「壁ドン」の危険性(転載)

送られて来たニュースレターの中に こんな巻頭言が
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草食系男子はやさしくて、でも、ちょっと頼りない。最近は壁をドンと叩いて強引に迫ってくる男子に人気が集まっているとか。
だが壁ドンは危ない。DVの一歩手前だ。
人は自由を与えられると、かえって不安になる。自分よりも強い者に服従し、依存したくなる。その方が楽だからだ。
社会心理学者エーリッヒ・フロムは、ワイマール憲法下でも自由が保障されていながら人々がヒットラーに屈した訳は、市民が自由のもたらす不安に耐えきれず「自由からの逃走」を企てたからだと分析する。
壁ドン男子も同じだ。屈服する前にその危険性を考えておきたい。
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NPO法人DV被害者支援活動のための基金 理事長・渥美雅子 氏 同法人News Letter vol.31より転載
法人ホームページ
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「こんなことしてみたい」「こんなことされてみたい」
と密かに思った人も多いでしょう ここまで流行するのですから (実際に行われているかどうかは別にしても)
流行 と言ってしまえばそれまでですが カッコいい言動 の裏に こんな危険が隠れているとはちょっと驚きでした
現実には壁ドン男子だけでなく壁ドン女子もいるでしょうから 男女どちらにも言えること
「してみたい」側の征服欲 所有欲 「されてみたい」側の従属性
壁ドン という行動の奥にどんな欲求が さらに奥にはどんな感情があるのか 確かめるいい機会になりました
小さなことでも無意識に 無批判に受け入れないことは大切ですね

新しい年を迎えて

新しい年が明けました
新しい年をどんな思いで迎えたでしょうか
なりたい自分を具体的に描けているでしょうか
今年はどんな一年にしたいか 何となくでもイメージできているでしょうか
あなたの内なる自分 インナーチャイルドは十分に癒せたでしょうか
あなたの実年齢近くまでに大人になったでしょうか
自分を嫌いにならずに 愛することができていますか 無条件に自分を愛せていますか
今ここに生きている幸せを感じていますか
自我の確立はできましたか
精神的な自律 経済的な自立はできましたか 親の支配 コントロールから逃れることができましたか
過去の悲しみを自分から離して 一枚の絵のように眺めていますか
余分な感情を差し挟まずに 物事を捉えることができていますか
欲求の奥にある自分の感情を感じられていますか
感情を言葉にできていますか 飲み込まずに言葉にして自分の外に出していますか
無意識にそれを抑え込んでいませんか
過剰な思い込み 被害者意識は捨てられましたか
自己評価は上がりましたか 自己嫌悪はなくなりましたか
他人の目や評価は気にならなくなりましたか
自分を客観視できていますか
他者との適切な距離を取れるようになりましたか
他者からのちょっとした言葉にも適切な反撃をして 自分を守っていますか
我慢したり諦めたりしていませんか
こう並べていくと ACをやめるのにこんなにもたくさんのハードルがあるとは
それほど幼児期の辛い体験は その後の生育に 人格の形成に影響を与えるものなのです
でも諦めないで
少しずつでも新しい気づきをして 自分を幸せにしていきましょう

自分の内側を片付けているか

大掃除の時期 そして一年を振り返る時期です
一番大切な自分の内側は片付いていますか
ACの心の内側
過去と現在がごっちゃになって 未来も見えてきません 
片付けるにも手がつけられない状態です
過去の恐怖 不安 悲しみは いつでも思い出せます
生々しい感覚はすぐに蘇ります
過去の記憶は今も自分の中では「今」のこと
過去を過去として終わらせることができないのです
終わったこととして手放すことができません
どうしたらこれを終わらせることができるのでしょうか
大きな壁一面の小さな引き出し あるいは扉付きの収納棚 をイメージしましょう
これを整理するのに似ています
過去の様々な出来事 それにまつわる家族のエピソード その時の記憶 感覚
例えば幼い頃の親からの暴力 父親の言動 母親の表情 その時の恐怖 不安 悲しみ
これをいったん思い出します それをそのまま引き出しにしまいます そして必ず鍵をかけます
この時 過去の感情に引き込まれたりしないよう注意します
風景を眺めるように 一枚の絵を眺めるように 自分と距離を置いて眺めます
ああ あの頃はこんなことがあったんだ あんなに悲しくて苦しかったんだ
でももうそれは終わったことなんだ 過去のことを思い出して 今を悲しむ必要はもうないんだ と自分に語りかけます
そしてそれを手放します 見送ります 自分の手から離れて 川面をゆっくり流れていく船のように
過去と決別する儀式のようなものです 
今まで無意識に(潜在意識の中だけで)行われていたものを 意識的に行うのです
うやむやの中で自分も気づかないうちにやっていたことを 意識してやるのです
意識的に行うことで 過去を片付け 終わらせることができます
自分の内側を少しずつでも片付けて
心穏やかに新しい年を迎えたいものです

