向き合いたくはないけれど いつか向き合うことになる親のこと

ACをやめるために どうしても向き合わなければならない相手
今回は親とのことについて

大嫌いな親 でもその対極には それと同じ大きさの愛着があります
意識の上では嫌い でも無意識の世界では大好き という状態を あなたも気づいているでしょう
その上で お話を進めます

嫌いだけど 本当は大好きな親
嫌悪と裏腹な 自分の中の愛着 強い愛着
小さい頃 して欲しかったことはたくさんあったのに 何ひとつ応えてはくれなかった親
それでも諦められず 縋り付いても振り払われた
抱きしめて欲しかったのに 愛してると言って欲しかったのに
あの頃の欲求が満たされないまま 大人になったのです
そんな強い思いを抱えたまま大人になったのです
無意識の世界では 小さいあなたが親の手を 服の裾を握り締めて しっかりと掴んでいるのです
その手をそっと離して 自分の足で立つことができるまでは ACは終わりません
親との訣別が終わるまでは 子どもの自立 自律は始まらないのです

今は大嫌いで顔を会わせることも まともに話すこともしないでいるあなた
それでもいつかは きちんと向き合い感情を言葉にして親に伝える日が来ます
あの頃 言いたくて言えなかったこと 言って欲しくて言ってもらえなかったこと
感情的にならずに 風景を眺めるように 冷静に淡々と 自分の心情を親に伝えるのです

これを事前にシミュレーションしておくと 自分の言葉を自分の耳で聴くことができて効果的です
独り言で自分を確かめるのです

「小さい頃 熱ばかり出していたでしょ?病気になれば構ってもらえる 優しくしてもらえると 無意識に思ってたからだよ」
「商売が定休日の日 私が学校から帰ると家は暗くて 私は急いでパチンコ屋へ走って姿を探したんだよ 怖くて寂しかった」
「『育ててやってるんだからありがたく思え』と言われた時は 本当に悲しかったんだよ」
私ならこんなことを伝えたでしょうか

こんな会話を まるで風景を眺めるようにあの頃を振り返る会話を通して 親と和解ができれば とても嬉しいことなのですが 関係を修復できればいいのですが あまり期待はしにないように
親は子がそんなことを感じていたなど思いもしないでしょうから
あなたが自分の言葉で本当の気持ちを言葉にして伝えられたことだけでも良しとしましょう
実際 これが言えれば 気持ちがずいぶん変わるはずです 軽くなります
掴んでいた親の袖を離すことができた と感じる瞬間です
親から離れることができた と感じるでしょう この感覚が大切です

そして 愛着と同じ大きさの 親への恨みの憎しみも もう手放しましょう
あなたが手放すまでは 自立 自律できません 手放しましょう

そして しばらくして落ち着いたら 親の育ちを想像してみましょう
きっと子のあなたと同じように それ以上に悲しい苦しい思いをして
同じように親への愛憎を抱えて生きてきたのです
そのことを思えば 少しは親のことも 赦(ゆる)すことができるかもしれません
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思考停止 してはならぬ

子どもの頃 ドッジボールが苦手で嫌いで いつも憂鬱になった記憶があります

飛んでくるボールを避けることができずに すぐに当てられてしまうのです
固まってしまって逃げられない
ボールのルートや速さを予測して 自分がどの方向へ動けばいいか判断する 行動する これができない
飛んで来るボールを受け止めるか避けるかを判断して 体を動かす これができないのです
そしてひと度ボールを当てられると それが悔しくて 投げた相手が憎らしくて 後を引くのです
他のみんなは楽しんでやっているのに どうして私は楽しめないんだろう と不思議でした

それは 今になって 不安と恐怖 パニック そして思考停止だったことが分かります
家族のメンバーから日常的に受けていたもの
子どもの頃から実に長い時間をかけて しかも実に巧みにコントロールされたもの

例えば言葉 子の発言を遮る 拒否する 否定する言葉 うるさい 黙れ など 子の言葉を受け止めない 受け入れない態度
また非言語のメッセージ 表情 目つき 舌打ち

子は不安と恐怖でパニックに陥ります
どう反応していいのか どう対応していいのか分からない
相手は親なので それを拒否していいのか 反対していいのか分からない
親の言うことに従わなければ さらに強い不安と恐怖が待っているからです
子は黙ったまま 思考停止したまま 親に従うしかなかったのです

