自分の内側を片付けているか

大掃除の時期 そして一年を振り返る時期です
一番大切な自分の内側は片付いていますか
ACの心の内側
過去と現在がごっちゃになって 未来も見えてきません 
片付けるにも手がつけられない状態です
過去の恐怖 不安 悲しみは いつでも思い出せます
生々しい感覚はすぐに蘇ります
過去の記憶は今も自分の中では「今」のこと
過去を過去として終わらせることができないのです
終わったこととして手放すことができません
どうしたらこれを終わらせることができるのでしょうか
大きな壁一面の小さな引き出し あるいは扉付きの収納棚 をイメージしましょう
これを整理するのに似ています
過去の様々な出来事 それにまつわる家族のエピソード その時の記憶 感覚
例えば幼い頃の親からの暴力 父親の言動 母親の表情 その時の恐怖 不安 悲しみ
これをいったん思い出します それをそのまま引き出しにしまいます そして必ず鍵をかけます
この時 過去の感情に引き込まれたりしないよう注意します
風景を眺めるように 一枚の絵を眺めるように 自分と距離を置いて眺めます
ああ あの頃はこんなことがあったんだ あんなに悲しくて苦しかったんだ
でももうそれは終わったことなんだ 過去のことを思い出して 今を悲しむ必要はもうないんだ と自分に語りかけます
そしてそれを手放します 見送ります 自分の手から離れて 川面をゆっくり流れていく船のように
過去と決別する儀式のようなものです 
今まで無意識に(潜在意識の中だけで)行われていたものを 意識的に行うのです
うやむやの中で自分も気づかないうちにやっていたことを 意識してやるのです
意識的に行うことで 過去を片付け 終わらせることができます
自分の内側を少しずつでも片付けて
心穏やかに新しい年を迎えたいものです

自分の時間を自分のために使っているか

時間の感覚が希薄なのも ACの特徴でしょう
インナーチャイルドの成長が止まって あるいは大幅に遅れているのです
身体は時間と共に成長していくのに 心はあの頃のままです
このギャップに 多くのACは悩んでいるでしょう
そして自分の人生の時間 という感覚がないこと
あの頃は 親のことが気がかりで 心配でいっぱいだったのです
家族のメンバーの不安定 不全は 子の成長に大きな影を落とします
自分のことは後回しで 安心して時間を過ごすことができなかったのです
その上 親の支配とコントロールで「自分」という自我の感覚がありません
自分は親のもの という意識が強いのです
もちろん幼児期の子は 親の元で守られる必要があるのですが
親の所有物ではありません 親子であっても別の人格
でもこの区別ができていません 
インナーチャイルドがあの頃のままなのですから
親の側を離れられない 自立・自律できないのです
十分な愛をもらっていないから 不安と恐怖でいっぱいです
握りしめている親の手を 安心して離すことができないのです
まだ親といたい 自立うることへの恐怖と不安がなくなっていないのです
親は自分のものであり続けたいから それと引き換えに自分の時間を親に差し出す
こんな感覚なのかもしれません
自分の人生の時間 という感覚を取り戻すためには どうしたらいいのでしょうか
親に奪われた時間を取り戻すことはできません
これからの時間を自分のためだけに使うことを目指しましょう
1日は24時間 眠る時間を差し引いても 長いスパンで考えるとそんなに時間はありません
自分のやりたいことを どうしたら成し遂げられるのか
そのシミュレーションをすることも大切です
そのための道筋は一つではいけません いくつもいくつも想定します
あの手がダメならこの手で それでもダメなら違う方法で… という感じです
自分を諦めないことが大切です