自分の時間を自分のために使っているか

時間の感覚が希薄なのも ACの特徴でしょう
インナーチャイルドの成長が止まって あるいは大幅に遅れているのです
身体は時間と共に成長していくのに 心はあの頃のままです
このギャップに 多くのACは悩んでいるでしょう
そして自分の人生の時間 という感覚がないこと
あの頃は 親のことが気がかりで 心配でいっぱいだったのです
家族のメンバーの不安定 不全は 子の成長に大きな影を落とします
自分のことは後回しで 安心して時間を過ごすことができなかったのです
その上 親の支配とコントロールで「自分」という自我の感覚がありません
自分は親のもの という意識が強いのです
もちろん幼児期の子は 親の元で守られる必要があるのですが
親の所有物ではありません 親子であっても別の人格
でもこの区別ができていません 
インナーチャイルドがあの頃のままなのですから
親の側を離れられない 自立・自律できないのです
十分な愛をもらっていないから 不安と恐怖でいっぱいです
握りしめている親の手を 安心して離すことができないのです
まだ親といたい 自立うることへの恐怖と不安がなくなっていないのです
親は自分のものであり続けたいから それと引き換えに自分の時間を親に差し出す
こんな感覚なのかもしれません
自分の人生の時間 という感覚を取り戻すためには どうしたらいいのでしょうか
親に奪われた時間を取り戻すことはできません
これからの時間を自分のためだけに使うことを目指しましょう
1日は24時間 眠る時間を差し引いても 長いスパンで考えるとそんなに時間はありません
自分のやりたいことを どうしたら成し遂げられるのか
そのシミュレーションをすることも大切です
そのための道筋は一つではいけません いくつもいくつも想定します
あの手がダメならこの手で それでもダメなら違う方法で… という感じです
自分を諦めないことが大切です

「分かって欲しい」が終わっているか

多くのACが求めるのが「分かってほしい」でしょう
もちろん誰でもこの思いはあるのですが
普通の人とどう違うのか
ひとつは「分かって欲しい」という思いが過剰
もうひとつは 自分の「分かってほしい」思いを言語化するのが下手
自分のことを分かってもらえなかった悲しい幼児期がそうさせるのか
今の苦しみ悲しみ不全感を とにかく全部自分と同じように分かって欲しい
家族や親せきならばそれができるかもしれません それとて叶わないかもしれない
家族といえども別々の人間ですから
その強い「分かって欲しい」を他人にまで求める
そしてそれが叶わないと知ると 関係を遮断する 
分かってくれない悲しみは相手への恨み憎しみに転化され増幅される
分かって欲しい欲求が強いほど 分かってくれない恨みも強くなる 表裏一体
しかも何を分かって欲しいのかを言葉にできない
それなのに分かって欲しいと求める
どうすればいいでしょう
他者と理解をするためには 言葉を使うしかないことを理解しましょう
そしてそれを実践するのです
もちろん最初から上手くいく訳はありません 訓練あるのみ
拙い言葉でもいい 何度でも言い換える できるだけ思いをピンポイントで言葉にする
相手に届くように 言葉を選び発するのです 文字の方がよければ文字にして
ここでようやく「感情を言葉にする」ことの大切さ 難しさを実感するでしょう
家族や親戚などのメンバーと 他人は違うことの当たり前さに気づくでしょう
機能不全家族のメンバーの中では有効だった「非言語のメッセージ」は役に立ちません
もう一つ大切な観点があります
他者が分かってくれることが 自分の人生にとってそんなにも重要なことなのか
実はそれほど重要ではないのでは?
分かってもらうことは安心につながりますが それ以上でもそれ以下でもない
自分の側に「分かって欲しい」の奥に 別の欲求があることにも気づく必要があります
それは「構って欲しい」です
ACは分かってもらうだけでは満足できず 構ってもらいたいのです
これを終わらせる必要があります
他者に自分を分かってもらえたら嬉しいけど 分かってもらえなくてもいい
構ってもらえたら嬉しいけど そうしてもらわなくてもいい
自分が感じたもの感じたことが 自分にとっての真実であり
他者にそこまで介入してもらう必要ない という点です
自分の足で立っている実感です

