔が伴うと素敵 笑ってNoと言える自分を目指しましょう

もう一つ厄介なのが 自分の内側から現れる「死にたい欲求」

これはうやむやにしないで 一度はきっちりと向き合うのがいいかもしれません

そんな自分と正面から向き合う 冷静に

どうしてそんな思いが現れるのか 自分に問いかけましょう

自己嫌悪 罪悪感 親への恨み憎しみ 嫉妬 あらゆる感情を眺めましょう

言葉や文字にして 自分の外側に出しましょう これだけでも片付きます すっきりします

なりたい自分を探しましょう

自分がどうなっていれば 自分にOKと言えるのか

(本当は今のままでOKなのですよ 今の自分をたっぷり愛してください)

じっくり自分と相談しましょう

自分の命を自分で守る力 自分の命を他人に差し出さない力

これだけは捨ててはいけません 何があっても

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自分の人生の時間を楽しく生きてはいけないの?

自分の人生を生き 失敗や成功を重ねる

人生の目標を何にどこに置き どう生きていくか

ACにはそんなことを考える時間がありませんでした

なぜでしょう?

親の過干渉 先回りの世話焼き 支配とコントロール

自分の人生の時間を親に奪われ支配されて

自分の人生を生きている感覚が得られなかったのです

自分の人生の時間は自分のものであり それは自分のために使っていいんだと 教えてもらえなかったのです

「あなたは私たち親のために生きるのよ 親の老後はあなたが面倒見るのよ こんなに世話をしてやったのだから 恩返ししてもらうわよ」

親からの声にならないメッセージが聞こえていたのです

ですから自分の人生を自分のために自分らしく生きるのが下手

自分の人生を楽しく生きるのが下手

楽しく生きる=いけないこと だと思い込んでいるようです

楽しむ とは 刹那的な快楽に溺れることでも その場限りのお笑いに流されることでもありません

一生懸命 真剣に遊ぶ とでも言えばいいでしょうか

自分の好きなこと やりたいことに 手を抜かないで向かう といえばいいでしょうか

一度限りの人生を 悔いのないように生きる

何もしたくない時は何もしないと決めて 本当に何もしない

ゆっくりのんびりしたい時はきちんとその場を設定する

自分の楽しみのために 幸せのために きちんと自分の時間を過ごすこと

楽しく生きる とは 失敗も成功も全て引き受けること

自分の人生に起こる全てを自分で受け止めること

親の面倒を見ることだけが あなたの人生の全てではないのです

もうこれ以上親にあなたの人生の時間を奪われてはいけない

これ以上あなたの人生の時間を親に差し出してはいけない

時間は誰にとっても有限です 無限にあるものではない

この世に生きている間 せめて楽しく幸せに過ごしましょう

成功体験のない そして失敗の体験もないAC

幼児期の親の過干渉 支配とコントロールが奪ったのです

何度も失敗して 子は学びます たった一度の成功を喜びますが また失敗をします

その繰り返しの中から 子は大切なことを学びます

人生は失敗してもいいんだ やり直しができるんだ やりたいことをやっていいんだ

その大切な充実した楽しい時間を 親は奪ったのです

そんな貴重な時間を奪われて大人になったあなた

まだ遅くはありません 今からでもやり直しはできる

楽しく生きて 幸せになって欲しいと 心から思います

心から応援します

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変わりたい 変わりたくない

前回の「変わりたい自分 変わりたくない自分」の続きのようなものです

私の場合 変わりたい 変わらなければ人生これで終わり と痛感したのは カウンセリング集結前でした

カウンセラーは言いました

「分かる=変わること だよ あなたが変わらないのは 本当に分かってはいないとうこと」と

それまでは 口では変わりたいと言いながら 無意識では変わりたくない自分に薄々気づいていました 自分の中に「変わりたくない自分」がいたのです

こんな自分をどうするか 最大の敵は自分でした 無意識(潜在意識)がこんなにも頑な 頑固 理屈で分かっても変わらないとは

 

親からもらったものがすべて疎ましく恨めしく 本当に捨ててしまいたいと思ってはいても いざ実行しようとすると 無意識に自分を守ってしまうのです

親からもらったものを捨ててしまうと 本当に何もなくなってしまうのですから それは恐怖でした 不安でした でも親からもらったものはゴミの山のようなもの

他人とコミュニケーションが取れない 自分の気分感情も掴めない言葉にできない 非言語メッセージを使おうとする 理解してもらえないと怒る 他人の気分感情が分からない 人を羨む嫉妬する恨む憎む 他人の上に立とうとする 自分を愛せないから他人も愛せない 自分を信じられないから他人も信じられない

