夜中に工場地帯を彷徨った。
「街歩き」などと言いながら、行くのはこんなところばかり・・・。
周囲には嗅いだことのないような臭いが漂っていた。
月別: 2008年12月
畑とインターと新都心
殉空の地の石碑を見に行ったときに撮った写真。
今は新都心とか幕張インターが見えるけど
かつてはここからは海しか見えなかったはず。
農作業の手を休めて海を眺めていると、ブロブロとグライダーが離陸していく・・・
そんな風景が当たり前のようにあったのだろう。
今では想像もつかないけど。
殉空の地
鷺沼の飛行場跡から国道14号に出て
幸楽苑と工場の間の細い坂道を登っていくと
広々とした畑に出る。
すぐ下の国道やインターチェンジの喧騒が嘘のように静か。
畑の一角に翼を拡げたような石碑が建っていて、「山懸飛行士殉空之地」と刻まれている。
鷺沼の飛行場から飛び立った山縣豊太郎は、曲技飛行に失敗。
この地で墜落死した。
石碑は山縣飛行士の師匠であり、伊藤飛行機研究所の設立者である
伊藤音次郎がその死を悼んで建てたもの。
残念ながらこの事故が、日本初の墜落事故になってしまったそうだ。
鷺沼の飛行場
袖ヶ浦5丁目にある児童公園。
場所は千葉から行くと、幕張インターを過ぎたところにある三叉路を左折してちょっと入ったところ。
住宅に囲まれたちょっと広めの、何の変哲もない公園だが
じつはここ、かつて飛行機の滑走路があった場所なのである。
それをしめす看板が公園の片隅に立っている。看板の四隅のグライダーがかわいい。
滑走路といっても、遠浅の干潟を利用したものだったようだ。
かつては、今の谷津干潟のような海岸がずっと続いていたのだろう。
稲毛海岸に飛行場があったのは知っていたが、袖ヶ浦(というか鷺沼)にも
飛行場があったというのは今まで知らなかった。
看板にある伊藤飛行機研究所というのは、公園からすぐそばの
国道14号沿いにあるラーメン屋、幸楽苑の近くにあったようだ。
そういえば幸楽苑の隣に工場があるけど、なにか関係があるのかな?
谷津バラ園
ちょっと時間ができたので谷津バラ園へ。
平日の朝っぱら、30%の開花状況。
予想通り、お客さんは僕一人だった。
花の撮影はちょっと苦手。
練習のつもりでたくさん撮ったけど、結果はいまいち。
花は撮るより、見たほうが良いという乱暴な結論に達して
出直すことにした。
必要な形
工場を見に出かけた。
何かを作るため、機能だけを考えて設計するのだろうけど
なんとも不思議な形だ。
パイプの錆びっぷりもいい感じ。
船橋 遊郭跡
船橋の三田浜のあたりは、年季の入った家が多いが
その中でもさらに一味違う建物。
船橋に唯一残る、遊郭の跡である。
なかなか重厚な造りだが
現在は使われておらず、地元の町内会が保存しているようだ。
裏手にある階段。当時のものかはわからないが、なかなか味があった。
船橋 澪
船橋にある澪(みお)。と言っても、行きつけのスナックのことではない。
澪とは運河のこと。船橋では港から街へ魚を運ぶのに使っていたのだそうだ。
その澪の跡がまだ残っているのだという。
とあるサイトで紹介していただき、早速行ってみることにしたのだ。
場所は市役所の近く。国道14号からちょっと入ったところ。
澪に沿って遊歩道が通っていて、その対岸にはかなり古そうな家が立ち並んでいる。
澪のすぐ近くでは高層ビルを建設中。
新旧のコントラストの高い場所であった。
モノレール
以前から気になっていた場所。
千葉市動物公園に行く途中に見える、モノレールの基地。
レールが複雑に交錯するこの感じが、たまらないのです・・・。
おっ、モノレールが帰ってきた。お仕事お疲れ様でした。