ACが他者とのコミュニケーションを上手く取れない原因の大きな一つ
健全な自己愛がとても低いことです
ほとんどないと言ってもいいほど自己愛が低いのです
自分を愛せない ということは他者も愛せないということです
自分を愛することができない人が 他人を愛することなどできません
自己愛というのは 簡単に言えば「自分が好き」ということ
(これが過剰だとナルシストになってしまうのですが)
ACはこれが苦手 基本自分のことが嫌い
好き という時も「条件付き」です 条件に合わないと「自分なんて嫌い」になります
好きも嫌いも丸ごとひっくるめて好き 自分を愛する ができません 無条件で自分を愛する ができません
育ちが原因です 親からもらったもの
親は自分が育ったように 自分の子どもを育てます
親の言う通りにしたら「好き」 言うことが聞けないなら「嫌い」と育てます
親の言うことを聞いたらモノを与える 聞けないなら罰を与える
子は親からすべてを学びます
条件付きの愛で育った子どもは 自分のことも条件付きでしか愛せません
まず自分に向けて 生まれて来たことへの歓迎 ここにいてもいいんだということを確かめます
原家族では歓迎されていないので 実感を得られるまで確かめます
親には愛されなかった分 自分で自分を愛する 生き直しの作業です
投稿者: accodependcy
回復のために④ インナーチャイルドと出会う
インナーチャイルド 内なる子ども
自分の中のもう一人の自分 とも 本当の自分 ともいいます
回復への第一歩はこのインナーチャイルドと出会うことです
本来 子どもは自由奔放で 笑顔で楽しく生きています
健全な家族に生まれた子どもは 自分がこの世に生まれたことを歓迎され たくさんの愛情表現を受け 幸せを体験しながら育ちます
自我の確立とともに感情の言語化もできるようになり 自己肯定や自尊心も芽生えます
インナーチャイルドも子どもの成長と並行して生きます
ACにはこれらがまるまる欠落しています
子どもは 強い恐怖 長く続く不安 例えばDV ネグレクト 無言のコミュニケーションなどに晒されます
そこではインナーチャイルドの成長が止まっています
具体的には恐怖の体験を「記憶から消して」なかったことにします その間の記憶が抜け落ちます
その時の感情も「なかったこと」にします 恐怖も不安も悲しみも何も感じなかったことにするのです
そうしないと生きていけないからです 無意識に本能的に子どもは「なかったこと」にします
その子には もはや自由奔放な表現はありません
そんな子のインナーチャイルドは 潜在意識の奥底にたくさんのブロック(身を守る壁)を作り 身を潜めて隠れています
長い間 抱きしめられることもなく 温かい言葉かけもしてもらえずに震えています
それを探し出して言葉をかけます 笑顔で 優しい言葉をかけます
驚いて身体を固くするかもしれません 言葉をかけてあげます
「やっと見つけた 今まで寂しい思いをさせてごめんね もう大丈夫 もう心配しなくていいよ もう怖くないよ これからはいつも一緒だよ」
インナーチャイルドが安心して 微笑むまで言葉かけをします
回復のために③ 「今ここ」を感じる
ACは過去の悲しみ恨み憎しみとともに生きています
幼児期の悲しみ 遠い過去の悲しみを脇に抱えています
いつでもその蓋を開ければ、昨日のことのように記憶は蘇ります
あの頃の傷が癒されていないのです
今も生々しく傷口は開いています
過去の悲しみでいっぱいいっぱいで 現在そして未来の自分をイメージすることができません
悲しい 満たされない過去を諦め 手放すことが必要なのです
終わったことを終わったこととして受け入れる そして手放す
それができて初めて「今ここ」を生きることができるようになります
そのためにはどうしたらいいのでしょう
今ここを生きていない自分に気づくことです
過去の悲しみに 未だに囚われている自分に気づくことです
過去を手放さなくては 現在も未来も来ないことを自覚することです
ACの潜在意識=無意識 の中には 幼児期の悲しみを抱えたままのインナーチャイルドがいます
悲しみのあまり 大人になれないでいるのです
そんなインナーチャイルドを探し出して 出会うことから始めます
回復のために② 欲求に気づく
ACが抑え込んできたのは 感情とともに欲求でした
というより 幼児期に満たされないままの欲求が終わらなかったのです
満たされない愛情欲求
愛されている 歓迎されているという実感が持てないまま 大人になりました
愛されたという満足があれば 自分を受け入れ(自己受容)自分を愛し(自己愛)自分を肯定(自己肯定)できたのです
それができないまま大人になりました
原初的な欲求が子どもの頃で止まっているので
その分 構って欲しい 分かって欲しいという欲求はとても大きいのです
でもそれを言葉にすることができません 黙って 非言語で訴えるのです
もちろん回りにはそれが理解できるはずもなく 長い間 見捨てられた感覚がありました