この思考停止の癖が 大人になった今でも続いているのです
親は巧みに子の自立 自律の機会を奪い 親に依存するように仕向け
子は親に依存されることに ささやかな喜びを見出すように仕向けられるのです

大人になった今 子は自由に思考できます 自由に感情を発露できます
親から離れ 自分の人生を生きる自由があります 自立 自律できるのです
子の自由を奪っていたのは親でした これが機能不全家族の正体

親は子の手を離そうとはしません
子の側からその手を放すしかありません

子は あの時にして欲しくてしてもらえなかったこと 言って欲しくて言ってもらえなかったことが終わっていないので 親を手放すことがとても難しいのですが
親への思いを諦める 親への強い愛着を手放すことが 一番の近道なのかもしれません
この葛藤を経て 子は自立と自律を手に入れるのでしょう

私の体験でも この過程が一番辛く 時間がかかりました
親への恨み 憎しみ その裏にある強い愛着 その全てを一つひとつ振り返り 終わったこととして受け入れ 心の中の引き出しにしまう その扉を閉めて鍵をかける もう二度と開けないと決める
そんな作業を何度も何度も繰り返して 自分の中を片付ける
あの頃言えなかったことを言葉にして自分の外に出してみる あの頃言って欲しかったことを言葉にして 今の自分に言ってみる
こんな自分の思いを手放して親を赦し 和解する
とても時間のかかる 何度も逡巡する体験でした

思考停止をやめる 今までの癖をやめる
思考を動かす 今ここの自分を感じて 自分が思うこと考えることを まず自分が実感する
こんな普通のことを手に入れるのにも 時間がかかります
でも それを手に入れた時の幸せを 愛おしく感じるのです

あなたにもこんな時間が待っているでしょう
その時を待ちましょう
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我慢しないで 嫌なら逃げて

今回は 我慢はいいことではない 逃げるのは悪いことではない というお話
我慢は美徳 と育てられたAC
我慢を強いられた育ちがあります
親からの愛を我慢させられ 親への愛も我慢させられ
自由な感情の表現を我慢させられ 笑うことも我慢させられ
それがACの普通でした
させられる ことに無抵抗でした これは幼児期からのこと
抵抗すれば何かしらの制裁があったからです 全てが条件付き
〜しなければご飯はあげないよ 〜しなければ欲しいものは買ってあげないよ
我慢することも 自覚して その必要を感じてする我慢なら 価値はあるでしょう
でも「させられる我慢」は苦痛と束縛 ストレスの原因でしかない
それをACは受け入れて育ったのです 自分の命と 少しばかりの安堵と引き換えに
我慢できる子はいい子 美徳という言葉で飾り 実はいいなりにさせたいという親の目論見
親にとって 子に我慢を強いることは 子を支配コントロールする上でとても効果的な方法でした
子は この癖が今でも続いています 本当は違うのに 無意識に我慢をしてしまう
普段の暮らしの何気ない部分にまで それは染みついているのです
この長い間の癖を手放すことも そう簡単ではないのですが
我慢することが自分にとってメリットがないなら 我慢の必要もありません
ここでいうメリットとは 単なる損得ではなく 自分の本当の感情 欲求に従ってのメリットです
その場限りの刹那のメリットではありませんので 誤解のないよう
自分の本当の感情 欲求に気づきそれを我慢はしないということです
親のために我慢をしている という無意識は そのまま親への依存を助長させることに気づきましょう
交換条件のように 我慢をするからその見返りを求めるという無意識に気づきましょう
逃げる=いけないこと
この呪縛にもどれほど苦しんだことでしょう
子を逃さないための親の方策 時には強権的に 時には猫撫で声で あるいは真綿で首を絞めるように
我慢する こととセットになって ACを縛り付けていました
子が一番愛する人が 実は子を一番苦しめていた 機能不全家族の悲しみ
親が苦しいなら 重くのしかかるなら 我慢しないで 逃げて構いません それが普通の対応
まずは親の元から逃げる 離れる 距離を取る 精神的にも物理的にも
自分の気持ちの中から 親の存在 親から貰った思考の癖を捨てる 実際の距離を置く 離れて暮らす
すぐにはできなくても 必ずその日はやって来ます
諦めないで

