ACの弱さ 自分を愛さないとともに 自分を信じないこと
自分を信じるということ自体が かなり高度なことなのですが
自分を信じることができて初めて他者を信じることができるのですが
幼児期からこの学びや体験がないので どうしていいのか分かりません
親やきょうだい 家族を信じる ことがありませんでした
自分や他の家族のメンバーに向けられた不安や恐怖で
信じる などほど遠い家族の環境だったのです
愛する 愛される が分からないと同様に 信じる も分かりません
幼児期のACは 嫌われ 捨てられたくないために 自分の命を守るために
本能的に家族のメンバーにすがりついていただけなのかもしれません
この記事を書いているワタシ自身も 信じるということが今ひとつ分かってはいません
相手や自分への期待を固定化して 思考停止になってしまうことなのでは?とも思ってしまうのです
信じる という言葉に置き換わる 適切な言葉も見つからないので どう言い換えていいのか悩むのです
幼児期の体感 体験 学習がとても重要だということです
そんな幼児期を過ごしたACが これらを取り戻すには どうすればいいのでしょうか
自分を信じる を全うさせるには 自分を裏切らない言動が必要 ということになります
それは自分の本当の感情 欲求に素直に従う ということでしょう
やりたいようにやる なりたい自分のなる 自分の思うままに生きる のです
自由奔放に生きる ことは いい加減に無責任に テキトーに生きることではありません
自分はどう生きるのか どう生きたいのか 自問自答して その答えに従うのです
自分の感情や欲求に嘘をつけば その後の自分を信じることはできません
自分と真摯に向き合うことがとても大切です
自己否定をやめる
前回同様に
椅子に ソファーにゆったりと掛けて リラックスしましょう
目を閉じて 深呼吸しましょう
心を落ち着けて 集中してみましょう
自己嫌悪ならまだしも 自己否定が強いACです
嫌悪する程度なら誰にでもある感情 感覚
ACはそれを超えて 自分を否定してしまいます
これが快復にとって最大の敵
自分を愛する感覚 これも親からもらうものです
幼児期の言葉かけ あなたを愛してるよ 好きだよ 大切に思ってるよ
この言葉 そしてスキンシップ 笑顔 で子の自己愛が育ちます
この体験 体感があまりにも希薄 ほとんどないために 自分を愛することができません
まして親からのハラスメント ネグレクト あなたなんか嫌い のメッセージ 支配とコントロール
自分を好きでいる 愛するどころか ますます自分を嫌いになります それは増幅して自己否定へ
この感情は小さい頃の子どもの潜在意識=無意識 に沈み込みます
潜在意識は 顕在意識=起きて普通に暮らしている時の意識 とは違い 普段は自覚できません
顕在意識と潜在意識の間に現れるのが夢だとされていますが
潜在意識は夢よりも認識されにくいものです
無意識に自分を否定してしまうという この悲しい感覚
無意識を意識することがとても大切になります
そんなことできるの?と思われるでしょうが
「生き辛い」「漠然とした不安 恐怖」などACが抱える感覚は感じています
この顕在意識を遡るのです そして潜在意識に辿り着きます
例えばワタシの場合 潜在意識の世界は風景として見えました
周りは色のない灰色の世界です 空も灰色
冷たい空気が満ちています ひんやりとした空気
寂しい 悲しい雰囲気です
周りには誰もいません たった一人
こんな感覚でした
色彩の感覚 温度の感覚 皮膚感覚 など身体が感じる感覚で潜在意識を感じたのです
自分の潜在意識=無意識が掴めれば
漠然とした不安や恐怖はそれほど怖いものではなくなるでしょう
潜在意識にある自己否定を 意識の上に表しましょう
意識して「自己否定をやめる」と決めるのです
自分を否定する必要など そもそもないのです
この世に生まれて 今まで生きてきた かけがえのない たった一人の「自分」なのです
誰に恥じることのない 尊重される存在なのですから
否定する必要がないどころか 否定してはいけないのです