「分かって欲しい」が終わっているか

多くのACが求めるのが「分かってほしい」でしょう
もちろん誰でもこの思いはあるのですが
普通の人とどう違うのか
ひとつは「分かって欲しい」という思いが過剰
もうひとつは 自分の「分かってほしい」思いを言語化するのが下手
自分のことを分かってもらえなかった悲しい幼児期がそうさせるのか
今の苦しみ悲しみ不全感を とにかく全部自分と同じように分かって欲しい
家族や親せきならばそれができるかもしれません それとて叶わないかもしれない
家族といえども別々の人間ですから
その強い「分かって欲しい」を他人にまで求める
そしてそれが叶わないと知ると 関係を遮断する 
分かってくれない悲しみは相手への恨み憎しみに転化され増幅される
分かって欲しい欲求が強いほど 分かってくれない恨みも強くなる 表裏一体
しかも何を分かって欲しいのかを言葉にできない
それなのに分かって欲しいと求める
どうすればいいでしょう
他者と理解をするためには 言葉を使うしかないことを理解しましょう
そしてそれを実践するのです
もちろん最初から上手くいく訳はありません 訓練あるのみ
拙い言葉でもいい 何度でも言い換える できるだけ思いをピンポイントで言葉にする
相手に届くように 言葉を選び発するのです 文字の方がよければ文字にして
ここでようやく「感情を言葉にする」ことの大切さ 難しさを実感するでしょう
家族や親戚などのメンバーと 他人は違うことの当たり前さに気づくでしょう
機能不全家族のメンバーの中では有効だった「非言語のメッセージ」は役に立ちません
もう一つ大切な観点があります
他者が分かってくれることが 自分の人生にとってそんなにも重要なことなのか
実はそれほど重要ではないのでは?
分かってもらうことは安心につながりますが それ以上でもそれ以下でもない
自分の側に「分かって欲しい」の奥に 別の欲求があることにも気づく必要があります
それは「構って欲しい」です
ACは分かってもらうだけでは満足できず 構ってもらいたいのです
これを終わらせる必要があります
他者に自分を分かってもらえたら嬉しいけど 分かってもらえなくてもいい
構ってもらえたら嬉しいけど そうしてもらわなくてもいい
自分が感じたもの感じたことが 自分にとっての真実であり
他者にそこまで介入してもらう必要ない という点です
自分の足で立っている実感です

自分を守ってあげられているか

赤ちゃんのように無防備なAC
ちょっとした悪口や中傷 他人からの悪口 陰口に
その場では何も言い返せず 反論も弁解もできずに黙ってしまう
そんな場面が今までに多々あったでしょう
外からの圧力や他者からの攻撃に対して
とっさの反撃ができない 思考停止してしまって対応ができない
そのために必要以上に傷ついてしまうのです
その結果 被害者意識が強くなる 被害妄想が現れるなど
どんどんマイナスになってしまう
そしてそんな自分に対して 当の自分自身までもが
自分を嫌悪し否定してしまうのです
自分を自分で守れない 自分で自分を傷つけてしまうのです
どうしてこんな対応をしてしまうのでしょうか
自分自身だけが頼り この意識が欠落しているのでしょうか
これも親からもらったもの 育ちがそうさせるのです
機能不全家族の悲しさ
子は親からの悪口雑言に 黙って耐えます 耐えるしか方法がないのです
ひとたび反抗しようものなら その何倍ものお返しが待っているのです
下手をしたらその日の食事がもらえないかもしれません
それは子の命を直接脅かすものです 黙って耐えるしかないのです
もう一つの側面が そんな親への愛着
こんな親でもに子はたった一人の親
子は親を愛しているし 自らも愛されたい
愛されたいのに親は愛してはくれない むしろ自分を拒否する
この葛藤 愛情欲求の不満です
成長し大人になってもこの「黙って耐える」癖は抜けません
相手が赤の他人なのに 無防備なままで接してしまう
相手には他意はないのに ちょっとした言葉に過剰反応してしまう
不本意ならその場で反論すればいいのですが その言葉を飲み込んでしまう
これをやめるために 感情をすべて言葉にする というトレーニングをしましょう
長い間閉じ込めてきた言葉を 自分の外に出しましょう
気をつけなければいけないのは 言葉を武器にしないこと
相手から攻撃された時の反撃のためにだけ使うことです
言葉は他者とのコミュニケーションのために使いましょう
自分を守るとは 相手も守ってあげること

