ACの無意識(潜在意識)の中にある 大きな欲求が
子どものままでいたい ではないかと思います
幼児期に満たされなかった愛情欲求が 成人してからでも存在します
あの頃の欲求が満たされないので 安心して大人になれないのです
満たされるまでは大人になりたくない のです
インナーチャイルドはあの頃のままで 成長が止まっているのがその証
本来なら誰もがごく普通に得られた 親からの愛
その願いは 機能不全の親が叶えてくれる訳ではないのです
親でなくても代理になってくれる人ならば 疑似体験でもいいのですが それもなかなか叶いません
自分で何とかするしかありません とても酷なことですが
辛い家族の中を生き延びてきたAC サバイバーの宿命です
こんなことではいけない 大人にならなきゃ と今の自分を否定してしまいますが これも逆効果
いいのです子どものままで 自分を何一つ恥じることはありません
まずこの感情を自分の中で受け入れることが大切です
心理療法で言う「インナーチャイルドの癒し」です
エンプティ・チェアーとも呼ばれるものに似ているようです
椅子を2客用意します 一つは自分が もう一つは小さい頃の自分が座ります
インナーチャイルドを探します
探し出したインナーチャイルドは 怖くて震えているかもしれません 泣いているかもしれません
優しく片方の椅子に座らせます
小さい自分が あの頃に言いたくて言えなかっったことを聞きます
そして小さい自分が言って欲しくて言ってもらえなかったことを聞きます
それを大人になった今の自分が 代わりに言ってあげるのです
そして今度は今の自分が 小さい自分に声をかけます
優しい労りの言葉をかけます
これで子どものままでいたい欲求が終わります
月別: 2013年11月
親からもらった価値観を捨ててみる 〜AC共依存を手放すコツ〜
AC共依存を手放すコツ と書きましたが
実際には近道はないのです
今まで慣れ親しんだ感覚や嗜癖を手放すのは大変なことです
手放そうとしても何かあればすぐにあの頃に戻ろうとしますから
それなりの覚悟がなければ 簡単にはできません
ただ 自分の感情や欲求と向き合うのですから
ちょっとしたコツはあります
まず自分に向かって「頑張らなきゃ」「これじゃダメ」と脅迫的否定的になってはいけません
これでは逆効果で できない自分が嫌になってしまいます
こんな時にこそ「自分が好き」でなければなりません
できない自分を含めて 丸ごとの自分をすべて受け入れる のです
できなくても私は私が好き という気分です
できたから好き できないから嫌い という 親からもらった価値観はここで捨てます
コツのもう一つは
「自分はこの世に一人 孤独に存在している」ことを悲観せずに受け入れることでしょう
孤独であることを悲しむ必要はありません 淡々と受け止め 受け入れる
孤独を楽しむ という言い方がありますが これと似ています
この世にたった一人 だからこそ存在は貴重なのであり 価値は比較できないのです
人と自分を比べない これも大切
人と比べて 優れている 劣っている これも親からもらった価値観 捨てましょう
今までのこだわりを捨ててみる
親との訣別を果たしたあとは いよいよ自分の内側に向かいます
見ると 自分の内側には何も成長したものがないことにまず驚きます
精神状態はあの頃のままなのでした
子どもの頃の傷で インナーチャイルドは成長できていません
大人になるとはどういうことなのか
普通に生きていくとはどんなことなのか
機能不全の親からは 学ぶべきことはありません
といっても周りにはそう簡単に導師といえる他人もいません
ではどこから学ぶのか 何から学ぶのか
先人たちが残した本があるのです
でも残念ながらACは 他者から学び自分を変えていくことが苦手
自分の思い込みが強く 他人のアドバイスを受け入れ それに従うことに強い抵抗を感じるのです
プライドが傷つくとでも思っているようです
分からないこと 知らないことを人に聞くこともなくそのままにする癖がついているのでしょう
自分では解決できない 分からないから 人の言うことをきいてみる 人のやり方をやってみる覚悟が必要です
今までに無意識に身につけてきた そんな自分の癖との戦いです
一つひとつ丁寧に自分を振り返ります
何もないところからの作業は 生まれ変わる 生き直すことに似ています
今までのこだわりさえ捨ててしまえば 自分を変えることができます
変わりたくない自分がいることも自覚しましょう
今までは「こんな自分は嫌だ」と思っていましたが 本音の部分ではそうでもないのです
このままでいたい自分がいるのです
自分を変えることへの不安 恐怖は誰にでもあります それを抑え込むのも逆効果です
ひとつ きっかけができて 小さなことでも変えることができれば その後は怖くありません
変わっていく自分を楽しむことができるのです
母親への愛着を捨ててみる
AC最大の難関です
親への思い 時に母親への愛着はとても強いようです
愛してもらえなかった悲しみ 愛を受け入れてもらえなかった悲しみ
恨み憎しみの感情が 大人になった今でも強くあります
ACはここで自分の本当の感情とか向き合うことが必要です
口では嫌いと言っていても 恨んでいても憎んでいても 本当の本音は?
