僕の音楽専門学校時代の恥ずかしい話

代表の大野木です!

 

大野木_1

 

 

今回は自分をさらけ出そうと思います(笑)

 

音楽専門学校時代の恥ずかしい話、

それは、、、

 

・1年目はほぼ学校に行っていなかった

 

 

厳密に言うと、3分の2は行ってなかったと言ったほうが正しいかもです。要は半分も行ってないのです。

とても高い学費を親に払ってもらっているのに、全くの自覚なし。

何故行かなかったのか?

今考えると2,3つほど理由があります(理由と言うか言い訳です)

・周りのレベルについていけてなかった

・ギター以外の授業は不要だと思ってた

・遊びたかった

 

高校生からギターを初めて、バンドも組んで、3年間ライブをいっぱいして自信満々で専門学校に入ったら、上手い人がいっぱいいました。

そりゃそうです、上には上がいますから。きっと自信を無くしてしまったんだと思います。

エレキギター科で入学しましたが、授業はキーボード、リズムトレーニング、理論など、ギター以外もありまして、、、

「なんでギター以外のことをやらなきゃいけないんだよ!」と嘆いていた当時、いやいや、バカですね。我ながら馬鹿を通り越してまさにお粗末な話です。

今になって思うのは、ほかの授業もこの先、絶対役に立ってくるということ。だけど当時は目の前のことしか見れなかった、若かったのかもしれないけど、我慢してでもしっかりと授業受けていればと悔いが残ります。

高校卒業後、1年空いて専門学校に入りましたが、地元や高校の友達などは皆、大学生になり、それなりにキャンパスライフを楽しんでいました。

そのキャンパスライフが羨ましかったんです、なので自分も遊びたかった。う~ん、中学生みたいな言い訳ですね(笑)

当時の専門学校にはもちろん、女性などあまりおらず、男性ばかり(エレキギターですからね)

サークルなんてすごくいい響きで本当に羨ましかった。サークルで合宿に行ったなんて、絶対楽しそう。とずっと思ってました。

なので授業そっちのけで友達と夜な夜な遊んだりしていました。きっと自分もその仲間に入りたかったんだと思います。

今思うと、親にとても高い入学金を払ってもらっているというのに、プロを目指すと言って入れてもらったのにこの有様。本当にけしからんですね、タイムスリップして当時の自分をどついてやりたいくらいです。親のお金で行かせてもらっているという自覚すらない、救いようがないです。おそらく迷いもあったんだと思います。

そんな劣等感まみれの1年目を過ごしました。

でも2年目は心を入れ替えて、ちゃんと授業に出て卒業しました。(単位とかはなかったので留年はありません)

ちなみに、同期入学はおそらく200人ぐらい、卒業時は50人以下だったと思います。そう、皆脱落していくのです。気づけば一人いなくなり二人いなくなりと。

そう、授業についていけず去っていくのです。今思うと、音楽ってのは改めて厳しい道なんだなと思います。

専門学生から15年ほど経ちますが、まさか自分が教室を運営して、たくさんの生徒さん、先生たちに囲まれてギターを教えて、いろんなジャンルを弾いて仕事ができるなんて、当時は1ミリも思っておりませんでした。

専門学校の入学当時は、絶対バンドで売れてやるって思ってましたらかね。

人の未来というものは、誰にも予想ができません。本人が一番ビックリしてますから(笑)

ということで、僕のサボり癖、怠け癖が垣間見えたのではないかと思います。今は少しマシになりました(笑)

真面目にやられている方は本当に尊敬です。。。

 

 

JAZZ’N HP

 

 

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