自分を好きでいられているか

親の愛をもらえなかったAC
自分を誰かに好きになってもらう 愛してもらう 構ってもらう ができない連鎖が続きます
待っていても 求めても 親は自分を愛してはくれませんでした
正確に言うと「自分が望む愛し方をしてくれない」のです
親は親なりに子を愛していたのでしょうが それが伝わりませんでした
親自身も自分の親から満足な愛をもらっていないので 「愛する」が分からなかったのです
自己愛のないAC これも親譲りです
自分で自分を愛する ができないのです
愛するそのものの認知(ものの受け止め方 感じ方)が歪んでいるのです
子は親への愛情欲求の不足 不満に 長い間不安に育ちました
その癖が大人になってからも自分を苦しめます
機能不全家族の「愛する」は 感情が希薄です
それに反して支配とコントロールが過剰
普通ならば笑顔で「愛してる」とだけ言えばいいのに
眉間にしわを寄せて相手の世話を焼くのです
過剰な世話焼き 過干渉を 愛すると勘違いしています
これでは愛する幸せ 愛される喜びなど感じることもできません
ACはこうして育ち 大人になりました
ACは人を好きになる前に まず自分を好きになることから始めることが必要です
親からもらったこれらの認知を捨てて ただ好き という感情を育てます
今まで自分のことなんて大嫌いだったのに 好きにになることなんてできません
それは自分を条件付きで好き嫌いをしていたから
好きも嫌いもまるごとの自分を「好き」でいるのです
〜ができないから嫌い 〜だから嫌い はもうやめましょう

ACと仕事②

かつては人それぞれの特性に合った仕事の選択肢がいろいろあったのだと思います
ワタシの両親は自営の理容業
人を相手にする商売というよりは 職人気質の業種でした
癇癪持ちで無愛想で無口な父親には向いていたのかもしれません
職人としての腕は良かったようです
総合病院から手術用メスの研磨を受けていたようですから
それでも気に入らないと仕事を放り出して姿を消していましたが
母親はうわべの愛想はよく お世辞も上手く客あしらいをしていました
その分 裏では人の悪口 陰口をたたき ワタシはそれを痛い思いで聞いていました
二人ともどう見ても会社勤めはできない人たちでした
そんな人にはそれなりの それに向いた職種があったのです
一人でコツコツやるのが好きな人には それに向いた仕事
要領は悪いけどいい仕事をする人にはそれなりの
現代ではどうでしょう?
機械化に押されて 手仕事 職人仕事は減ってきているのではないでしょうか
それぞれの適性を活かした仕事を選び それに就くことができているでしょうか
仕事そのものへの興味と 周りの人間関係が上手く構築できるか
仕事をするということには この二つの側面があると思います
ACは仕事そのものは得意なのです 器用で技術的なレベルも高いのです
ところが人間関係の構築が苦手
仕事はできるのに人間関係が上手くいかないために その場を去ることも多いのです
この理由も 何度も出てくる感情の交流ができないこと
自分の感情を言語化して他者に伝える
他者の感情の言葉を理解して応える ができないこと
こうして社会からはじかれた人はフリーターやニート 果ては引きこもってしまうしかないのでしょう
原因は自分の側にありながらも 自分は被害者という意識を持っています
自分は悪くない 悪いのはあの人のせい 社会のせい と
この部分を少し分けて考える必要があります
自分は被害者 というのは親子の関係の中でのこと
親が加害者であり子は被害者
他人や社会のせい というのはまた別の問題 と切り分けることが必要でしょう
また ACであっても成人してしまえば一人前
いつまでも親のせい他人のせい 社会のせいと言っていても何も解決しません
誰もその代わりをしてはくれません
自分で自分を律していく 生かしていくことはしてもいいのです
それこそが生きる実感 生きる幸せでしょう
人は一人ひとり違います
その性格 適性 気質によって 自分がどんな仕事に向いているのか
自分で自分をよく知ることが大切です