それは裏を返せば とても愛している 大好き なのです
恨み憎しみが強ければ強いほど 愛して欲しいも強いのです
その分自分のことを愛して欲しい 好きでいて欲しいのです
この愛着を手放してみる
この愛着を諦めてみるのです
手放すふり でも 諦めたつもり でもいけません
本当に手放す 諦めるのです 笑顔で 淡々と
強い孤独 寂しさ 恐怖を感じるかもしれません
それでも母親との訣別をするのです 笑顔で 淡々と
もう依存することも依存されることもやめます と誓うのです
この世に産んでくれたことだけは感謝して
育て方はだいぶ間違ったよね と言えばいいのです
こうして母親から離れて 「持ちきれない荷物」を降ろすのです
ここから自分の内側を片付ける作業が ようやく始められるのです
性善説を捨ててみる
今回はワタシの体験を
カウンセリングが集結に向かう頃
変化が起きていました
今までは性善説で生きてきたことが自覚できたのです
それは何の根拠もない性善説でした
自分だけの思い込み 盲目的にそう信じていたのです
何かあったら自分を助けてくれるに違いない 愛してくれるに違いない
人は助け合うべきだ 人は善人であるはずだ
ただの願望でした
幼児期に満たされなかった欲求は 根深くその実現を求めていたのでしょう
他者への過剰な期待 支配やコントロールが どれほど自分を苦しめるかが分かってきました
これをやめてみようと思ったのです
するとあら不思議 他者との距離感が適度に取れるのです
他者への余分な感情も欲求も小さくなったのです
人間嫌いというのではなく 冷静に客観視できるのです
〜あるべき 〜ありたい などの思いは 自分の側に向けてはあってもいいでしょう
他者に対してはそれを当てはめることはないのです
人はそれほど自分にとって都合のいいことはしてくれないのです
それは当然のことだと 普通に分かったのでした
今までの思い込みを捨ててみると
意外にいいこともあるようです
他者を信じる をやめてみる?
信じる について再び
自分を信じる と 他人を信じる
ACは分けて考えることが苦手なので 自分と他人を一緒くたにしてしまいますが
分けて考えます
自分を愛することと同じように 自分を信じることは必要です
無条件に自分を信じる部分があります 自分の存在そのもの 自分そのものです
自分に課した課題や目標にたとえ届かなくても 自分を信じる
自分で自分を裏切らないこと
自分で決めたことを行動に移す 成功失敗は問いません
成功したからOK 失敗したからNG ではなく
行動したことに対して その事実を信じる
こうやって自分に自信をつける 文字通り自分を信じる を重ねるのです
では他者を信じる はどうでしょうか こちらは問題
ACの「他人を信じる」は ほとんどすがりつき のめり込み と言っていい状態になりがちです
信じる だから〜して欲しい 〜したい と欲求がついてくるのです 意思と欲求は別です
これも分けて考えます
他者との距離が取れない上に その相手を信じることをしようとしたとたん 距離がなくなります
その相手の中に入り込んでしまうようです 自分から相手に巻き込まれて自分をなくすのです
もっと離れて相手を信じる ことをしなくてはいけません
信じてもいいから求めない 相手にはその人の人生があるのであり 自分のためにいるのではないのですから
信じるだけ 求めない 愛するだけ 求めないと同じように
むしろ安易に他者を信じない方がいいのかとも思います
まずは自分を信じることから です
信じる って何?