ACからの回復のために まずこの欲求に気づき それを言葉にすることです
「〜したい」「〜が欲しい」と言葉にするのです
言葉にするのと しないのとでは その差は歴然です
自分の内側に閉じ込めていたものを言葉にして 自分の外に出す
それを自分の耳で聴くのです
ここで初めて自分の欲求を客観的に知ることができます
この作業はとても重要です
欲求を言葉にすることができるようになると 感情もより言葉にできます
自分の中に立ち現れる欲求のその根本に 感情があるのです
「〜したい」「〜が欲しい」のはなぜ?と自分に問いかけると
「〜だから」という理由が見えてきます これが感情
いろいろな欲求は 辿っていくとどんな感情から生まれるのか が分かります
回復のために① 感情に気づく
ACは長い間 感情に蓋をしてきました
本能的に 無意識に「感じる」ことをやめたのです それは自分の命を守るために
あまりにもショッキングな風景に出会うと「見なかったこと」にして「記憶を消して」生き延びてきたサバイバーです
無意識の奥底に恐怖と不安の記憶を沈み込ませて 思い出すことがないように蓋をしました
それから後は自由奔放な 無邪気な子どもらしい感情の発露をすることもなく生きてきました
生きづらさ 不全感の根っこはここにあります
健全さを取り戻すためには 蓋をした感情を解放することです
ACの感情表現はネガティブなものの方が多いようです
恨み 憎しみ 悲しみ こんな負の感情を「言葉にして外に出す」ことをせず 自分の内側に蓄積させます
長い間の癖です この癖を捨てること やめることに取り組みます
感情を言語化することができない代わりに「感情的に」なる キレることを得意としていました
これもやめる必要があります きちんと言語化できるように訓練します
感情を言葉ににして他者に伝える 他者がそれを受け止め 言葉を返す という言葉による交流を体験します
これができるようになって初めて「自分の気持ちが相手に伝わる」喜びを知ります
そして逆のことも 今までは他者の気分感情を受け止めることなどできなかったのが できるようになります
ACは楽しい 嬉しい 幸せといったポジティブな感情を抑えています 抑えるというより「禁じて」いるようです
楽しんではいけない 幸せになってはいけない といった禁止令をやめることです
長い間自分を縛り付けていた禁止令を解くことで
自分がここに生きて暮らしていること 人生は悲しい苦しいことばかりではないことに気づきます
自分を祝福し 愛することができるようになります
回復への道
今までAC共依存が抱えるたくさんの不全感を書いてきました
自我の感覚がない しっかりした自己像が持てない
自立・自律できない 感情のコントロールができない・・・などなど
それは人が生きていくという上で基本的にとても重要なことですが
ACにはそれができませんでした それらを獲得する自由を チャンスを奪われていたのです
今までできなかったことで どれほど深い不安・今日をを抱えてきたことか
いったいこの不全から回復できるのでしょうか?
間違いなく回復できます
それはまるで生き直しとでも 生まれ変わるとでも言えるほど大掛かりですが
自分で自分を諦めない限り 必ず回復できるのです 健全さを取り戻すことができるのです
もちろん時間もかかるでしょうし 途中で「慣れ親しんだ感覚」に戻りたくなるかもしれません
でも 諦めない覚悟があれば回復できます
カウンセラーはそのお手伝いをします お手伝いだけです
クライアントの人生そのものに介入して あれこれと指図することはありません
クライアントの生き直しと自律を見守るのです
自分を変えようとしない 他人から学ばない
ACはなかなか自分を変えようとしません
言い方を変えると 変わるのが怖い 変化していくことに抵抗する
自分を変えるのに参考になる人は周りにたくさんいます
ACはそんな他人からも学ぼうとしません
人だけでなく本や芸術作品 あらゆる創造物
作者の人生観 価値観 学ぶ対象はたくさんあります
もちろん興味は示すのですが それを自分の側に引き寄せて 自分の内側に取り込もうとしないのです
そして変わりたくない自分がいることにも気づかないのです
例えば人からのアドバイス助言
これをなかなか受け入れようとしません 聞いている振りはするのですが
自分のやり方に固執する そのやり方は幼稚なので いずれ失敗しますが
失敗しても なぜ失敗したのかを学ばない 人のせい 周りの状況のせいにする
自分が失敗したのは 〜のせいだ 〜だからだ と
変わりたくない自分がいるのはなぜでしょう
インナーチャイルドはあの時に成長が止まったまま
それを片付けて終わらせないと 成長できないのです
あの時のあの出来事がずっと心の奥底に引っかかったまま
ACが「今ここ」を生きられない理由がここにあると ワタシは見ています
ACは過去の悲しみに囚われ 過去に生きているようです
愛って何?幸せって何?
