多くのACが求めるのが「分かってほしい」でしょう
もちろん誰でもこの思いはあるのですが
普通の人とどう違うのか
ひとつは「分かって欲しい」という思いが過剰
もうひとつは 自分の「分かってほしい」思いを言語化するのが下手
自分のことを分かってもらえなかった悲しい幼児期がそうさせるのか
今の苦しみ悲しみ不全感を とにかく全部自分と同じように分かって欲しい
家族や親せきならばそれができるかもしれません それとて叶わないかもしれない
家族といえども別々の人間ですから
その強い「分かって欲しい」を他人にまで求める
そしてそれが叶わないと知ると 関係を遮断する
分かってくれない悲しみは相手への恨み憎しみに転化され増幅される
分かって欲しい欲求が強いほど 分かってくれない恨みも強くなる 表裏一体
しかも何を分かって欲しいのかを言葉にできない
それなのに分かって欲しいと求める
どうすればいいでしょう
他者と理解をするためには 言葉を使うしかないことを理解しましょう
そしてそれを実践するのです
もちろん最初から上手くいく訳はありません 訓練あるのみ
拙い言葉でもいい 何度でも言い換える できるだけ思いをピンポイントで言葉にする
相手に届くように 言葉を選び発するのです 文字の方がよければ文字にして
ここでようやく「感情を言葉にする」ことの大切さ 難しさを実感するでしょう
家族や親戚などのメンバーと 他人は違うことの当たり前さに気づくでしょう
機能不全家族のメンバーの中では有効だった「非言語のメッセージ」は役に立ちません
もう一つ大切な観点があります
他者が分かってくれることが 自分の人生にとってそんなにも重要なことなのか
実はそれほど重要ではないのでは?
分かってもらうことは安心につながりますが それ以上でもそれ以下でもない
自分の側に「分かって欲しい」の奥に 別の欲求があることにも気づく必要があります
それは「構って欲しい」です
ACは分かってもらうだけでは満足できず 構ってもらいたいのです
これを終わらせる必要があります
他者に自分を分かってもらえたら嬉しいけど 分かってもらえなくてもいい
構ってもらえたら嬉しいけど そうしてもらわなくてもいい
自分が感じたもの感じたことが 自分にとっての真実であり
他者にそこまで介入してもらう必要ない という点です
自分の足で立っている実感です