ここにいていいんだよ
幸せになっていいんだよ
何度でも何度でも 自分に伝えましょう
禁止令を解いていく
椅子に ソファーにゆったりと掛けて リラックスしましょう
目を閉じて 深呼吸しましょう
心を落ち着けて 集中してみましょう
自分の内側を眺めます
自分の無意識を探ります
ACの無意識には いろいろな禁止令が発令中です
人生を楽しんではいけない
自由奔放な表現をしてはいけない
笑顔を見せてはいけない
誰かの犠牲にならなければいけない
最初は親からもらったものです
親からの有言無言のメッセージを受け取って
子は無意識に 本能的に 自分に禁止令を発するのです
でないと命を脅かされるからです
怒られる 虐待される 暴力を振るわれるのです
あるいは無言 仲間はずれ 無視 育児放棄
不安と恐怖から 子は禁止令を自分で強化し増幅します
これが大人になっても続くのです
無意識のうちに行われるので 意識できません
長い間 不全感を募らせます
他者とコミュニケーションがうまく取れない
上手く笑えない
自由奔放な振る舞いができない
こんな不全感の根っこには 禁止令が横たわっています
これをやめるのもとても大変です
自分の無意識を相手にするのですから
他人を相手にするよりも大変かもしれません
少なくとも 自分の無意識を意識することができれば
だいぶ生きやすくなるでしょう
で リラックスと集中 です
例えば 今日一日の出来事を振り返ってみましょう
少し気になっている 何日か前のことを思い出してみましょう
あんなことをしてしまったのは 言ってしまったのは どうしてだろう? と
自分の価値基準って 親からもらった価値観とさほど変わらないよね
〜してはいけない ことって 本当はとても少ないのかもしれないね
これが自分を縛っているのかもしれないね
これを捨てたら 少し楽になるかもしれないね
自問自答しましょう
小さな変化がやって来るかもしれません
どうやって食べていくか どうやって生きていくか
前回の記事に関連して
ACにありがちなのが引きこもり傾向
コミュニケーションに今ひとつ自信がない
対人関係に躊躇してしまう 会話のタイミングを逸してしまう
こんなことで気後れしてしまうのかもしれません
自由奔放な表現を無意識に抑え込んでしまう
自分がどう見られて どう思われているのか そっちの方が気になって仕方がない
羞恥心の強さ プライドの高さ そんなものも影響しているのかも
こんな息苦しさ 窮屈さの中では 自分がどう生きたいか どうなりたいのか 見えてきません
むしろ 周りの目や声に影響され過ぎて 自分のためにでなく 他者のために人生の時間を使ってしまう
仕事を探すのも苦労します ましてや今の時代 35歳を過ぎると就活は不利だともいわれます
ようやく面接にまでこぎつけても アピールできないとか 笑顔になれないとか
超難関を突破して就職できたと思ったら 周りの人間関係に押し潰され 辞めてしまう
生きていくのはなかなか大変です
かく言うワタシも 何ヶ月か続いたアルバイトを最近辞めました
本業の音響関係(PA屋さん、広告代理業)は続けながら
これからまた就活が始まります
もうひとつ 仕事を立ち上げようかとも思っています
人に使われるのが元々向いていないのです
自分の適性 気質を知っておくことは大切です
勤め人向きか 自営業向きか 大きく分かれます
人に使われるのは 気楽なようでなかなかストレスが溜まります
いい上司につくと能力を発揮できるのですが 世の中そんなにいい上司はいません
コミュニケーションが普通に取れれば 仕事も順調に進むのですが
みんながみんなコミュニケーションの達人ではありません
どんな人と関わるか どんな人と関わるか 運に任せるような部分もあります
人に任せるよりは 自分で決める 自分で引き受ける方が
たとえ失敗しても そこから学ぶことができます
周りのせい他人のせいにすることもなくなります
どうやって食べていくか というのは 簡単そうでなかなか大変です
やりたいこと なりたい自分をイメージして