依存を終わらせるために

依存をやめることができれば どんなに楽になれることか
分かってはいるけど それでも依存をやめられないAC
不全感をいつまでも抱えているACには 最大の難関です
依存をやめる つまり自立・自律するというのはどんなことなのか
具体的にイメージできるといいと思います
自分はこの世にたった一人であること 尊重され 認められる存在であること
認められるとは 他者にではなくまず自分で自分を認められること
同様に 人は皆一人であり その意味では孤独であること
孤独に負けないように頑張るのではなく 孤独を普通に受け入れること
その孤独を自分で感じ 楽しむことができること
孤独だからこそ 他者を求める自分を自覚すること
自他の境界を分かり 相手を尊重すること
親を拒否しながら 違う依存先を求めることもあります
今までは親に依存していたのですが 恋人ができたり 結婚したり 子どもが生まれることで 依存の対象がそちらになるのです  
やっとこれで親離れができた 自立できた と安心するのですが 実はそうでもありません 
他者に依存する という嗜癖そのものは しぶとく残っています
依存することも 他者からの依存を受容することも やめる方がいいのです
依存という嗜癖が ACと言われる所以です
これをやめるのは至難の技といえますが
実はとてもシンプルでもあります
依存する相手がいなくなれば ほぼ依存はなくなります
例えば親であれば 亡くなったら 子の依存はなくなります
一番愛して欲しかった親はもういないのだと受け入れることができるのでしょう
本当の意味で 諦めがつくのでしょう
ひとつ気をつけたいのは 依存する相手がいなくなった時
それは親であったり 配偶者であったり 恋人であったりするかもしれませんが
依存の対象を変えて また依存を続けること
無意識のうちに他者に依存してしまう癖をやめることです
ここでも無意識を意識することが大切です

感情の表現を抑えないで

新しい年を迎えました
あなたは今年一年に どんな抱負を抱いているでしょうか
経済的 精神的な自立でしょうか?
親から離れることは最大の課題です
でも現実的には いざ就活となるとなかなか仕事がない
人間関係を作る 他者とコミュニケーションを取ることにも不安があります
コミュニケーションのトレーニングをしますか?
自分だけの一方通行ではなく 相手との相互通行
自分を表現するのと同じように 相手の意見 気分 感情を聴く力が求められます
自分の内側を探り 認知の歪みを直すことでしょうか?
親から貰った感じ方考え方 ものの受け止め方は 無意識にあなたを縛り あなたを苦しめます
自分を変えていく作業はそれなりにエネルギーを使います
変わったつもりでも実は今まで通り ということもあります
いいえ そうじゃない 何もしない と決めましょうか?
実はこれが一番大切な時期だという人も多いのです
何もしないことは 外に向かってのエネルギーを停止すること
その分 内側に向かいます 自問自答 急に答えは出ません
何年もかかります それほど傷は深いのです
ひとつ 挑戦して欲しいことがあります
感情を表す作業をすることです
話し言葉 または書き言葉で 自分の感情を表すのです
しかもそれを届ける相手を想定して
詩や散文などの心象表現ではなく 厳密な意味を持つ言葉で
そうなると相手は家族 親へ 一番嫌いな そして一番愛着のある人と向き合うのです
あなたの本当のところを 本音の本音を
『私は」を主語にした I messageを
一度は親に向き合い 自分の本音を伝える場面が来ます
相手が分かってくれるか分かってくれないかに関わらず
また親への欲求や不満ではなく
私はこうなんだよ こんな感じ こんな気分なんだよ こうしたいんだよ を伝える
私の場合 外で食事している時でした
「私を産んでくれたことには感謝していますよ でも育て方は失敗だったね」
これが言えた瞬間 あ 私は自立できた と思いました
相手が分かってくれたとは思いません「私ゃあんたを一生懸命育てたんだ」と撫然としていましたから
これは相手に言葉を届けると同時に 自分で出した言葉を自分の耳や目で見聞きして確かめる という役割も
自分を客観視する大切な作業だと思っています
自分の感情とじっくり向き合い 言葉に 文字にする作業
ぜひ試してください