などなど 本当にいらないものばかり

それでもそんな自分が可愛いのです と言っても自分を愛しているのではなく プライドだけが肥大化した感じ

健全な自己愛がなかった 全く育っていなかったのです 自分のインナーチャイルドが幼いままだったのと同様に

自分で自分を愛するという当然のことができていなかった こんな当たり前の しかしとても大切なことを親からもらう事さえもなかったのです

大切な自分だからこそ 嫌いな自分を捨てて変わっていこう と思えるようになったのは それからしばらくしてからのことです それまでは変わりたい 変わりたくないの行きつ戻りつ 何度も逡巡しました

もう変われない このままで生きていくしかない と諦めようとした時に 憑き物が落ちるように変わりました フッと体の力が抜けたような 心の鎖が解けたような感覚でした

親からもらったものを全部捨てました

* 認知=ものごとの受け止め方 感じ方 の歪み これをまず捨てました

相手の言葉をそのまま受け止めることができない 本当は違うんじゃないか と勘ぐってしまう ひねくれた受け止め方をしてしまう これでは相手とのコミュニケーションなど成立しません それでいて相手には自分を分かって欲しいと求めるのです

* 嫉妬 この感情が私の心の多くの部分を占めていました これも捨てました

自分以外の他者の全てが 嫉妬の対象になっていました 服装 持ち物 家庭環境 食べているもの 仲良くしている相手 笑顔 愛 そんなものにまで嫉妬していました

自分の周りに愛がなかったからでしょう 欲しいのに得られない そんな根深い不足感から 嫉妬が生まれたような気がします

* 非言語メッセージ 一番いらないもの こんなものを持ってても何の役にも立たないものです

他者とのコミュニケーションには言葉が必須 それ以外の方法は通じないと知るまでには たくさんの時間がかかりました それまでは家族の中ではもっぱら非言語のコミュニケーションだったのです 表情 目つき 舌打ち ため息 そんなもので相手を察するのです 家族や親戚には通じても 赤の他人には通じないのですが 他人にもこれをやってしまうのです そして分かってくれないと恨む 憎むのです 相手にしてみれば とんでもない迷惑です

* 感情を言葉にする これは親からもらったものの中にはないので コミュニケーションの達人から伝授してもらうしかありません 私の場合は仕事の先輩 その時々の気分や感情を 実に見事に言葉にする人 を真似ました 模倣から入るのも効果的

* 他人の話をきちんと聴く 聞くではなく聴く です 耳を傾けて心を傾けて聴く 相手の言葉の「ことがら 出来事」を聞くのではなく 相手の感情の言葉を聴く 傾聴訓練です これがとても役に立ちました

ACが親からもらったものは 本当にいらないものばかりです

全部捨てて 生き直しをする方がいいと私は思っています

親の代理になる人 先輩でも上司でもいいでしょう 自分もこんな人のようになりたい と思える相手に出会うことは とても大切なことだと思います

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幼児性が強い人

言葉遣い 喋り方 仕草 表情の作り方 笑い方
どことなく子どもっぽい人がいます

本人はそれほど意識していないのかもしれませんが 私が見ると分かります

私はそんな人が大好きで 無意識に惹かれるからです
好きになってその相手を見ると 幼児性が強いのです
きっと私のインナーチャイルドが惹かれているのだと思います
子どもの奔放な言動を抑え込んで育ったので ある面羨ましいのだと思います
あぁ 子どもっぽさはそうやって表現するんだ と学び直すことができます

驚いたのが今の仕事先にいらっしゃる介護スタッフ
年齢不詳の小柄な女性 なかなかの人気者
発声に無理がない 喉に力が入ってなくて 耳に心地よいのです 幼児の発声法

この声で入居している高齢者に話しかけ 笑いかけるのです

その会話だけを聞いていても微笑ましく こちらも笑顔になります
仕事中 人が背後を通りました おはようございます と挨拶 彼女の声でした
その声が私の耳の中に届いたのです まるで竹内レッスンの「言葉がとどく」そのままに

この人は自分の言葉をそのままの大きさで 程よいスピードで いい柔らかさで いい色で 相手の中に届けているようでした

彼女の人気の秘密が分かったような気がしました

一方 こちらは前の勤務先で出会った女性
年齢の割に…もうそれなりの年齢…子どもっぽく その可愛らしさに惹かれました
彼女は他者とのコミュニケーションが苦手 みんなのように言葉が流暢に出てこないと悩みます

ボキャブラリーは確かに少ないようです でもこれはあまり関係のないことです
ボキャブラリーが少なくてもちゃんとコミュニケーションは取れるのです
その時々の感情を言葉にすれば 相手にそれは伝わり 共感 反感も含めて反応があるものです そこからコミュニケーションは始まるのですから
感情を感じないように過ごした幼児期 感じることを我慢する 抑え込む これが長い間続くのです だから感情を掴めない

どうやら彼女はコミュニケーション以前の 自分の内側に何かがあるようでした
一人っ子で育ち 両親の看病が続き 早くに両親を亡くし 母親を亡くした時にはあまりのショックに引きこもり そして自身も病気になり…と少女時代青春時代を過ごしたといいます

一人っ子の場合はどうしても親からの過保護 過干渉 先回りの世話焼き 支配とコントロールで自分を奪われます
自分の頭で 感じ 考え 行動し 失敗する 成功する という自立 自律への過程が奪われます
特に感情 感情を言葉にして他者に伝えるという大切なことができないまま大人になるので 大人になった時の悩みは深刻です
他のみんなはあんなに楽しく会話できるのに 自分はどうしてできなんだろう?