ACと仕事

ACなら誰もが一度は経験しているであろうこと
仕事に就いても周りの他者との関係が上手くいかず コミュニケーションが取れない
ことがら 情報のやり取りはできるのに 気分や感情の交流ができず 疎外感を感じる
人と同じように他人の話に共感したり 共感を得たり ができない
結果 仕事に就いてもそう長続きせず 職を転々としたり
ニートや引きこもってしまったり
それは自分が悪いのではないのです ACの必然 育ちのせい
幼児期のトラウマ 不安と恐怖 親への愛情欲求の不足 不満
子にとっての最重要課題 親との関わりの不全感が解決していない 終わっていないのです
自分の内側の大切な部分が片付いていないのに 社会に向かうことなどできないのです
そのことが自分でも自覚できないので 言語化できない というだけなのです
これを終わらせることがまず先決
自分のインナーチャイルドを癒し 親の支配とコントロールから離れること
自分の感情や欲求を言葉にするトレーニングをすること
これらがある程度までできない状態では 外の社会と関わるのは無理でしょう
無理やり関わっても自分が苦しくなるだけです
子が仕事に就けない理由は親にあるとも知らず 親は言います
とにかく仕事をしろ と
親の願いはそれだけです
仕事さえしていれば 心の状態がどうであろうと関係ない と
子どもの心が理解できないのです もちろん自分の心も
AC親の価値観は お金 モノ なのです
子にしてみれば 何と酷なことを言うのかと言いたいのですが
それは言葉にはなりません
感情を言葉にすることができていないのですから
感情を言葉にすることができさえすれば ごく普通に生きていけたのに
これができないために 必要以上の苦労をすることになります
家族の輪廻 家庭内連鎖の弊害は深刻です

ACの子育て

ACが家族の輪廻 家庭内連鎖を最も実感するのが 子育ての場面でしょう
親のようにはならない 反面教師のつもりで子育てをするのですが
気がつけば自分が育ったように自分の子どもを育てています
自分が小さい頃に受けた扱い
暴力や無言のメッセージ 仕草 ため息 表情
同じように子どもにしているのです
まず幼児期の「言葉かけ」がありません
生後から3歳頃までの幼児期に親からの言葉をもらっていないのです
幼児は話すことができるのは一番後になりますが 
それまでの間に見ることも聴くこともできています
健全な家族の場合
この間に親は言葉のシャワーを浴びせます
例えば子どもが泣くと「寂しかったのね」「悲しいね」
笑うと「楽しいね」「嬉しいね」
幼児はそれを学ぶのです 行動と感情が繋がるのです
もちろんスキンシップも充分です
柔らかく温かい肌に抱かれる安心感は その後の心の成長に大きな糧をくれます
この体験がないACは この世に生まれて来たことの幸せ
親から歓迎され愛されていることも分かりません
(歓迎されていない 愛されていないことが分かるのです)
不安があるだけ
そしてこの不安に恐怖が加わります
親の言動です
いけないと分かっているのに 思わず叩いてしまった
言葉で伝えなければいけないのに 黙って怒ってしまった
子どもと笑顔で向き合えない 怒った顔になる
子どもの気持ち 感情を受け止めることができない
共感できず つい指示的になる 過干渉になる
自分を振り返ると まさにこの通りです
暴力を受けて育った子どもは 自分の子どもにも暴力を振るいます
自分が育ったように 自分の子どもを育てるのです
機能不全家族のメンバーは 言語のコミュニケーションがとても弱いのです
例えば悪いことをした子どもに 話して諭す などができません
親自身も感情的になって 怒りの感情で暴力を振るうのです
言葉以外の他の方法で まるでそれを補うかのように
これに気づくとかなりショックを受けます
ここから立ち直るにはどうしたらいいのでしょう
悲しい過去をすべてリセットして 記憶を消して
それができればどんなにか楽でしょう
でも残念ながら 悲しい記憶は深く潜在意識の中に沈み
消えてなくなることはありません