自分を守ってあげられているか

赤ちゃんのように無防備なAC
ちょっとした悪口や中傷 他人からの悪口 陰口に
その場では何も言い返せず 反論も弁解もできずに黙ってしまう
そんな場面が今までに多々あったでしょう
外からの圧力や他者からの攻撃に対して
とっさの反撃ができない 思考停止してしまって対応ができない
そのために必要以上に傷ついてしまうのです
その結果 被害者意識が強くなる 被害妄想が現れるなど
どんどんマイナスになってしまう
そしてそんな自分に対して 当の自分自身までもが
自分を嫌悪し否定してしまうのです
自分を自分で守れない 自分で自分を傷つけてしまうのです
どうしてこんな対応をしてしまうのでしょうか
自分自身だけが頼り この意識が欠落しているのでしょうか
これも親からもらったもの 育ちがそうさせるのです
機能不全家族の悲しさ
子は親からの悪口雑言に 黙って耐えます 耐えるしか方法がないのです
ひとたび反抗しようものなら その何倍ものお返しが待っているのです
下手をしたらその日の食事がもらえないかもしれません
それは子の命を直接脅かすものです 黙って耐えるしかないのです
もう一つの側面が そんな親への愛着
こんな親でもに子はたった一人の親
子は親を愛しているし 自らも愛されたい
愛されたいのに親は愛してはくれない むしろ自分を拒否する
この葛藤 愛情欲求の不満です
成長し大人になってもこの「黙って耐える」癖は抜けません
相手が赤の他人なのに 無防備なままで接してしまう
相手には他意はないのに ちょっとした言葉に過剰反応してしまう
不本意ならその場で反論すればいいのですが その言葉を飲み込んでしまう
これをやめるために 感情をすべて言葉にする というトレーニングをしましょう
長い間閉じ込めてきた言葉を 自分の外に出しましょう
気をつけなければいけないのは 言葉を武器にしないこと
相手から攻撃された時の反撃のためにだけ使うことです
言葉は他者とのコミュニケーションのために使いましょう
自分を守るとは 相手も守ってあげること

自分を好きでいられているか

親の愛をもらえなかったAC
自分を誰かに好きになってもらう 愛してもらう 構ってもらう ができない連鎖が続きます
待っていても 求めても 親は自分を愛してはくれませんでした
正確に言うと「自分が望む愛し方をしてくれない」のです
親は親なりに子を愛していたのでしょうが それが伝わりませんでした
親自身も自分の親から満足な愛をもらっていないので 「愛する」が分からなかったのです
自己愛のないAC これも親譲りです
自分で自分を愛する ができないのです
愛するそのものの認知(ものの受け止め方 感じ方)が歪んでいるのです
子は親への愛情欲求の不足 不満に 長い間不安に育ちました
その癖が大人になってからも自分を苦しめます
機能不全家族の「愛する」は 感情が希薄です
それに反して支配とコントロールが過剰
普通ならば笑顔で「愛してる」とだけ言えばいいのに
眉間にしわを寄せて相手の世話を焼くのです
過剰な世話焼き 過干渉を 愛すると勘違いしています
これでは愛する幸せ 愛される喜びなど感じることもできません
ACはこうして育ち 大人になりました
ACは人を好きになる前に まず自分を好きになることから始めることが必要です
親からもらったこれらの認知を捨てて ただ好き という感情を育てます
今まで自分のことなんて大嫌いだったのに 好きにになることなんてできません
それは自分を条件付きで好き嫌いをしていたから
好きも嫌いもまるごとの自分を「好き」でいるのです
〜ができないから嫌い 〜だから嫌い はもうやめましょう

ACと仕事②

かつては人それぞれの特性に合った仕事の選択肢がいろいろあったのだと思います
ワタシの両親は自営の理容業
人を相手にする商売というよりは 職人気質の業種でした
癇癪持ちで無愛想で無口な父親には向いていたのかもしれません
職人としての腕は良かったようです
総合病院から手術用メスの研磨を受けていたようですから
それでも気に入らないと仕事を放り出して姿を消していましたが
母親はうわべの愛想はよく お世辞も上手く客あしらいをしていました
その分 裏では人の悪口 陰口をたたき ワタシはそれを痛い思いで聞いていました
二人ともどう見ても会社勤めはできない人たちでした
そんな人にはそれなりの それに向いた職種があったのです
一人でコツコツやるのが好きな人には それに向いた仕事
要領は悪いけどいい仕事をする人にはそれなりの
現代ではどうでしょう?
機械化に押されて 手仕事 職人仕事は減ってきているのではないでしょうか
それぞれの適性を活かした仕事を選び それに就くことができているでしょうか
仕事そのものへの興味と 周りの人間関係が上手く構築できるか
仕事をするということには この二つの側面があると思います
ACは仕事そのものは得意なのです 器用で技術的なレベルも高いのです
ところが人間関係の構築が苦手
仕事はできるのに人間関係が上手くいかないために その場を去ることも多いのです
この理由も 何度も出てくる感情の交流ができないこと
自分の感情を言語化して他者に伝える
他者の感情の言葉を理解して応える ができないこと
こうして社会からはじかれた人はフリーターやニート 果ては引きこもってしまうしかないのでしょう
原因は自分の側にありながらも 自分は被害者という意識を持っています
自分は悪くない 悪いのはあの人のせい 社会のせい と
この部分を少し分けて考える必要があります
自分は被害者 というのは親子の関係の中でのこと
親が加害者であり子は被害者
他人や社会のせい というのはまた別の問題 と切り分けることが必要でしょう
また ACであっても成人してしまえば一人前
いつまでも親のせい他人のせい 社会のせいと言っていても何も解決しません
誰もその代わりをしてはくれません
自分で自分を律していく 生かしていくことはしてもいいのです
それこそが生きる実感 生きる幸せでしょう
人は一人ひとり違います
その性格 適性 気質によって 自分がどんな仕事に向いているのか
自分で自分をよく知ることが大切です

