三代王神社にて

武石の猿田神社を見た後、一足のばして
三代王神社まで行ってみた。

武石の台地の南端にあるこの三代王神社、
今建っている場所はもともと馬加城の城域内だったのだそうだ。
三山の七年祭には産婆役で参加する由緒正しき神社だが、
普段はどうやらひっそりとしている模様。
急な石段を昇ると正面に社殿がある。

確かに誰もいないな・・・。
前もってネットなんかで調べたかぎりでは、境内には
とりたてて凄いものは無さそうなので、のんびりと写真を撮る。
木漏れ日なんか撮ったりして。

崖沿いに歩いていると、なんだか古そうな消えかかった石段を発見。

ちょっと降りてみようかな。
足元に注意しながら石段を降りると、石碑を発見。
よく見てみると・・・

なんと!小御嶽神社!!
降りるときには気が付かなかったが、
振り返ってみると木の根元が塚になっていた。

こりゃ富士塚だろうか?
塚の頂上の石碑にも何か文字が彫ってあったが、イマイチ判読できず。
「浅間大菩薩」と読めなくもないような気もするけど、どうかなあ。
塚を回りこんでみるとコンクリートの穴がある。

穴の中には何かの像が。

穴の前の碑には「食行身禄」とあった。
食行身禄とは、富士講の開祖・角行とともに崇敬を集める
富士講中興の祖だ。
そういえばこんな感じのが稲毛の浅間神社にもあったな。
どうやらこれは富士塚で間違いなさそうだが、
もっと確実なのが頂上のコレ。

富士山・・・。
やっぱりそうですか。
しかし三代王神社にも富士塚があるとは思わなかったな。
意外な出会いがあってかなりうれしい。
ちなみにこちらの富士塚、かなりの崖っぷちに建っているので
参拝の際はお気をつけてー。

武石の猿田神社

以前、開削前の花見川についての記事を書いた。
そのとき、地図を見ていて、もとは川であったろうカーブした道に沿うようにして
北へとのびるもう一本の道があるのに気が付いた。
そしてその道沿い、ちょうど幕張町と武石町の境に猿田神社なるものがある。

猿田神社というのは路傍の神様・道祖神とも絡むもの。
この道は結構古くからある道なんじゃないだろうか。
というわけで、その猿田神社を見に行ってみた。

上の写真の右側の道路が、北へとのびる例の道だ。
ひょっとしてこれが、けみ川道なのだろうか。
正面から。

鳥居は新しそうだ。
そして奥の祠には・・・
いました!
青面金剛王。

写真では見えないけど、下には三猿もいた。
たしか江戸時代の銘が刻んであったような・・・。
猿田彦がサルつながりで庚申塔と関係があって、庚申の神様が青面金剛王で、
だから猿田神社に青面金剛王がいて、
えーっと庚申信仰と道祖神がなぜだか関係があって、
えーっと、えーっと・・・、
ああ、なんだかよくわからない。
とにかく、幕張(むしろ馬加か)と武石の村の境に立って、
ずっと人々の往来を見守ってきたんだろうなあ。
猿田神社からさらに北へいくと、こんな風景だった。

ああ、カメラにホコリが・・・。
おしまい