バンドで飯って食ってけんの?その③


 

こんばんは、代表の大野木です。
さぁ、このシリーズはその③までやってきました。

 

前回の記事はこちら

 

 

話はそれますが、先日昔のバンドメンバーで飲む機会があり、このシリーズの記事を読まれていることにとても恥ずかしくなりました、、、
そして早く続きを書けと言われました。
ということで今回はそのちょっとだけ売れたバンドのことを面白おかしく書こうと思います。

まずは僕がこのバンドに入ったきっかけです。
僕は高校卒業後、1年フリーターをして音楽専門学校に入りました。

その在学中にバンドをやりたいと思っていたところ、某都内スタジオでの張り紙を見て電話しました。
SNSじゃないですよ、張り紙です。(時代を感じますね)
そのころの僕は「ブライアン・セッツァー・オーケストラ」が大好きで、こんな感じのバンドをやりたいと思っていました。

僕自身、管楽器の音はすごく好きだったので、張り紙に管楽器のメンバーもいるということだけで連絡してしまったのです。
いざバンドに入ってみると、なんとスカというジャンルのバンドだったのです。
目立ちたがり屋でアホな僕は、「ブライアン・セッツァー・オーケストラ」みたいなバンドができると思い、ワクワクしていましたが、スカというよくわからないジャンルのバンドに入ってしまい落胆していました。
本当に本当にアホな僕は、そのうち「ブライアン・セッツァー・オーケストラ」のようなバンドに変えていってやろうと秘かに思っていたのです。
これはバンドメンバーも知らないでしょう(笑)

変えていってやろうって思うなら自分でバンドを立ち上げろって感じですね、本当にせこくてずるがしこい自分でした。
こんなアホなきっかけですが、CDリリースし、全国ツアーまで回るという素晴らしい経験をすることができました。
まずは「ブライアン・セッツァー・オーケストラ」に感謝。(笑)

さぁ、バンドが始動しました。
運よくドラム、ベース、ギター、キーボード、サックス、トロンボーン、トランペットの7人のメンバーが集まりました。
すごいですね、スタジオの張り紙だけでメンバーが集まるんですね。

当時はSNSも全くなくて、動画などももちろんないです。

どんなことをやるバンドかもわからないのに集まってしまう、逆にワクワクするんでしょうかね。
この編成で7人も集まったのがすでに奇跡なんかじゃないと、今思ったりします。

バンドメンバーが集まらいなとお悩みの方は、スタジオに張り紙を貼りまくるのはいかがでしょうか(笑)

あまり結成当時のことは覚えていないのですが、最初からオリジナル曲をやっていたような気がします。

そう、結成当時僕はこう思っていました。
「このバンドなんでボーカルがいないんだ。」
そう、インストバンドなのです。
ボーカルがいなくて誰が聞きに来てくれるんだと思いました。

スカのインストバンドというのも知らずに連絡してしまった。また僕はここで後悔するのです。。。

ですが、やっていくにつれて、スカの面白さ、インストの面白さがわかってくるようになります。
バンドの立ち上げをしたリーダーはスカのことをいろいろ教えてくれました、CDもいっぱい借りました。
スカの歴史、そしてスカの中でまたいろいろなジャンルがあることを知りました。
日本でスカと言えば「東京スカパラダイスオーケストラ」、「The Ska Flames」は外せませんね。
CDもたくさん聞きましたし、ライブにも行きました。

結成して半年以内に5曲以上のオリジナル曲は作ったと思います。

おそらく、スカの定番曲もコピーしたりしていたと思います。
なんせメンバーの半数以上がスカをよく知っていなかったですからね。
やりながら勉強していった感じでしょうか。

