「図工が苦手」という子どもが増えているそうです。
かつては図工は子どもの人気教科だったけれど、今は苦手意識の強い子が多いということです。
特に絵に対しては「うまく描けないから嫌い」「難しい」「どうやって人を描けばいいのかわからないからやだ」とよく子どもは言います。
心の中はこんな感じでしょうか。
絵や運動のように身体ですることは、誰からも見えるしうまくできないと恥ずかしい。
やればできるとかやらないからできない、というよりも今 手を動かしにくい。
落ち着いて神経を集中させて・・・はめんどくさい。
気恥ずかしいから文字を書いちゃったり、どうしていいかわからないから筆をバサバサにするほどめちゃくちゃに描いちゃったりするのかなと思ったこともありました。
ここで私が勝手に思っている絵の位置づけについて書いてみます。
日頃やっていることに絵、工作、クラフト、造形あそび、作品鑑賞などがあります。
原始的で自由なのは「絵」ですが、そこが子どもを悩ませている点でもあると思います。
何もない紙に線で描いていくところから始まって、色を塗り画面を完成させる。
皆が同じ手順で組み立てると完成するとか、偶然出来上がったものの面白さを喜ぶというのとは違いますね。
エネルギーのいることです。
別の絵画教室の指導者が「切り紙あそびは邪道だと思っていたけれど、それに集中したことによって次の時間の絵が進んだ」と言うのを聞いたことがあります。
私も様々な造形活動によって多方向から子どもの心にアプローチして、無の紙から作品を作りだす「絵」へとつなげていきたいと思っています。
工作や造形あそびは細い河川(例えば)とするなら絵という大きな川に流れ込み、より自由で豊かな流れにしていきたい。
創意工夫に正解はありません。誰もやってないことをしてもいいし、わからない時は誰かの真似でもいいんです。
言葉を選ばずに言うなら、道具に遊ばれてしまう楽しさよりも筆一本で作り上げる充足感を感じてほしい。
充足感を感じる心境に連れて行くのが私の役目ですが、正直なかなか難しいです。
造形的な遊びも決して無駄ではないけれど、それを主役にするよりも「絵」に向きあったらもっと充実した楽しさがあります。
だから、怖がらずじょうずを目指さず絵を描いていきましょう。
これからも面白いことを見つけてはやっていくので「絵」もためらわず描きましょうね。