ACの結婚

類は友を呼ぶ といいます
短い会話でお互いの不幸を一瞬にして嗅ぎ取ったACどうし
すぐに惹かれ合い恋に落ちるのですが
愛する という感情が分からないままです
欲求を貪り合う とでもいうように お互いを求め合います
今までの不足感を取り戻すかのように
愛する のではなく 求める のです この違いは大きいのです
勢いで結婚するという言い方がありますが ACどうしもまさにその例
ただ 一緒に生活を始めても あまり充実したものにはなりません
喜怒哀楽の感情を言葉にすることができないので 気分や感情の交流がありません
やり取りはことがらや出来事の情報交換だけ
恋愛の時と同じように 相手を束縛 支配しようとします
新婚時代はそれも快感ですが 時間が経つとお互いのわがままが出て来ます
ACに欠けている「ありがとう ごめんなさいが言えない」はここでも登場します
相手を認める 赦す 受け入れる ができないので お互いの不満は少しずつ募ります
罪を憎んで人を憎まず と言いますが それもできません 
坊主憎けりゃ 袈裟まで・・・の世界です
気持ちのすれ違い 行き違い 誤解 
お互いの関係の修復 和解ができません
ちょっとしたきっかけで喧嘩 そして離婚
ACの行動や認知のお手本は親です
親からもらったものを 自分の結婚生活でも繰り広げます
私は親のようにはならない と反面教師 という言葉を使っても いつの間にか同じことをしてしまいます
自分の親を見てみましょう 夫婦の関係は健全でしょうか
あなた自身を眺めてみましょう あなたの夫婦は大丈夫ですか?

ACの恋愛

親からの愛情をもらえずに大人になったAC
自分自身の恋愛にも大きな影響を与えます
なかなか大変なのですが それでも相手は見つかります
同類 です
ACどうし 機能不全家族に生まれ 育った人どうしは 少ない言葉のやり取りで共感できます
「ウチの親はアルコール中毒(依存)でさぁ・・・」
「私の母親は過保護で過干渉で・・・」
この言葉でお互いが共感できます
同じ不満 不全感を持って生きていることが理解できるのです
「自分もそうなんだよ」「私と同じ」
二人の距離はすぐに縮まります
自分にとって最重要のことを理解し共感してくれる人に出会えたのです
それぞれの個性や指向ではなく 生育歴で一致 共感できるのです
ここからACの恋愛が始まります
親からの「愛しているよ 大好きよ」の言葉をもらっていないので 愛することが分かりません 
愛される喜び 安心感を持ったことがありません
愛することを教えられずに育ったので 愛し方が分かりません
代わりに他の方法でそれを表現しようとします 
欲求です
愛情という感情は自覚できませんし表現できませんが 欲求なら自覚できます
ACにとって愛する とは 支配 束縛 同一化 そんな言葉と置き換わるようです
愛してる と言葉で言えないので その代わりの言葉を探します
好きだから〜したい 愛してるから〜して と欲求の言葉が並びます
自分の欲求を満たそうと 相手を振り回します
相手に尽くす 貢ぐ 世話を焼く 過剰に干渉する
相手と一つになろうと 相手との境界を乗り越えます 自他の境界がなくなるのです
愛しているからあなたは自分のもの という 親からもらった認知がそうさせます
私がいて あなたがいる 私はあなたが好き
健全な人の認知は 相手との境界があって 相手を認め尊重します
相手の存在 感情 意思を認め そのままを愛します
ACには このシンプルな感覚 感情が体験できていないのです
余分な感情 欲求が付いて来ます 
上手くいっているうちはいいのですが ちょっとしたことで行き違いが生じると 歯車が狂い始めます
相手が自分の欲求を満たしてくれないとなると怒る 泣いてすがり付く あるいは嫉妬する
最後は恨み 憎しみの感情だけが残ります
相手との関係を遮断して その恋愛は終わります
そして次の相手を捜すのです
破局の原因を相手のせいにしているので 自分の側に反省がありません
答えはすべて 自分の中に
この言葉をかみしめる必要がありそうです