言葉にならないSOS

SOSについて触れましょう
いじめ・いじめられ 不登校 引きこもり 暴力行為
リストカット 拒食・過食の摂食障害なども含めた自傷行為
OD薬の大量服用 アルコール 覚せい剤 ギャンブルなどへの依存症
そして自死未遂
これらの一連の行為・行動を 彼らからのSOSだと受け止めています
言葉でひとこと「助けて」と言えばいいのですが それが言えません
他者を頼る 甘える 助けを求める ができないのです
自分の弱さを認めたくないのでしょうか
すべてを一人で抱え込み 飲み込んで生きています
これで苦しくないはずはありません
ちょっとしたきっかけがあれば その固まりは爆発します
キレる のです
キレてしまうと思考停止 頭の中は真っ白になります
体が勝手に動くだけです
気がつくと 自分が起こしてしまったことに呆然とするのです
言葉にならないSOS
他者に 親に 助けを求めてもいいんだよ というメッセージをもらえなかった不安
不安や恐怖を言葉にできなかった悲しみ
ACアダルトチルドレンの心の中には 明るい色などありません
殺伐とした暗く冷たい 灰色の風景の中に 一人で立っています

分かって欲しい 構って欲しい

幼児期に満たされなかった欲求
分かって欲しい 構って欲しい は大人になってからも続きます
幼児期に分かって欲しかったのは欲求 そしてその奥にある感情 でした
自らもACである親は 残念ながらそんな我が子を分かってはくれませんでした
その名残は続きますが 肝心の「感情を言語化する」ことができません
原家族では通じる表情やしぐさ ため息などを 他人に向けて分かってもらおうとするのですが 当然ながら通じません
感情を言葉にする 欲求を言葉にすることができない不全感
分かってもらえない悲しみ 怒り 憎しみが渦巻きます
同様に 他人の気持ちを分かる ということができません
健全な相手は感情を言葉にして伝えているのですが 残念ながらそれは分かりません
ことがらは理解できても 相手の感情に共感するということができないのです
共感が生まれないまま コミュニケーションは失敗します
相互通行でなく一方通行のコミュニケーションです
「分かって欲しい」とともに「構って欲しい」が強いACです
幼児期に充分構ってもらえなかった その名残です
構ってもらうためにいろいろなことをして周りの気を引こうとします
これも残念ながら 相手には受け止めてもらえません
自分の側に問題があるのだとは気づくこともありません
いつも分かってくれない相手に責任があると 相手を責めるのです

家族の輪廻〜世代間連鎖〜

自分が育ったように子どもを育てる と書きました
病気なら伝染したり遺伝病であったり 家族から家族へ伝わります
AC共依存の嗜癖は病気ではありません でも家族から家族へ伝わります
世代間連鎖 〜家族の輪廻〜と呼んでいます
親は自分が育ったように子どもを育て
その子どもはまた同じように 自分が育ったように自分の子どもを育てます
自分がどう育てられたかをなぞるように育てます
暴力を受けて育った子は同じように
口のきき方 表情 怒り方 までそっくりになってしまいます
これも幼児期の学びです
幼児期の子どもは口がきけませんが 見る 聴くはできます
言語化するというのは かなり高等な能力です
子どもは家族のメンバー〜父と母の〜夫婦の「関係」を見て育ちます
そこからコミュニケーションのパターンを学び 人間関係を学びます
親は幼児期の子どもに 話しかけ 語りかけ 言葉かけをします
この言葉を聞いて 子どもは気分や感情 感覚を言葉と結びつけます
泣いていたら「寂しいのね」「悲しいの?」 笑っていたら「楽しいね」「嬉しいの?」など
感情や感覚と言葉が結びつきます
機能不全の家族のメンバーには このような言葉かけがほとんどありません
その代わりに 非言語のコミュニケーションを多用します
表情 しぐさ ため息 
それをお互いが「察して」それぞれの対応を決めます
このコミュニケーションパターンが 次の家族に伝染っていくのです