信じる
健全な人の 信じる という意思は
(思考や感情ではなく 自分の意志で信じるという心の動きが表れる と仮定しています)
自分や他者の言動を一つひとつ確かめながら積み上げていくと想像します
余分な感情を差し挟まず 淡々と自分を そして相手を見ることをします
信じる は 愛する と同様
相手に求めることのない自分の意志であり感情と言えるかもしれません
ACの信じる はちょっと違うかもしれません
相手への期待 願望 盲信に近い 思い込みです
〜のはずだ 〜に違いない 〜に決まっている など
実際の相手の言動はどうでもよく 自分のために 自分の都合で他者を見るようです
信じるという意味を どうやらACは はき違えているようです
育ちの中にこの体験がないのです
自分が相手を信じる 相手に自分を信じてもらう という体験
自分の親との関係で 「愛する」がなかったと同様に「信じる」体験がありませんでした
自分以外の人間に そもそも興味がないようです というより 自分のことが信じられていないようです
自分を信じることができないので 当然ながら他者を信じることもできません
信じる という意思の働きは ACにとってはかなり高度なものかもしれません
健全な家族で普通に行われている「信じる」は 愛と安心があって初めて成立するのでしょう
ACが育った環境にはそれがなかったのです
自分を愛する 自分を信じる から始めなくてはいけません
「思考」「感情」「意思」
ACは基本的に頭がいい人が多いようです
知識が豊富 思考が優れている 「考える」能力が高いのです
学校でも成績は良く(教科によって大きな差があるのが特徴ですが) そのためにクラス委員などを任されるのです
残念ながら協調性に欠けるので長続きはしませんが
一方 感情は弱いようです
「感じる」ことを抑え込んで生きてきたのです
感情の表現が下手なので 普通のテンションで感情を言葉にして他者に伝えることができません
感情的になって怒り悲しみはできるのですが コントロールができないのです
そして 意思 これもとても弱いようです
自分の内側から立ち現れるもの 意思が極端に弱いのです
意思の力 などと言われます 力を持っている自我 といえばいいでしょうか
自己を確立し 自我を確立し それを育てる という作業ができなかったようです
親の支配下で育って来た最大の弊害でしょう
意思の弱さ
ここに焦点を当てると ACからの解放も見えてくるのかもしれません
例えば自分を信じるという意思の力
ACは自分を信じることができません
もちろん親から教えられていません
親はお金の力だけを信じていたりします
自分のことはもちろん 周りの他人も信じません
ACにとって信じる とは 欲したもの 期待したものが得られる という程度のことでしかありません
それができなければ裏切られた と相手を恨むのです
無条件で他者を信じる は 無償の愛と同じほど遠いものです
機能不全家族〜「親」になりきれない親たち〜 西尾和美
表紙を開く前に 帯の文字が目に入ります
「なんと日本の家族の80%が機能不全‼︎ 何が原因なのか」…
1999年第1刷です 14年前 それで80%?…では今は?と聞きたくなります
もともと日本人は依存性が強い国民性だと言われています
DMS国際診断基準では依存性パーソナリティ障害の項目には
日本人を除く とされているとかいないとか
それほど強い依存性を持っているということです
日本から逃げ帰ったアメリカ人の話から始まります
筆者「子どもの育て方がおかしいのは、日本だけじゃないと思いますけど」
米国人「…ただ大きな違いは、アメリカでは問題があったとき、私たちでなんとかしようと働きかけができることです…同じような意見を持った人たちと協力して、問題に正面から対処しようとします。
でも、日本では『くさいものにはフタをしろ』で、事実を見ようとしない、あるいは見て見ぬふりをする。しかも、それをまわりの人にも要求するんです。
そして、子どもにも、個性をつぶして、他人の顔色をうかがいながら生きるよう教えて育てます…
こんな社会で自分の子どもを育てたら、自分本位のナルシストか、他人のことばかり気にして自分を見失う共依存の人間をつくりあげてしまいそうです…」
こうして物語は始まります
愛情溢れる中にも ACからの解放を強く願う 毅然とした著者の態度が読み取れる好著
体験を重ねる 免疫をつける
免疫をつける これもACにとっては難しいこと
人は行き詰まった時 失敗した時に 自分をコントロールし 解決法を探します
気分や感情のコントロールだけでなく 行動のコントロールもします
何が悪かったのかを分析し 今度はそうならないようにします
ACは失敗の体験から学ぶことが苦手なようです
失敗したことそのものに打ち拉がれ 解決策を探すこともなくその場からいなくなる
今までのことをすべてなかったことにして終わらせようとします
スタート地点で いくつものルートを想定することをしないまま スタートしてしまいます
行き詰まりそうな時 失敗しそうな時に軌道修正できるよう
できるだけたくさんのルートを考えておくことが必要です
こうしてみて これがダメだったら この方法で それがダメだったら次の方法で
これをできるだけたくさん用意しておくのです
それでも行き詰まり 失敗してしまうことはあります
失敗から学ぶことが ACに免疫をつける最良の方法かもしれません
そこで終わりにしないで 諦めないで 何度でも違う方法でやってみればいいのです
一度きりの人生です 自分だけの人生です
ダメ元でやってみればいいのです
後悔を残すより 最後までやってみて 本当にダメなら諦めればいいのです
大切なのは失敗を恐れないこと
失敗しただけで自分を嫌悪しないこと です
自分への愛だけは失わないで