自己決定 自己実現

カウンセリングや心理学の表現で多い 自己◯◯の四字熟語
今回は自己決定 について
自分で決める というとても単純な 分かりやすい表現ですが
実際にできているか やろうとして可能なことか 難しいかもしれません
この間の身の回りの出来事で あまりにも自己決定を放棄している風景を見たのです
自分で決められるのに 決めない 他人に決定を任せるのです
どうしてこんなことが起きるのか
自分で決めるということが できにくい状況になっているのでしょうか
誰かに決めてもらう 自分で決めることで生じる責任を回避したいとでもいうのでしょうか
仕事の現場でも それは些細なこと 例えば仕事で出る洗濯物を何リットルの水で洗うのか
そんなことどうでもいいのに 誰でも洗濯ぐらい自宅でやっている
洗濯物の量と水の量など誰でも決められる 何なら洗濯機ご本人にお任せしてもいい それほどのことなのに
ACの場合 自己決定という自由を奪われて育ちました 奪ったのは親
親は親自身を自己決定するのではなく 子という他者の自己を決めていました
親が子どものすべてを決めていました 幼児期なら仕方がありませんが 物心ついてからでもずっと
子は親のモノ 所有物でした 子はそれに反抗したくてもいつものあの不安と恐怖に晒されるのが嫌で 何も言えません
自分のことを自分で決める このシンプルでわくわくする体験をしないまま 大人になりました
誰かに決めてもらわなくては決められない 悲しい大人になりました
それどころかそんな親を見て 学んで育ちますから 自分も同じことをしてしまいます
愛着を持った他者に 距離を詰めて 自分の所有物だと思い込んでしまうのです
そして相手の自己決定の自由を奪うのです
自己決定の自由 そして他者の自己決定の尊重を
今からでも取り戻すことはできないでしょうか できます
自分の人生のすべては 自分で決めていいんだよ
たとえそれで間違ったり失敗しても それは自分で引き受ければいいんだよ
やり直せばいいんだよ と自分に語りかけるのです
そして自己実現
自分の理想 欲求 を実現する
これも長い間 自分の中で抑え込んでいた欲求を 外に出すことから始めます
欲求は悪 いけないこと という親からの呪縛を解くことです
「どう感じてる?」「で どうしたい?」感情と欲求を往き来して 自分で自分を決めていきましょう
言葉にして あるいは文字にして 出したものを自分の目で 耳で確かめて
ごまかしではなく本当の自分の感情と欲求を感じて それを受け止めましょう
受け止めたものは大切に 離さないように なりたい自分に向かいましょう

自己主張 そして自己防衛

ACはその育ちから 自己主張 自己防衛が苦手なようです
自己主張
文字通り自分の意見 考え 意志 感情も含めて 他者に伝える
頭の中では上手くできるのですが 実際に人に向けてとなると 言葉を飲み込んでしまう
上手く伝えられないのです
こんなこと言ったら相手にどう思われるか 嫌われるんじゃないか という恐怖心が強いのでしょう
これにも原因があります 親の受け止め方が嫌なものだった 拒否された 怒られた もっと酷い場合は虐待を受けた 無視された
これは幼児期から続いていました 物心つく頃から 極力自己主張しないように育てられています
親の言うことを聞くように 逆らわないように 親は手を替え品を替え 子を絡め取りました
自己防衛
自己主張とセットになって機能する 自分を守る方法 手段
これも親に奪われていました
子が自分の思い通りにならない 反抗する これは親にとっては不都合なことでした
子は自分の所有物である必要があったのです 親の思い通りに動くロボットのような存在でなければならなかった
反抗を見せるとやはり潰しにかかります 不快な表情 非言語メッセージに ここでもまた虐待 無視
自分で自分を守ることをしないので 無防備のままです 丸腰の状態
精神的な状態は 言わば裸の赤ちゃんのようなもの
防衛のための方法 言葉や態度 表情 仕草など 適切な方法を知らないので
外からの刺激に反応する時に 過剰防衛になったり防衛するはずが反撃になったり
またその先にある和解 仲直り 関係の修復を前提にできないので 防衛の加減が分かりません
こんな生育歴で大きくなりますから 大人になって他者と関わる時に 上手くコミュニケーションを取るのがとても難しいのです
ではどうしたらいい?
自己主張のトレーニングで 笑ってNoと言おう があります ご存知の方も多いでしょう
相手に何かを言われて それが嫌だったら 笑顔で静かに でも確かにお断りする というもの
ACの弱点は感情的になってしまうこと これをやめる 普通のテンションで しかも笑顔でNoと伝える
決してキレたり激昂しないよう 口ごもったりしないように まず心を落ち着けて
相手は自分に敵意を持ったり 攻撃しようとしているのではありません そこを勘違いしないように
そしてこちらも相手に敵意のないことを表すのが笑顔です
ボキャブラリーが少ないことを理由にする人がいましたが 決してそんなことはありません
少ない語彙でも相手には充分こちらの気持ちは伝わります
大切なのは これもご存知でしょう 自分を主語にした「I(アイ)メッセージ」私は〜と思う 私は〜ですよ
必ず「私」を主語にするのです 他の誰でもない まぎれもなく自分の思い 自分自身も自分の耳で聞いて確かめる
自己防衛は過剰になり過ぎないように
いざという時には自分を守ることは必須ですが 勝負ごとでも喧嘩でもありませんから 自分に余裕を持って
会話という相互交流を楽しむ気持ちで 言葉のキャッチボールを楽しむ気分で
お互いの共感が生まれることが 一番嬉しい成果ですから