自分を愛する 他者を愛するということ

ACアダルトチルドレンは自分を愛することが下手です
健全な自己愛がない あってもとても低いのです
自分を愛するにも条件付きです 〜できたなら OKなら好き 〜できないなら NGなら嫌い
好きも嫌いも含めて 丸ごとのありのままの自分を愛する ということができません
条件付きの愛で親から育てられたからです
健全な親なら 子どもを無条件で愛するでしょう
でもこれも条件付き 親からの支配とコントロールで育ちます
自分を愛することができないので 他人を愛することもできません
そもそも愛するって何? が分からないようです
幼児期を条件付きの愛で育っていますから 無償の愛が分からないのです
愛する ってどんなことでしょう
私がいて あなたがいる 私はあなたが好き 言葉にすればこんなにシンプルなことです
行動にするなら手を握ったりハグしたりキスしたりと 安心と幸せを感じる瞬間です
これが分からないのです
愛=好きという感情 ではなく
愛=欲求 相手を求め束縛・支配すること と思い違いしているのかもしれません
好きも嫌いも含めて 丸ごとのありのままの自分を愛することができたら
好きも嫌いも含めて 丸ごとのありのままの他者を愛することができたら
どんなに素晴らしいことでしょう

無防備な赤ちゃんのように

ACアダルトチルドレンの おそらく最大の弱み
自分を守る方法を知らない ということでしょうか
タイトルの通り まるで無防備な赤ちゃんです
他者からのさまざまな攻撃から 自分を守ることができないのです
言われたら言われっ放し 相手に反論・反撃ができない
相手の攻撃をそのまま受け止め 飲み込んでしまう
咄嗟の反撃をすればいいのに あるいはその場から逃げればいいのに それもしない
じっと体も心も固く閉ざして その場に縮こまるのです
これも幼児期の学びでしょう
もちろん家族のメンバーから 父親と母親の関係から学びます
反撃すればそれ以上の暴力を受けることは目に見えています
選んだ方法が「何も言わない 何もしない」なのでしょう
そして他の家族のメンバーが手を差し伸べてくれるのをじっと待つ
これも適わないことなのですが じっと耐える
例えば家族の暴力(多くは父親)に じっと耐える人を見て学ぶのかもしれません
そしてその裏側で 相手への恨み憎しみを募らせます
こんな出来事が度重なるごとに その感情を増幅させます
何かをきっかけに その感情は爆発します
家族から学んだのは暴力 キレることです
相手の攻撃をかわしたり 言葉で反撃したり ではありません
楽しく親密な交流も 攻撃への反撃も あらゆる健全なコミュニケーションも学べないまま
他者との世界に放り出されます

親の過保護 過干渉を愛情と受け止める

ACの親もまたACです
親から愛をもらえないまま育って自分の子を育てます
愛してる という感情を言葉にしてもらっていないので
愛するとはどういうことなのか分かりません
ですから 自分が育ったように子どもを育てます
愛してるよ という言葉の代わりに 物を与えます
親の言うことを聞いたり 親の思い通りにすると OKのサインで物を与えます
心配しているよ という言葉もかけられていないので 代わりに 過保護・過干渉の世話焼きをします
子どもの代わりに身の回りのことをして 自分を満足させます
子供は失敗しながら学ぶ自由を奪われます
こうして親の支配とコントロールの下で育った子どもは 自律・自立ができません
自分は一人の人間としてここに立っている という感覚がありません
自分の人生を自分で歩く 自分で判断して自分で決める ができません
子どもは親の支配とコントロールを 愛情と受け止めます
愛してるよ と言われることはありませんから 他に受け止めるものがないのです
愛する=面倒を見る 支配・コントロールという公式を 親から受け継ぎます
子どもには 愛されているという感覚がないので 長い間空虚な 不安な時間が続きます
満たされない感覚は 長い間子どもの自立と自律を奪います