健全な自己愛も育ちません 自分を愛せない だから他人も愛せないのです
自己愛が育たないのをカバーするように 自己防衛は大きくなります

自分を愛せない 代わりに自分を守ろうとする

自分の何を守りたいのか 分からないままなのですが

それは実は自分が変わることをしないことで自分を守る ということに行き着くようです

自分を変える という方法を教えてもらっていなかったのです

変わる/変わらない ということと 守る/守らない とは そもそも別のことなのですが

そして自分の「変わりたい 変わった方がいい」部分と「変わらなくてもいい」部分があるので 何もかもを変えることもないのです 全ては自分しだい

同様の体験をした私の場合は「こりゃ自分を変えないとこの先の人生ダメになるな」と思ったからでした

まさにどこからか飛び降りるつもりで 自分を変えることに集中したのでした

あなたの場合はどうでしょう

自分の何を変えたいですか? 変わりたくない自分はどんな自分ですか?

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子は親を選べない

TVで若いイケメン俳優さんが何気なくサラリと言ったひと言
「子は親を選べないですからね」
彼は親への感謝として言ったのですが
あまりにも当たり前過ぎて 驚いたのです
そしてこのブログでは 親に向けての記事がほとんどないことを 読者の皆さんにお伝えしていなかったのです

ここで書いているのは当事者である子のこと 子を主人公として 子に向けて書いています
それには理由があります

親に向けて何かを伝えようとしても 親ご自身が聞く耳を持たないと お話にならないからです
そして AC親の多くは ご自分の不全感に気づいていないのです
不全という自覚がないのです 健全だと思っています

機能不全家族では 親が変わることで子も変わるといいます
親にも子にも言えることですが これは自身が「自分は人と何か違う 上手くコミュニケーションが取れない 感情を言葉にできない」など不全感を持っていて 何とかした方がいいかも と感じていれば 変わるきっかけ 可能性があるということ

自分は健全だ と思っている限りは変わるきっかけも可能性もないのです
まして年齢を重ねると 頑固にもなりますね 自分を変えることへの抵抗は大きくなる
であれば若いうちに 思考も感情も柔軟な若いうちに と思うのです

ご自分の親も同じ不全感を持っていました あなたと同じようにあなたの親を育てた
家族の輪廻 家庭内連鎖が続いてきたのです

この記事を読んでいるあなたが もし子の親だったら どうかその連鎖を止めてください
あなたが子どもの頃に受けた傷 悲しい思いを これ以上あなたの子に刷り込まないでいただきたいのです

子は自分が育ったように自分の子を育てます
「そんなことはない 子供はちゃんと育ててる」
それは違います
子は我慢しているだけです 本来の自由で無邪気な自分を抑え込んでいるのです
いつも親の顔色を窺って びくびくしながら生きてきました
思い出してください それは幼児期のあなたと同じですから

これ以上 不幸な子を増やさないで
心から思います
子は親を選べないのですから
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子どもを虐待する親

子供への虐待が増えている気がします
テレビを騒がせる親たち

親の側には虐待という認識がなく
それは「しつけのため」という言葉に置き換えられて
親の免罪符になるようです

冷静に考えれば「しつけ」と「虐待」とは明らかに違います
客観的に眺めれば分かるのですが 当の親には区別できません
それとも本当は分かっているのに 虐待をしつけと言い換えることで
自己弁護して 罪悪感を取り払おうとしているのでしょうか

しつけか虐待か それは「される側」の子が決めることでしょう
親がいくら子のためにと思って厳しく「しつけ」たとしても
子の側にしてみれば いじめ 嫌がらせ 虐待でしかない という場面はあります
それは親子だから許せるというものではありません

外国では子への虐待に行政や警察が介入するといいます
この国のように警察に相談しても動いてくれない 児童相談所に言っても動いてくれない
外国から見たらどう映っているでしょうか

そしてACの多くにはこの苦い思い出が 辛く悲しい記憶が鮮明に残ってるのです
自身の記憶を辿っても「あの時のアレは絶対しつけじゃなかったよな」というものがいくつか いいえ いくつもあるのです

