ACと共依存
こんな不幸な悲しい嗜癖にも拘らず
なかなかこれと決別できないのです なぜでしょう
自分の人生なのに 今まで親という他者にそれを預けてしまっていたので
自分という個の感覚 自分の人生観がありません 自分がないのです
この世でたった一人の 他の誰でもない かけがえのない私 という感覚がない
長い間共依存の環境にいるので わざわざそこから自立して新しい環境で苦労したくない
慣れ親しんだ感覚を捨てずに少しだけ我慢すれば このまま生きていける
親の支配やコントロールを受け入れる代わりに 自分も親にそうしているので まあいいか と
これは必ずしも顕在化した意識ではなく むしろ潜在意識の中で無意識に判断されるようです
自立を奪われて育ったので 自分の足で歩くという感覚が育っていません
依存が残っているために 他者を頼りにします
失敗しながらも歩く訓練をして 転びながらでもその能力を獲得していこうという欲求さえ奪われているのです
自分は自分が変えていく という希望が持てません
親子の共依存がお互いにとって「快」であれば問題ありませんが
どちらかが「不快」「不全」を感じるのなら これを手放す方がいいでしょう
「我慢」や「諦め」を「喜び」や「希望」に変えるにはどうしたらいいのでしょうか
この世でたった一人の 他の誰でもない かけがえのない私 という感覚を まず持つことでしょう
自我の意識 今ここにこうして存在している自分 を感じる
それを感じたら その自分をたっぷり愛することでしょう
AC共依存から離れられないでいる自分を悲しむこともありません
そんな自分も含めて丸ごと自分を愛するのです
ACに何よりも足りないのは 自分への愛ですから
投稿者: accodependcy
過保護過干渉で育った と 愛情をもらって育った は違う
ACの生育環境は 親からの過保護と過干渉でした
子は自立と自律を奪われ 支配とコントロールで育ちました
愛された実感も安心感もないまま
親の下で 自分の人生を奪われながら生きてきました
親は決して「愛してるよ」「あなたが大好きよ」の言葉を言いません
「あなたのことは一生懸命育てた」「あなたを育てるのは大変だった」「お金がかかってる」「育ててもらってありがたく思え」などがその代わりです
子どもが心を閉ざして 感情に蓋をして 距離を置いてしまうのは当然のことでしょう
自分はここに生まれて来て 歓迎されていない と受け止めるのは当然でしょう
愛してもらっていない と感じるのは仕方のないことでしょう
それでいて必要以上の 先回りの世話焼き 無言のメッセージ 過保護と過干渉
親が「愛」だと思い込んで 子どもに注いでいたものは 支配とコントロール
もちろん子もそれを愛情だと受け入れるのですが
子は成長する過程で こんな自分の生育歴に不全感を持つようになります
他の子とは違うからです コミュニケーションが上手く取れないのです
たっぷり「愛してるよ」「大好きよ」の言葉をもらって
歓迎と安心の中で育った子とは かなり違います
親からもらえなかったものを探す
親からもらったものを捨てる という話をしました
親からもらったコミュニケーションパターン
恨み悲しみ憎しみなどの負の感情
嫉妬や独占欲 支配欲 すがりつき 見捨てられ不安
過剰な思い込み 人の言うことを聞かない頑固さ
それをすべて捨ててしまうと ほとんど何も残らない というほど軽くなります
今まで心の中はいっぱいいっぱいで 他のことを受け入れる余裕などなかったのですが
これでようやく 新しいことを自分の中に取り込むことができるのです
今度は親からもらえなかったものを探します
あの時 自分はいったい何が欲しかったのか どんなものが欲しかったのか
それはモノでしょうか
ACが親からもらえなかったもの
言葉にしてみると こんなものかもしれません
愛してるよ 大好きよ 大切だよ 生まれて来てくれてありがとう
幸せ 嬉しい 歓迎 安心 満足
もっとたくさんあるでしょう
(こうして見てみると ポジティブな言葉だけをもらっていなかったことに気づきます)
言って欲しくても言ってもらえなかったこんな言葉を
今度は自分で 自分に向けて言うのです
そのままの言葉を 自分に向けて
温かい感情を ここでたっぷり感じます
欲しかった言葉をすべて 自分にかけてあげます
悲しい 寂しい 苦しい感情は だいぶ癒されるでしょう
過保護と過干渉で育ったACが欲しかったのは