ACには愛する愛されるという体験がありません
幸せな体験もありません
愛って何? 幸せって何?という問いは当然なのです
幼児期の充分な愛情体験がありません
抱きしめられる 撫でられる 生まれてきたことを歓迎される 笑顔を向けられる
愛してると言われる たくさんの言葉かけをもらう
こんな一連の 言わば愛のシャワーを浴びたことがないのです
誰でもそうですが 体験しなかったことは分かりません 認識も理解もできないのです
人にしてもらったことは体験や感覚の記憶として残り 今度は自分が人にしてあげる ができます
機能不全家族とは この体験や記憶の受け渡しの機能が壊れているということです
愛するという感情が分からない 表現できない その代わりを例えば過干渉や過剰な世話焼きで表現しようとします
愛する(感情)→過干渉(行動)に替えて表現しようとします そうするしかないのです
幸せという感情が分からない 表現できない その代わりを例えばお金を得ること 使うことで表現しようとします
幸せ(感情)→お金(モノ)に替えて表現しようとします そうするしかないのです
感情はそのまま言葉にして口に出せばそれでいいのですが それが分かりません
行動やモノに替えてしまうので 健全なグループからは理解できない「普通」じゃない人に映ります
これが対人関係につまずく第一の理由だと ワタシは見ています
自分の人生は自分の自由に生きられる
長い間 親からの依存と親への依存を続けているACには 自分の人生が見えません
巧みな支配とコントロールで そして無言のコミュニケーションで 過剰な干渉と世話焼きで
自分の人生を奪われているのです
本来なら自分の自由な人生を生きられるのですが
自分の感情と欲求で 自分の思う通りの人生を生きられるのですが
いつの間にか一卵性の親と子になってしまっています
もちろんその方が居心地がいいと 共依存の関係を続けていく親子もいます
当事者どうしがそれでよければ 周りが口を挟む筋合いもありませんが
それに親子の共依存の場合でさえ 親が亡くなれば子は自立します せざるを得ません
あるいは新しく依存の相手を見つけ出す場合もあります
でもそれを非難することはできません
彼らはそれを選んでいるからです 無意識であろうと意識的であろうと 自分で選びます
自分の嗜癖に気づき そこから抜け出そうとする人のサポートをする
周りの人間(カウンセラー)にはそれぐらいしかできません
結局は当事者本人の覚悟〜不全感から解放されたいと強く思うこと〜が唯一の頼りです
さまざまなパーソナリティ障害の根っこはAC・共依存
パーソナリティ障害(かつては人格障害と言われていましたが 呼び方が変わりました)という診断名があります
いわゆる医学分野ではこのような分類に分かれています
パーソナリティ障害の区分 (DSM/Wikkipediaより)
妄想性パーソナリティ障害 Paranoid personality disorder
スキゾイドパーソナリティ障害 Schizoid personality disorder
統合失調型パーソナリティ障害 Schizotypal personality disorder
反社会性パーソナリティ障害 Antisocial personality disorder
境界性パーソナリティ障害 Borderline personality disorder
演技性パーソナリティ障害 Histrionic personality disorder
自己愛性パーソナリティ障害 Narcissistic personality disorder
回避性パーソナリティ障害 Avoidant personality disorder
依存性パーソナリティ障害 Dependent personality disorder
強迫性パーソナリティ障害 Obsessive-compulsive personality disorder
特定不能のパーソナリティ障害
これらの診断名がついている訳です 診断できるのはもちろん医師だけです
医師は病気として診断し 薬を処方します
カウンセラーなどコ・メディカルの分野の人たちは医師ではありませんからもちろん診断できません
そもそも診断自体があまり意味がないと考えるのです
人によって症状の現れ方はそれぞれで、それを診断名で括るのは意味がないのです
カウンセラーはこれらを病気ではなく嗜癖として捉え そこからの解放をサポートする立場です
カウンセラーにとってもクライアントにとっても大切なのは分類ではなく 不全感からの解放です
その嗜癖を逆にたどって行くと 根本にはAC・共依存があると考えるのです
AC共依存こそが さまざまな嗜癖の根っこだと ワタシは捉えています