しつけなら今になってその記憶は 暖かい思い出として蘇るはずです 親への感謝として
でもそうではないので どうやら虐待だったのです 今になって分かります

この虐待のおかげで ACはとても悲しい幼児期を過ごしました
今となっては取り戻せない時間

でもやり直しはできる

そんな親への思いを手放すことです
恨み 憎しみ 悲しみ 強い愛着を手放す
もう終わったこととして静かに見送るのです
憎しみや怒りを増幅させるのは もうやめようと決めるのです

虐待された側が もうこれ以上家族の連鎖を続けないために
あなたにできる唯一のことかもしれません
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過去を終わらせ 今を生きよう

ACとして暮らしている人
言葉にならない不全感を抱えながら じっと堪えている人

誰に向かってその怒りや不満を吐き出せばいいのか 誰がそれを受け止めてくれるのか
自分が何に対して怒っているのか 誰に何を求めているのか

混沌としたまま
我慢しては爆発する繰り返し
堪えて堪えて
言葉を飲み込んで なかった事にしようとする

どちらも現れ方が違うだけで 辿っていくと根っこは同じ

我慢すればいいと我慢する
それとは裏腹に 我慢した全ては長い間心の中に溜まり 恨み 怨み 憎しみとなって
今度は自分に返ってくる 自己嫌悪

悪循環はどうすれば終わらせることができるのか
どうすれば未だ巡り会わない 健全 になれるのか

時間ばかりが過ぎ 何も変わらない それそころかどんどん悪い状況になる
光が見えない 未来がない
でも大丈夫
あなたはここにいる 今 ここにいる
誰のものでもない たった一人の あなただけの人生

幼い頃には 確かに親に支配され 人生の時間を奪われ
欲しい愛ももらえず 寂しい悲しい思いをした
親を怨み 憎んだ

それはとても悲しいことだけど もう過ぎ去った遠い過去のこと
今でも昨日のことのように思い出すけど ずっと前に終わったこと

悲しい過去に縛られ 今を生きられない自分を もうやめよう
あの時言いたかったことは山ほどあるけど 過去にとらわれて今を生きられないとしたら
それはもうやめよう

過去は過去 終わったこととして受け止め 受け入れる
でももう過去にはとらわれない と決めよう
今は今 今この時間を生きている自分のために生きると決めよう
自分をきちんと愛して 生きていこう

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熊本・大分の地震で被災された皆様にお見舞い申し上げます
実は私も熊本出身で とても心配しています
暮らしが元通りになる日が 1日でも早く訪れますように

子のコミュニケーションを奪ったのは親だったという…悲しみと怒り

コミュニケーションが苦手な人
これはACにも当てはまること
幼児期の過保護 過干渉が根っこにあると改めて感じます

家族のメンバー もちろん親 からの非言語の干渉 先回りの世話焼き
これは幼児期であれば受け入れざるを得ない 受け入れないと生きていけないのですが
少年少女期から思春期に至るまで この過干渉が続くのです 場合によってはいい大人になっても
親はこうして子の自立 自律を奪います 自分の意のままに支配しようとします
親である私ががいないと あんたは何もできないのよ 私が面倒を見てあげる代わりに あなたは私の言うことを聞くのよ

親自身もそうやって育って来たのです 愛=支配 束縛 世話焼き と学んできた

子は成長と共にこれに反発を感じる そりゃそうです ウザいを超えて重いのですから
でも長い間飼い慣らされているので ウザいのを我慢さえすれば それは楽なこと 何も言わなくても望むことが叶えられているのですから

逆に言えば子が「自分はこんな気分なんだ」「自分はこんな欲求があるんだ」を言葉にして他者に伝える方法を奪ってしまうのです
無言のコミュニケーションという悪い癖です

子は大人になってもこの感覚を家族以外の他人にも持ってしまうのです
健全な家族なら 親は子に言葉でのコミュニケーションを教えますが 機能不全家族はここが違います
黙っていても 自分のことを分かってくれる筈だ と
他人なんだから言語で丁寧にやり取りしなければ理解し合えないのに

言語コミュニケーションが訓練できてない 弱いから 非言語で他人にも分かってもらおうとする 親を真似て もちろん当然ながら分かってもらえない
これで不快感を持ったり癇癪を起こしたり ますますコミュニケーション嫌いになる

子はもっと親を恨んで 否定して 拒否していいのです 和解はそのずっと後でいいのです
きちんと親を恨む 親を拒否し 子の側から離れることが大切です
その上で親に奪われたコミュニケーションを学び直す やり直す
自分のやり方で 親の力を借りずに自分だけの力で この体験が大切です

無言のコミュニケーションをやめるという固い決意が必要です
自分の代でこれをやめないと 次の代に連鎖してしまうのですから

これもできるようになるまでには時間がかかります 諦めないで
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