モノや支配やコントロールではなく
こんな温かい愛の言葉だったのです
親からもらったものを捨てる
ACが親からもらったものには
子どもが生きていく上でとても邪魔になるもの 障害となるもの
捨てる方がいい というものがたくさんあります
大きなものは他者とのコミュニケーションの取り方
他者との距離の取り方が分からない
ちょっとしたことで距離を詰めて 過剰な場合は相手の中にまで入り込む
すがりつき 見捨てられ不安
そしてちょっとでも自分の思いと違うと その関係を遮断する 相手を恨む 憎む
すべての原因は感情を言葉にしないことの結果
親から学んだコミュニケーションパターン
これをすべて 捨てることが必要です
大事に取っておく必要など 全くありません
捨てられないために コミュニケーションの不全は長く続くのです
非言語のコミュニケーションはすべてやめてみましょう
感情のすべて 欲求のすべてを言葉にする
何か言いたそうな表情や仕草 目つき ため息 こんな 親からもらったもの
「言わなくても察して欲しい」メッセージをやめましょう
自分以外の人間には 言葉以外の表現は通じないと覚悟しましょう
家族でも親戚でもないのです 例えそうであっても
言葉以外を通じさせることはやめましょう
あなたの世代で 親と同じ連鎖を止めましょう
子は自分が育ったように自分の子を育てます
この世代間連鎖を止めましょう
「愛をもらえなかった」代わりに
とても厄介なものをもらったのです
自分の人生の時間
引きこもりやニート
外の世界に出て行くという心の余裕がないまま
自分の内側の問題が解決しないまま 時間だけが虚しく流れている人たち
そして 自分の内側に不全感を抱えながらも その感情を抑え込み
引きこもることもニートになることもなく 社会に溶け込もうとする人たち
AC・共依存という大きな問題が解決しない限り 苦しい時間は過ぎていきます
親が健康なうちはまだ依存できます 親からの依存を受け入れることもできます
普通なら親が先に死んでいくものです 親が財産を残してくれるのなら まだ安心です
やがてそれもわずかになると 自分でどうしていいのか分からなくなる 行き詰まってしまうのです
もちろんその育ちは親からもらったもの 責められるべきは親
そのせいで自分を責める必要は全くありません
でも過ぎていったのは紛れもなく自分の人生の時間 でした
時間だけは親に返せと言っても 帰っては来ません
このような悲劇と大きな後悔を残さないためにも
なるべく早めの対処をする方がいいと思っています
親が亡くなれば 子は自立するのですが
それまで待って 大切な自分の人生の時間を無駄にしてしまうのは忍びないのです
子は親への愛着を手放して できるだけ早く自分の人生の時間を取り戻して欲しい
自分を大切に生きて欲しいと 心から思います
自分を変えていくことへの抵抗
ACから卒業する
AC共依存の嗜癖を手放す
自身にとっては願いが叶う 幸せな瞬間です
ただ心の奥底にはそれへの抵抗があります
変化への不安と恐怖
人は変わっていくものだ 変化し続けるものだ という学びをしていません
親は自分が生まれてからずっと今まで 何一つ変わらないので
子どもも変わることが分からない できないのです
親から離れる 親の支配から離れるとは 全てを自分で引き受けることになります
これはACにとって最大の恐怖
今まで親を拒否しながらも依存していたのですから
それがなくなるのは考えられないのです
他者から学ばないのがACの特技なのですが
親からの学びは素晴らしいものがあります 頑なに守る
これも親への愛着がそうさせるのでしょうか
親の教え(支配とコントロール)は見事に子に受け継がれます
頑固で人の言うことを聞かない
そうしていれば 親はいつも応えてくれていたのでしょう
支配とコントロールは親から子へ 子から親へ 振り子のように往復します
親へのしがみつき
そうしていないと不安で自立・自律できないのです
しがみついているその手を離して 自分の足で立つ
自分の意志で行動する 自分の感情で言葉を発する
自分の人生を自分で引き受けて自分の自由に生きる
これができるには よほどの覚悟が必要ですが
覚悟さえすれば 必ずできるのです
誰かのために生きるのではなく
見るとはなしに見ていたTV
元テニスプレイヤー松岡修造さんと子どもたちのテニス合宿
子どもに向かって修造さんが叱咤激励する場面がありました