最善 最短の方法 あるいは失敗したら次の手を準備しておきましょう
引きこもる人のために
前回の記事にコメントが寄せられました
引きこもっているご本人でしょうか
「今の日本に適切な(引きこもりの)支援はない」と
ワタシはかつて引きこもりの人たちの居場所で
そして引きこもりの人たちの 自立支援で ボランティアに関わったことがあります
コメント主がおっしゃるように 残念ながら適切な支援はないようです
引きこもりをやめるためには
① 引きこもることが必要な時間・時期を過ごして
② 次のステップで初めて自立・自律に向かう
という 大まかに2段階があると ワタシは思っています
引きこもりの居場所では①を引き受け
自立支援事業では②を行うのです
① 安心できる 癒される場所と思いがちですが そうとは限りません
親が本来の居場所であるはずなのですが 叶えられなかったのです
親の代理となる 居場所になれるのなら 他者であってもOK の存在で解決できます
得られなかった幸せ感 自分の存在 承認 祝福 を得るのです
ここで親への愛着を手放します
自分の引きこもりの原因は親にあることを理解し 親を恨み憎しみ 訣別します 親離れです
孤独を感じ 受け入れます その自分を愛します
② インナーチャイルドの癒しができて 自分の人生を考えられるようになって
こう生きたい が見えてくると 少しずつ意欲も出てきます
他者とのコミュニケーションのトレーニングを始めていきます
自分の感情 欲求を言葉にして相手に伝える 相手の感情欲求を聴く 相互の交流のしかたを学びます
どんな仕事をするのか は一番最後です それさえ時間とともに 自分の変化とともに変わります
翻って
引きこもりの親は「とにかく子が仕事に就いてくれさえすればいい」と言います
仕事さえすれば 全てが解決するように言います
子の引きこもりの原因が親にあることが自覚できずに 親自身が変わることをしません
親と子の 互いへの思い 感情 欲求がことごとくすれ違います
いつになったら噛み合うのでしょうか ないかもしれません
自分で自分を生かしていくことになります
引きこもりの果てに
また起きた痛ましい事件
「息子が外に出ていたら 警察に連絡してくれ」
父親の言葉から 息子は親に見捨てられていたことが想像できます
親でありながら自分の子どもを引き受けることをしない 他人に委ねる
親自身もそのように育ったのでしょう 親自身も被害者だったのでしょう
とはいえ子の気持ちになってみれば こんなに悲しいことはありません
子は 愛する人から見捨てられるのが一番悲しいのです 一番辛いのです
子は 愛して欲しい人から愛されないことが一番悲しいのです
引きこもる これは子のSOS 救助信号
このサインを20年もの間見ようとしなかった 受け止めようとしなかった親
悲劇の原因はこの親子関係 またも機能不全家族の負の連鎖
かつてはワタシ自身も引きこもりの体験者ですから 苦しさは理解できます
この家族もまた 子が安心できる家族ではなかったのです
この場所にいていいんだという安心感
自分の感情を 笑顔を見せてもいいんだという安心感
自分はこの家族のメンバーに守られているという安心感
こんなものはなかったのです あったのは不安と恐怖
愛しているよ 心配しているよ こんな言葉を交わすことのない無言のコミュニケーションは
子を責め続けます 早く社会に出て働け いつまでそんな事してるの と
この先どうしたらいいのか 分からないのです
親は自分たち夫婦の関係が原因だと気づかず
子は自分を責め 嫌悪する
それでも互いは互いを手放そうとはせず 支配とコントロール 募り 互いの関係は悪化します
親子ともに本音のコミュニケーションが取れない悲しみ
コミュニケーションが取れないなら 互いが距離を取るものですが それもできないのです
自我を律する 感情や欲求を自覚する 衝動をコントロールする
これらのことは当事者だけでなく家族のメンバーにも求められます
NPO法人全国引きこもりKHJ親の会 によると
