黒いユリとカラー

 

コミュニティセンターのロビーに飾られたユリとカラー、きれいな色。紫が近いけど黒と表現するのかも。茎や葉の緑とマッチして、うーんいい色。おしべやめしべも花弁と同じ色。版画にしようとスケッチしてみました。

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ユリの葉っぱが意外に小っちゃいような。大きいのは切り落としてるのでしょうか。ユリの花弁は直線的な3枚(上というか内側)と、ひらひらが3枚(下つーか外側)互い違いになってます。

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白いアジサイとガクアジサイ、ラベンダー。生のラベンダーの香りが強い。武石のしょいかーごで全部で600円くらい。

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リアルな染め花も素敵ですが、生花は枯れていくのをずっと見届ける楽しみもあります。枯れてるのになんだか美しい。

「美とはなんぞや」「美はどこにある」なんて大昔から限りなく語られてきました。月並みだけど、それを美と感じる心にある。何を美しいと感じたとしても、心の中は侵されることがない。

眉をしかめるような過激な表現のアートもあれば、一見退屈に思える美、幼稚に見える美、残酷な美、挑戦的な美もある。

 

豊かだと思うこと

「幼児クラス」今年は年中さん一人ですが、そのパワーはすごい!と感心せざるをえません。

まず、始まりの挨拶ももどかしく紙を置いたとたんに飛びつくように絵を描こうとする。

そこで、いやいやちょっと待って、筆洗に水を汲んで、絵の具を出して、そうそうくれよんも。いよいよ一枚目を描き始めたら、ふと先週やったことなどを思いだして再びやろうとします。新幹線描いて、線路描いて、雪が降ってて。うさぎさんも。こんなかんじで描けるものは一通り描きます。

目の前に紙があったら、すぐに絵筆を持って描いちゃうって、もう巨匠!

最近、特におもしろいのは自由に工作してたら「帽子みたい」なものができて頭にちょこんとかぶってみたり、紙を切った後の形を数字の「おおきな1(いち)みたい」って言ってひらひらさせたり。それらは見立てや想像を膨らませて色んなものを作っているということです。

作った工作や絵を動かしてお話を作って遊んだり、うまく描けたら「できたよ」って大きな声でアピールも。

電車が好きで特に新幹線に詳しいから乗り物全般好きなのかと思って「ひこうきの絵描く?」って聞いたら「ひこうきはにがて」って。好みがあるんだね。

大人が見てわかる形でなくても全然OK。切ったり貼ったりしながらどんどん生みだしていく姿が素晴らしいのです。創作の喜びそのもの。

とても豊かだと思います。だから、私もあれこれ言わずに見守りながら、ワクワクを止めないように、必要なときはお手伝いします。

文字にできないくらいおもしろいことがたくさんあって、いつも素敵な時間を過ごさせてもらってます。

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↑ぞうさん。顔は画面右の辺を下にすると「にこちゃん」みたいに見えませんか?眼が二つ、その下ににっこり口があります。そういう顔です(^_-)

 

 

 

 

なんでもつくれる。なんでもかける。

ぐるぐるに来てくれている子ども達に、こんなふうになって欲しいと思っていることがあるとすれば。

何かを作る時にためらいなく作って欲しいな、というのがあります。

自分で書いた絵を見て「ヘタ」だからイヤになったりする経験ありますよね。

そこから「うまく描けないならやりたくない」に発展してしまう。

で、「絵は難しい」と。

でも、幼い子ほどそんなこと思わなかったりします。もちろん思う子もいるでしょう。

幼児から低学年くらいの子に「こういうの描ける?」って聞くとわりとすんなり「うん、描けるよ!」ってさらっと描いてくれます。

そして本当にそのとおりの絵になってる。描けてる。

先日、年中さんが履いていたカメの絵のビーチサンダルを脱いで手に持ち「今日、これ作る。これ作ろう。」って言うんです。

私は「う、うん。作ろうね」と言いながら「カメさんの絵を描きたいのかな…ビーサン作りたいのかな?」って迷ってました。

厚めの紙を出してビーサンを作ろうとしたのですが、結局その子は違うことを楽しげに始めてしまい、カメもビーサンも忘れた様子(笑)。

それでいいのですが。「これ作ろう」っていう一言に力があってすごいなと思いました。「作りたいものは作れる」っていう確信。

描きたいように描いて、作りたいように作る。

うまい、へた、じゃなくて。それをしたいと思ったら、そうしたらいい。

自分を許そう。