ACと仕事

ACなら誰もが一度は経験しているであろうこと
仕事に就いても周りの他者との関係が上手くいかず コミュニケーションが取れない
ことがら 情報のやり取りはできるのに 気分や感情の交流ができず 疎外感を感じる
人と同じように他人の話に共感したり 共感を得たり ができない
結果 仕事に就いてもそう長続きせず 職を転々としたり
ニートや引きこもってしまったり
それは自分が悪いのではないのです ACの必然 育ちのせい
幼児期のトラウマ 不安と恐怖 親への愛情欲求の不足 不満
子にとっての最重要課題 親との関わりの不全感が解決していない 終わっていないのです
自分の内側の大切な部分が片付いていないのに 社会に向かうことなどできないのです
そのことが自分でも自覚できないので 言語化できない というだけなのです
これを終わらせることがまず先決
自分のインナーチャイルドを癒し 親の支配とコントロールから離れること
自分の感情や欲求を言葉にするトレーニングをすること
これらがある程度までできない状態では 外の社会と関わるのは無理でしょう
無理やり関わっても自分が苦しくなるだけです
子が仕事に就けない理由は親にあるとも知らず 親は言います
とにかく仕事をしろ と
親の願いはそれだけです
仕事さえしていれば 心の状態がどうであろうと関係ない と
子どもの心が理解できないのです もちろん自分の心も
AC親の価値観は お金 モノ なのです
子にしてみれば 何と酷なことを言うのかと言いたいのですが
それは言葉にはなりません
感情を言葉にすることができていないのですから
感情を言葉にすることができさえすれば ごく普通に生きていけたのに
これができないために 必要以上の苦労をすることになります
家族の輪廻 家庭内連鎖の弊害は深刻です

ACの子育て

ACが家族の輪廻 家庭内連鎖を最も実感するのが 子育ての場面でしょう
親のようにはならない 反面教師のつもりで子育てをするのですが
気がつけば自分が育ったように自分の子どもを育てています
自分が小さい頃に受けた扱い
暴力や無言のメッセージ 仕草 ため息 表情
同じように子どもにしているのです
まず幼児期の「言葉かけ」がありません
生後から3歳頃までの幼児期に親からの言葉をもらっていないのです
幼児は話すことができるのは一番後になりますが 
それまでの間に見ることも聴くこともできています
健全な家族の場合
この間に親は言葉のシャワーを浴びせます
例えば子どもが泣くと「寂しかったのね」「悲しいね」
笑うと「楽しいね」「嬉しいね」
幼児はそれを学ぶのです 行動と感情が繋がるのです
もちろんスキンシップも充分です
柔らかく温かい肌に抱かれる安心感は その後の心の成長に大きな糧をくれます
この体験がないACは この世に生まれて来たことの幸せ
親から歓迎され愛されていることも分かりません
(歓迎されていない 愛されていないことが分かるのです)
不安があるだけ
そしてこの不安に恐怖が加わります
親の言動です
いけないと分かっているのに 思わず叩いてしまった
言葉で伝えなければいけないのに 黙って怒ってしまった
子どもと笑顔で向き合えない 怒った顔になる
子どもの気持ち 感情を受け止めることができない
共感できず つい指示的になる 過干渉になる
自分を振り返ると まさにこの通りです
暴力を受けて育った子どもは 自分の子どもにも暴力を振るいます
自分が育ったように 自分の子どもを育てるのです
機能不全家族のメンバーは 言語のコミュニケーションがとても弱いのです
例えば悪いことをした子どもに 話して諭す などができません
親自身も感情的になって 怒りの感情で暴力を振るうのです
言葉以外の他の方法で まるでそれを補うかのように
これに気づくとかなりショックを受けます
ここから立ち直るにはどうしたらいいのでしょう
悲しい過去をすべてリセットして 記憶を消して
それができればどんなにか楽でしょう
でも残念ながら 悲しい記憶は深く潜在意識の中に沈み
消えてなくなることはありません