ACの自己愛 ②自分を愛するために

自己愛
文字通り自分を愛することなのですが
愛することがどういうことなのか分からないACにとっては とても困難なこと
正確に言うと 無償の愛を知らない 生まれてから今まで 条件付きの愛で育って来たのです
見返りを求めない無償の愛ではなく 支配とコントロールに満ちた条件付きの愛
それは愛とは呼べないのですが 親も そして子も それが愛だと思い込んでいます
この思い違いが 大人になっても続きます
自分を愛せない人には 他人を愛することなどできない と ここでも何度か書きましたが
幼児期に親からもらう無償の愛は その後の子どものパーソナリティの形成に大きく影響します
ACにとっての自己愛は 親からもらったものと同様 条件付きの愛です
OKなら自分を好きでいられる でもNGなら嫌い
というより ACは基本的に自分のことがあまり好きではない どちらかというと嫌い とても嫌いと言ってもいい
自己嫌悪 自己否定 などの言葉が渦巻いているようです
他者を支配コントロールするのと同じように 自分も支配コントロールします
他者を無償の愛で愛せないように 自分も無償の愛で愛せないのです
これでは長い間に生き辛く 不全感を抱えたまま生きることになります
学校で 職場で 例えいじめに遭っても 帰って行ける家族という場所があれば 温かく迎えてくれる家族があれば 立ち直れるものですが
ACには帰る場所 自分の居場所がありません
生まれて来たことに 存在そのものに 子どもにとってはその世界のすべてである家族に祝福される という基本的な安心感がないのです
機能不全家族の最大の不幸です
さて 不幸にも親からの無償の愛をもらえなかったACは どう自分を愛するのでしょうか
そしてどう他者を愛するのでしょうか
自分を愛する 無償で 無条件に ただただ好きでいる
〜ができなくても 〜がダメでも 自分を嫌いにならない ずっと好きでいる この当たり前の シンプルなことを実行する
そして無償の愛の獲得ですが 原家族からは得られないので 他の健全な家族を真似る→学ぶことしかないでしょう
身近な他者から言葉 表情 仕草 一つひとつを丁寧に真似て学んでいく
ここで 感情を言葉にすることを実践します 喜怒哀楽を言葉にする
どれもACには未知の体験 体感になるはずです
そして親からの支配とコントロールを完全に捨てる 手放すことです
これもなかなか難しいのですが きっぱりと決別する
それでも時々 長い間に得た癖は現れますが 自覚しながら 直しながらゆっくり進めます
もちろん途中には挫折もあります 過剰な あるいは不足な言動もあるでしょう それもすべて学び
焦らず 腐らず 諦めず です

