子供たちに「鉛筆をカッターで削ってみない?」って言うと、「え?削れんの?」という答えが返ってきます。
「危なくない?」という答えも多いです。
「気を付ければ大丈夫だから、削り方教えてあげるよ」と言うと、恐る恐るその気になります。
慣れないと変な所に力が入ってしまうけど、それなりに慎重に丁寧にカッタ―を動かして凸凹鉛筆が出来上がります。
実際に削ってみると、最初の腰の引けた声は「おもしろい」「もっとやりたい」に変わります。
そのうちカッターに慣れて「削れるもん」ってなると、その時が本当に危ないのでしょうね。
刃物を使う時は緊張感が大事ですから。
割りばしをカッターで削って割りばしペンを作ったり、自分で削った鉛筆を使うと道具にも愛着が湧くみたいです。
高学年の子が自分で削った割りばしペンを大切そうに両手で持って「これ、持って帰っていいですか?」って聞くことも多いです。
割りばし1本でも自分で削るのは新鮮なんだな~って、その姿がすごく素朴に見えたりして。
鉛筆の木の所は形は悪くても、芯先をスパスパに尖らせるのは割とやさしいです。
芯だけを軽くサラサラ削れるので力はいりません。
その鉛筆で絵を描いては「すごい~とがってる!」って感動しています。
自力で削れるなんて思ってなかったのですね。
何度もカッターを使ってみないと、どこが切れる部分なのかさえ、すぐに忘れて刃先の方に指を当てようとして「危ない~!!」ってこっちが慌てることもありますが。
そういう自分も数カ月前にカッターで人差し指を少し深めに切ってしまいました。
画用紙を何枚も重ねてカッターで切ろうとして、金属の定規を当てて力を入れてカッターを引きました。
力が入ってるから、それて定規の上に行っちゃったんですね。
たいしたことはなかったけれど、カッターでそこまで切ってしまったことは人生で初めてだったので、良い勉強になりました。
それ以降、カッターを使う時はどうしても慎重になります。
落ち着いて、軽く滑らせないとね。
カッターは便利で何にでも使ってたけどはさみの出番が増えました。
ケガはしない方がいいんですけど、次から気を抜かないよう薬になることも確か。私なんかは特に。
正しくカッターを使って、鉛筆を削る楽しさを知ってもらいます。
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教室の時間はリラックスか緊張か?
絵画教室の時間はリラックスが大事だと思っています。
人間の脳はリラックスしている時に面白いアイディアを生み出す、らしいです。
けれど、このリラックスが「おふざけ」や「だらけ」に繋がってしまうと・・・残念です。
緊張していては、うまく自分を出せないけれど、ふざけてしまっても何をしに来ているのかわからない時間を過ごすだけ。
やじろべえのように、左右にリラックスと緊張のバランスをとります。
このバランスがいつもうまくいくとは限りませんが・・・。
「絵を描くこと」は答えを求めるものではなく、技術を身に付けるわけでもないのですけど、
作業を通して、子供は子供なりに自分と向き合っていると感じます。
お父さんやお母さんとお出かけしたこと、お手伝いをしたこと、を絵にする愛情表現、
自分の好きな可愛いものやダークでかっこいいものを描いて自己表現すること、
想像の世界を絵にすることで心の内を形にすること、
対象をスケッチして、自分というフィルターを通した写実画を描くこと、
難しそうな工作に挑戦すること・・・etc・・・
どの自己表現も楽しく気持ちよく、葛藤もあるものです。
ただ無心に集中する時間が流れるだけ、というのが理想ですが
実際は休憩もとりながら、うまくいかないことに悩んで手が止まったり、横道それたりしながらやってます。
まだまだ未熟な私ですが、濃い時間を過ごせる絵画教室になるようにもっと向き合っていきます。
受け取る心
ぐるぐるでは、絵を描いたり、何かを作ったり、遊んだり、いろいろとやってます。
子供たちに「作業」と「テーマ」を与えると、それぞれの受け取り方があるなぁと思います。
テーマをかみ砕いて発想を広げる子
完成にたどり着けるようにシンプルにしようとする子
イメージに忠実に作ろうとする子
効率的な作業を見つけようとする子
答えを探そうとする子
それぞれしっかりと受け止めて、表現の芽を自分の中から出しています。
やさしい作業と身近なテーマを投げただけなのに、
素直に受け取って集中して描いたり作っている姿を見ると
「今回の内容そんなに深かったかな?」なんて思っちゃうこともあります(笑)。
もちろん嬉しいことです。
高度な技術やどんな上手な作品よりも、信じてすべてをぶつける姿が素晴らしいです。
これは子供でも偉大な芸術家でも同じことでしょう。