他人に評価されることでしか 自分を評価できない

ACアダルトチルドレンは自己評価が低いと書きました
自分なんかダメ 自分が悪い と自分を評価できません 自己否定の強さが過剰なのです
いい部分も持っているのに、悪い部分が勝ってしまう
いいところも悪いところも含めて 丸ごとのありのままの自分を愛する
ということができないのです
これもまた育ちのせい
親から評価されて育っていないためです
自分で自分を評価できないので 他者からの評価をとても重視します
自分が他人にどう見られているか とても気になります
自分が他人に何かをして 他人の評価を基準にするしかありません
他人に何かをして喜んでもらうことを 自分の喜び 評価にします
評価してもらった時の満足感は大きく その時は満たされるのですが
低い評価を下されると 地獄の苦しみです
そして自分を低く評価した人との関係を遮断します

時間の感覚がない 人生設計ができない

ACアダルトチルドレンの時間の感覚は独特です
インナーチャイルドの成長が止まったままですから 時間の感覚がありません
幼児期 DVなどで強い恐怖や連続するストレスにさらされると その記憶はなくなります
記憶自体を消して 「なかったこと」にしてしまおうとします これも本能的に
でないと生きていけませんから 記憶を消します
ここでインナーチャイルドの成長は止まります いつまでも子どものまま
ですから 時間は永遠にあると思い込んでいます
時として子どもっぽい言動をしてしまうのも この理由からです
時間の感覚がないということは 自分の人生の時間を認識できないこと
人生設計ができないのです
20代の後半までに〜をして 40代の前半までには〜になっていたらOK など
時間を連続して認識できません
明日のために今日はこれをやろう 何年後のために 何十年後のために ができない
ですから「なりたい自分」が見えない 「なりたい未来」が見えないのです
幼児期のトラウマが その後の人生をここまで支配してしまうのです
すべては不幸な育ちが災いします

自我の確立ができない

この世にたった一人の 他の誰でもない かけがえのない私
今 ここにいる自分 をきちんと感じられる
今ここに生きている幸せを感じられる
この感覚が 健全に育った人ならば誰でも持っている「自我」の感覚です
自分という存在を感じ それを肯定し 自分のすべてを受け入れ 愛する
自己受容 自己肯定 自己愛 自尊心ということができて 初めて人は自立・自律できます
ACアダルトチルドレンには これができません
自分のことが嫌い 自分を愛せない 自分が悪い なのです
生きてる幸せ感がとても小さい いいえ ほとんどありません
これこそがACのいわゆる「生きづらさ」の根っこともいえます
自分を感じられない 愛せない から生まれる不全感は とてつもなく大きいのです
そんな育ちをした自分を 自分のせいだと思っています
自分が悪いと責め続けます
そんな自分に育てた親のせいだ とは気づかないまま
自分が悪いのではないと気づかないまま

〜して欲しい が終わらない

自分の感情が分からない と書きましたが
ACは自分の欲求も自覚できません
相手に 〜〜して欲しい と言葉にできないのです
これも長い間自由奔放な感情を抑え続けた結果です
幼児期 親にたくさんの愛を受け たくさんのことをしてもらって子どもは育ちます
ACの場合はこれが希薄
親の愛情が希薄ですからスキンシップさえままなりません
子どもはは安心して親の胸に飛び込むことさえできません
親からのハグやスキンシップがないことは 子どもの不安や恐怖を増幅させます
険悪な家族の中では 恐怖と不安の感情があるために
子どもとして当たり前の欲求までも抑えてしまうのです
親の怒りや攻撃を避けるためには して欲しくても我慢してしまいます
親に「〜して♡」と甘えることさえ抑えるのです
例えば笑顔で抱きしめてもらえれば 簡単に満たされる といったごく原初的な欲求なのですが
この素直な欲求さえも言葉にできないのです
幼児期に この当たり前の欲求が満たされないために
成長してからも幼い欲求は満たされることを求めます