現在生きづらさを抱える引きこもりの数は、平成22年の内閣府調査によると70万人を超えています…とあります
ACとPTSD
「ラスト・スナイパー」という映画がアカデミー賞を受賞しました
イラク戦争での実話だそう
帰還後 彼はPTSDに悩まされ 回復後はPTSD治療の支援をし
同じ症状に悩むイラク帰還兵に射殺されたと
心的外傷後ストレス障害(しんてきがいしょうごストレスしょうがい、Posttraumatic stress disorder、PTSD)は、命の安全が脅かすような出来事、天災、事故、犯罪、虐待などによって強い精神的衝撃を受けることが原因で、著しい苦痛や、生活機能の障害をもたらしているストレス障害である[1]。
心の傷は、心的外傷またはトラウマ(本来は単に「外傷」の意で、日本でも救命や外傷外科ではその意味で使われ、特に致命的外傷の意味で使われることが多いが、一般には心的外傷として使用される場合がほとんどである)と呼ばれる。トラウマには事故・災害時の急性トラウマと、児童虐待など繰り返し加害される慢性の心理的外傷がある
心的外傷後ストレス障害は地震、洪水、火事のような災害、または事故、戦争といった人災、あるいはいじめ、テロ、監禁、虐待、パワハラ、モラハラ、DV、強姦、体罰などの犯罪、つまり、生命が脅かされたり、人としての尊厳が損なわれるような多様な原因によって生じうる。(Wikipediaより)
改めて思うのです
ACは幼児期から心的外傷を受けています まさにトラウマを抱えて生きていきます
明らかにPTSDの状態
一般的なPTSDなら その原因・加害者が他人で外的なものですから分かりやすいのですが
ACのトラウマの原因は親 子にとっては内的といってもいいくらい切り離せない 自分に一番近い外的な存在
子は自分を守ってくれるのは親だと疑いません これは本能的なもの
まさか親が自分を苦しめる加害者だとは思いもしません
ですから子には 自分の生き辛さの原因が分からず 自分を責めるしかありません「悪いのは自分なんだ」
これがACの快復を遅らせているのです
PTSD このストレス障害が パーソナリティー障害の原因になることは 十分に考えられます
様々なタイプのパーソナリティー障害がありますが これはその人の個性 気質などによって現れる症状です
AC自認がある人もない人も 大人になってからPTSDに悩む人も
十分に自覚し 早く対することが大切です
被害者にも加害者にも ならないために
痛ましい事件の背後に
中学生の殺害事件
メディアは盛んに学校の責任を問うているようです
もちろん学校の責任はあるでしょう 生徒の言動に敏感に対応するのは当然ですが
学校は親からの訴えがあって初めて動きます 学校と親の連携もなかったのだろうと思います
「ウチの学校にいじめや暴力などあるはずがない」と隠蔽する学校もPTAもあります
学校側の責任とは別に ワタシはこの家族の関係を想像しています
暮らし慣れた 自然と友達がいっぱいの田舎の島を離れた一家
もちろんこれは親の都合でしょう この家族に何があったのか
子どもだけが親戚を頼って転校するのではなく 一家で転居するにはそれなりの重い決断があったことは容易に想像できます
または子の将来を見据えての判断だったかもしれません いずれにせよ親の判断
子は慣れ親しんだ友人関係から離されます 今までの人間関係から断ち切られます
転校先は今までとは違う都会 たくさんの子どもの中で味わう孤独
こんな時 頼りにするしかないのは家族 親ですが
その親とコミュニケーションが取れないとしたらどうでしょう
子どもにとって自分の居場所は家という場所そのものであり 親という存在
彼には帰る場所がなかったのだと想像しています
危ういグループに関わってしまったことも言えない 言っても届かない親だったのではないかと
子のSOSを気づかない 察知できない親だったのではないかと思うのです
子は「親に心配をかけたくない」と なかなか胸中を明かさないものですが
この子は明らかにSOSを発していました それに気づかなかったのです