君は真面目だけど 一生懸命やってるけど それは誰かに怒られないため
本当の君じゃない 本当の君を出せ と
ハッとしました
まさにACが持ち続ける嗜癖
誰かのために 誰かに怒られないために生きる
カウンセリングサークル(グループカウンセリングの場)にいた頃
50代の主婦の独白を聞いたことも思い出しました
「私はこれまでずっと 夫のため 子どものため 姑のために働いてきました」
「ふと気がつくと 自分がいないのです」と涙を流したのです
誰かのために生きていきたいAC
これはどこから来るのでしょうか
自己評価が低いために 他者からの評価で自分を測るのです
誰かに「あなたはよくやってる」と言われないと 自分の評価が低いのです
どんな時でも うまくいっている時でも失敗した時でも 自分の評価を下げないでいることができないのです
条件付きの愛で育てられた悲劇です
親の愛情に飢えていた
親の期待や欲求に応えることで 親からの愛を獲得できると考えていたのです
それは手に入れることができないまま 現在に至っています
その執着を手放すことができればいいのですが
自分のために生きていくことができればいいのですが
問題がどこにあるのか
ACの特徴に
「それはそれ これはこれと分けて考えることができない」
と書いたことがあります
自分の身の回りのいくつかの問題を
これはこれ それはそれと分けて考えることができれば
問題の整理もそう難しくはないのですが
分けて考える ができないために解決の糸口さえ掴めません
「生きづらい」などという漠然とした一つの大きな悩みとして重くのしかかります
身動きが取れないまま時間が過ぎていきます
漠然とした不安のまま その不満は自分の外側に向かいます
自分がこんな問題を解決できないのは社会のせいだ 誰々のせいだ と
解決できない理由を 自分以外のせいにして 先送りしてしまうのです
問題が自分の側にあることに気づかないことが多いのです
もしかしたら自分の側に問題があるのかもしれない と感じることがありません
このような認知(ものごとの受け止め方感じ方)の不全は やはり育ちから来ています
親は「自分は正しい 健全 間違いない」と生きています
それを見て子どもは学びます
自己分析 自己点検 自己変革の機能が働かないのです
もちろん他の家族と比べる機会などありません
この家族で育った子どもは 他の子どもとの関わりを通して 育ちの違いを感じていきます
ものごとの受け止め方 感じ方の違い コミュニケーションの違いが ここでようやく分かってきます
なぜ自分は他の子と同じようにできないんだろう?なぜ普通にできないんだろう?
他者からの意見やアドバイスに耳を傾けません 傾けても行動は変わりません
自分がこうすればいいのだと気づいても 頑なに変化を拒むのです
なかなか実行に移せない わかっちゃいるけどやめられない のです
問題がどこにあるのかが分かれば 解決は早いのです
「ママ」文月メイ
ずっと昔
こんな体験をしたような気がします
ACには多かれ少なかれ
こんな原体験があるのでしょうか
親の言い分 子の言い分
親は自分が育ったように子を育てる
これが家庭内連鎖 家族の輪廻といいます
不全な嗜癖は世代を越えて受け継がれるのです
親は子を育てるのに一生懸命です
「大好きよ」「愛してるよ」などの言葉を子どもに言うこともなく育てます
根底には溢れるほどの愛情があるのに それを言葉にすることもありません
愛=一生懸命 愛=育てるのに大変だった のです
言葉が足りないだけではなく 表情や仕草にも険しいものがあるのでしょう
子どもはそれを逆に受け止めます
一生懸命=大変な思いをさせてごめんね 育てるのに大変だった=生まれて来なけりゃよかったね
「大好きよ」「愛してるよ」の言葉ををもらえていれば 幸せに育ったでしょう
愛されていない実感は とても些細な行き違いかもしれません
「愛してる」って言わなかったから
子どもは愛されなかった不満を 成長してからも持ち続けます
親の悪口 さまざまな反抗や ひどい場合は暴力
親は思うのです こんな子に育てたはずじゃなかった
幼児期に親からたくさんの言葉かけをもらった子は ほとんど間違いなく健全に育ちます
愛されている安心感が根底にあるので 表現も豊かです
他者にも愛を伝えることができます
親子であっても他者どうし
言葉の大切さは他人に向かう時と同様です