リーダーも本当に大変だったと思います。

ちなみに当時のオリジナル曲が出来上がっていく様子はこんな感じです。

1.リーダー(サックス)がメロディのみを持ってくる
2.音感がいいメンバー(キーボード、ベース、トランペット)がコードを付ける
3.バンドメンバーであーだこーだ言いながらアレンジ作業
4.メンバー全員、「ここはこうしたい」などと頑固なのでアレンジがなかなか決まらず。
5.最終的に誰かが折れるか、どうでもよくなってきたという感じで曲が完成(笑)

そう、自分も含めてメンバーは個性が強かったです。

自分のバンドなのでここはこうしたい、というのが出てきますよね。
でも面白いのは、リーダーはメロディだけ持って来たら、後は放置。
というよりも個性のぶつかり合いをまとめてくれてました、さすがリーダー。

さぁ、曲もできて30~40分のライブができるようになりました。
ここからは2年ぐらいはライブ、ライブ、ライブ。
これでもかってぐらいライブをやりました。

一番最初にバンドで出演したライブハウスは「三軒茶屋HEAVEN’S DOOR」、千葉県に住んでいた僕は遠いなと思いつつも、よく都内、横浜などでライブをしたのです。

遠くて嫌だなという思いよりも、楽しい思いの方がきっと強かったんだと思います。
若かったので体力もあったんでしょう(笑)

そして都会に出たかったんだと思います。。。
ちなみに当時、ライブハウスに送ったデモ音源は

 

 

カセットテープ
かせっとていぷ

 

 

響きが懐かしすぎて、今一人でじ~んときてしまいました。
そう、当時はカセットテープにオリジナル曲を一発録りしてライブハウスに送っていたのです。
いわゆる音源審査というやつですね。

今は、こういう音源審査などはあまりないかもしれませんが、厳しいライブハウスではあったりしますね。
要はライブハウス側があんたら下手くそだから出ちゃダメと判断されるのです。

そんなこんなんで、ライブをやっていくうちに対バンの方々と仲良くなっていきます。
もちろん、いろんなライブハウスに出てスタッフさんとも仲良くなっていきます。
ライブをやっていくうちにお客さんがついてくれます。

最初は他のバンドのお客さんだったというのがほとんどです、こういうところは対バンというシステムのいいところですね。
当時を振り返るとわりとすぐにお客さんがついてくれたような気がします。

今のようなネットでのSNSもなければYou tubeもない。
フライヤー(チラシ)、あとは掲示板(BBS)などが集客する術でした。
でも、今考えると、やはり横の繋がり、要は人との繋がりが一番大きいと思います。
と言うのは、リーダーがスカバンドの出ているライブハウスに出向き、フライヤー配りなど多方面にコミュニケーションを常にとっていました。
その辺りはメンバー全員、リーダー任せ。
今思うと、本当に感謝です。

ネット社会になってもリーダーのこういう行動が後々、いろいろなことに繋がっていくんだと解散してからわかりました。

ライブをやり始めて1年半ほどで自分ら主催のイベントもやりました。
自分らの好きなバンドを呼んでイベントを企画する、これは本当に楽しかったですね。
当時は本当に運がよかったのか、恵まれていたのかわかりませんが、集客は100人ほどあったそうです。

今僕1人で100人集めろと言われたら到底無理です。
1年半で100人、振り返るとすごいことだと思います。

もちろん、リーダの行動、メンバーの集客あってのことです。そして、それなりのライブパフォーマンスも出来ていたんだと思います。

でも、自分らのバンドなのに、イベント名にリーダーの名前が入っているのには、メンバーから反感が(笑)
反感を買いつつも、このイベントは定期的に行い、ある程度の集客をしていました。

バンドは絶好調、まさにうなぎのぼり。(ちょっと天狗にもなっていたでしょう)
そんな中、あるレーベルからアルバムを作らないかとの有り難い話をいただきます。
このアルバムリリースがバンドの転機となります。

この話の続きはその④で。
ちなみにバンドで1番のキラーチューンはこの曲だったと思います!
会場がダンスフロアになる光景は今でも忘れられません、まさに快感でした。

 

 

【バンドで飯って食ってけんの?その④】