気づいたとしてもどうすることもできなかったのかもしれません
この母親もまた同じように育ったのだと思います
機能不全家族の輪廻です
そしてこの家族の輪廻は 加害者の側にも同じように渦巻いています
自分のために生きる
自己評価の低いAC
誰かの役に立つことで 自分の評価を上げる癖がついています
だから自己犠牲が伴う仕事に就きがちです
医療系 福祉系など その傾向が強いといえます
もちろん自己犠牲が悪いのではありません
時間から時間まで マニュアル通りではできない仕事は数多くあります
少なからず人の犠牲の上に成り立っている仕事はあるのです
ただそれを前提にして 他者のために生きてしまうのは不幸です
自分以外の誰かのために生きるという癖がついているAC
長い間 親のために 家族のために生きてきました
そうすることが最良だと 教え込まれてきたのです
親の支配とコントロールは大成功したのです
ですから 肝心の自分はいつも空虚で 自分というものがなかったのです
夫のため 子どものため 姑のため と懸命に働いてきて
ふと気がつくと自分がいない そう言って涙をこぼす女性を 今まで何人も見てきました
ワタシ自身も当時は自己評価が低く 介護の仕事に就き
クライアントからのありがとうの言葉に自己評価を上げる毎日でした
自分で自分を評価できないので 他者から評価されることで自分の価値を判断するしかなかったのです
自分で自分を褒めることができるようになって 自己犠牲はなくなりました
他人という鏡に自分を映すのではなく 自分で自分を映す これができればずいぶん変わります
自分の人生の時間を自分のために使うという当たり前のことを 今から始めましょう
機能不全家族は「家族内モラハラ」?
モラハラ=モラルハラスメント
(Wikipediaより引用)
モラルハラスメント(仏: Harcèlement moral、英: Mobbing)とは、モラルを装った、あるいはそう思い込みながら為される…心への暴力、嫌がらせのこと。俗語としてモラハラと略すこともある。フランスの精神科医、マリー=フランス・イルゴイエンヌが提唱した言葉。外傷等が残るため表面化しやすい肉体的な暴力と違い、言葉や態度等によって行われる精神的な暴力は見えづらいため、潜在的なものとされていたが、イルゴイエンヌの提唱により広く知られるようになった…。イルゴイエンヌは「社会は精神的な暴力に対しては対応が甘いが、精神的な暴力は肉体的な暴力と同じ程度に、場合によっては肉体的な暴力以上に人を傷つけるもので、犯罪である」と述べる…。「モラルハラスメントがどれほど被害者の心身の健康に破壊的な影響を与えるのか、その恐ろしさを嫌と言うほど見てきた。モラルハラスメントは、精神的な殺人」とも述べている。
主に夫婦間で繰り広げられるこの残虐な行為
最近も何かと話題になっているようです
夫婦という他人どうしの関係なのに まるで自分の所有物でもあるかのように振る舞うのです
ここでも繰り広げられる支配とコントロール
離婚しようにもできない何かがあります 共依存
お互いの生育歴に 似たような体験の記憶 感情の記憶があると 無意識に受け入れてしまうのでしょうか
この話は別の機会に譲るとして
実は機能不全家族のメンバーのは間では 日常的に行われていることではないでしょうか
他人どうしではなく親子の間で 肉親どうしの間で それが行われることに その深刻さがあります
親子なのだから 愛されているに違いない 守ってもらえるに違いない
子は何一つ疑うことなく身を預けようとするのですが 見事に裏切られます
親は無償の愛ではなく 条件付きの支配とコントロールをしてきます
愛されているから厳しく怒られるのだ 冷たくされるのだ と
子は幼い頃からこれが愛なのだと勘違いして受け入れます じっと耐えるのです
まさにハラスメント 言葉の暴力 無言の暴力です
それは親から子へ子から孫へ受け継がれます 家族の輪廻 世代間連鎖です
ここから逃れなくては 幸せにはなれません
無償の愛の自由さを 支配とコントロールのない世界を
早く手に入れたいものです