ACの自己愛 ①私は健全だ という思い込み

このところ 自己愛ということに思いを巡らしていました
で 私の体験
自分は健全だ と長い間思い込んでいました
AC家族の中で暮らしているので 外の世界の人との認知の歪み 感覚のズレに気がつきません
家族以外の他人と関わって始めて 自分は人と違う 変わっている と気づきます
物心ついた頃 友達の家に遊びに行って驚いたことがありました
その子は特に可愛い訳でもなく 成績がいいでもない子でした
ただ いつでも笑顔で優しい印象でした
その子と一緒に家に行くと お母さんが出迎えます
その子は母親に向かって走ります
母親はとびきりの笑顔でその子をハグするのです
ショックでした こんなに羨ましい光景が目の前で繰り広げられたのですから
そんなに出来のいい子でもない子なのに お母さんはこんなに愛せるものなのか
いい子じゃなくても 成績が悪くても こんなに愛してもらえるのか
ウチは違うぞ
そして うっすら気づいたのです ウチは普通じゃないかもしれない と
幼い私にはこの体験がありませんでした
愛される実感 体感 満足感 肯定感
生まれて来たことへの祝福 存在そのものへの歓迎
愛の言葉の語りかけ 気分や感情の言葉の語りかけ
これらは親自身も体験しなかったもの そのまま子へ連鎖するのです
無償の愛をもらえなかったのです もらったのは支配とコントロール
これを愛と勘違いして いいえ 疑いもなく信じて 受け入れていたのです
ですからそもそも無償の愛というものを知りません
文字通りの条件付きの愛
例えば 成績が良ければ褒めてもらえる 親の言うことを聞けば褒めてもらえる
それができなければ嫌い 嫌な表情 不機嫌な親になる
子どもは親に褒められるために 気に入ってもらうために必死に成績を気にし 言いつけを守ろうとします
自ら親の支配の下に入り込みます これは考えて行動するというより 本能的に といった方が近いのです
自分の命を預けているのですから 従わなければ明日の食事もままならないのですから
こうして育ったACは 大きくなってもこの嗜癖のままです
その時々の気分や感情を言葉にして 相手に伝えることができないのです
できることはことがら 情報の伝達 思考の言語化だけ
友達どうしの笑い合ったり泣いたり共感したりのコミュニケーションを眺めては
なぜ同じようなことが自分にはできないのだろう と不思議な思いでした
それでも自分は健全だと 思い込んでいました

自立と個の確立と

前回の続き
コミュニケーションが取れない自分と向き合い インナーチャイルドとの再会 癒しを通じて
自分との会話ができるようになりましたか?
ここで自立という課題があります
経済的な自立と精神的な自立があります
これはお互いに影響し合っているのですが 今回は分けて考えます ここでは精神的な自立を
ACの自立への第一歩は親離れ 親への強い愛着を自分の側から手放すことです
これもインナーチャイルドと会話をしてみます
あなた(インナーチャイルド)が握りしめて離さないでいる親の袖は もう離してもいいんだよ
もうあなたは自分の足で立てる 自分の足で歩けるんだよ 自由にどこへでも行けるんだよ と
そして大きくなったあなたもインナーチャイルドの手を離してあげます
自由に歩き 走り 跳ね 歌い 笑う姿を眺めます
そして見守ります 見守る これもあなたが小さい頃にしてもらえなかったこと
見捨てる 見放す ではなく 見守る
自分が自分を見守ることができるようになることが大切です
※何が親への愛着だ!親には恨み憎しみしかないっ!と仰るあなた
自分の内側を探ってください
恨み憎しみが強いということは 対極にその大きさと同じだけの愛着があるということ
気づきましたか?
自立の感覚
肩幅に足を開いて 足の裏全体を床に着ける
土の地面だとなお良いのですが どこでもいい フロアでも畳でも
自分は地球という大地の上に 自分の足で確かに立っている
大地のエネルギーが パワーが 足裏から身体全体を満たしている 身体が温かくなっていく
こんな感覚を得られればいいと思います
そして個の確立
ここでは「他の誰でもない たった一人の私」という感覚でいいと思います
シュタイナー教育の演劇ワークショップの導入部分で詠唱されると 教えていただいた詩
この世にたった一人の
他の誰でもない
かけがえのない 私
この詩を 大地のパワーと共に感じることができると 感覚が変わってくると思います