ふたたびの奈良の大仏

以前、市原市にある「奈良の大仏」についての記事を書いた。
市原なのに「奈良」なのは、
かつて平将門がこの地の北に都を築こうとして、
京の都の南にある東大寺の大仏を模してこの仏像を造った、という伝説があるから。
2009年当時の写真。

由緒ある意外なネーミングと、こじんまりとした大仏という意外なルックスで
非常に印象深い場所。
ちなみに今でもこの記事が僕のブログ内で一番のアクセス数だったりして、
個人的にもいろいろと思い入れがある仏様だ。
しかしこちらの大仏様、実は2011年3月の震災で台座から地面に落ちて、
しかも頭が胴体から取れちゃったそうなのだ。
その後、市原市の指定文化財でもある奈良の大仏を再興するため
地元の人々と市原市が動いている、なんて話を見たりしていたのだが、
そういえば今現在どうなっているだろうか。
思い入れがある、などと言いつつすっかり忘れていたのだが、
先日買い物から帰ってきた車のなかで何故かふと思い出し、そのまま見に行くことに。
こちらは現在の参道。

まっすぐ延びる参道の一番奥に大仏様はいるはず。
しかし未だ再興ならず、台座だけが残っているという可能性も。
周辺は長閑。

誰もいない静かな参道を進むと・・・、
おお!

いた!!

大怪我をされたとは思えぬような、とても元気そうなお姿。
優しいお顔も相変わらずだ。

いやあ、よかったよかった。
後ろ姿に多少傷の跡を見てとれないこともないですが、
その傷跡がまた、人々に大切にされていることの証しでもあります。

帰宅後、ネットで調べてみたら、
千葉日報のサイトで再興の記事を見つけた。
記事によれば2011年11月に修復が終わったようだ。
人気の観光スポットって書いてあるけど、どうなんでしょうなあ。

若宮八幡神社の富士塚

市原市の五井にある若宮八幡神社の境内に
富士塚が建っているという情報を得たので、やって来た。
と言っても、じつは去年の事。
記事にせずそのままほったらかしだったのだけど、
富士山が世界遺産に登録されるのがほぼ確実になったというので、
せっかくなので記事にしようかと。
要するに便乗です。
若宮八幡神社に到着。

静かな住宅街の中にあります。
碁を打つ音が境内に響いていた。

社殿の方に進むと、むこうに富士塚が見えてくる

そしてこちらが富士塚。

大きいでしょう。
登山道には合目石がびっしり。

見づらいけど、「主杖流し」という碑がある。

どうやら主杖流しという登山ルートがあるようだ。
では登ってみます。
山の中腹には小御岳神社。

ちなみに経ヶ岳というのは富士山の五合目にあるコブのようなところなのだとか。
はじめて聞いたな。
亀岩もある。

アイテムいっぱいの富士塚だ。
ちゃんと中道もあって、

頂上にはこのお方!

富士講の中興の祖が食行身禄(じきぎょうみろく)で、身禄の名は弥勒菩薩
からとったもの。そして弥勒菩薩の化身とされているのが布袋。
で、頂上に布袋様。
ということで正解でしょうか。
山からの眺めはこんな感じ。

主杖流しとか経ヶ岳とか、他の富士塚ではあまり見ないようなものがあって、
アイテムもたくさん。
なかなかマニアックな富士塚でおもしろい。
造ったひとも富士山マニアだったんじゃないだろうか。

木更津ぶらり③

つづく、と言って一か月以上間隔が空いてしまった
木更津散策の続き。
木更津駅の西口界隈をひととおり歩いた後、
海でも見に行こうかと思っていたところで見つけた
古い映画館。

観光案内所でもらったガイドマップには載っていないが、かなり目を惹く。
斜めの煙突がチャーミングだね。
ちょっと近づいて一枚。

とてもレトロな雰囲気だけど2009年まで現役で営業していたらしい。
確かに看板がきれいだ。
もともと芝居小屋だったそうで、中はどんな感じなんだろ。
そういえば、この前テレビで「二十世紀少年」の映画を観ていたら、この建物が出てきて
ちょっとびっくりした。
チケット窓口かな。

ちなみにこの映画館の道の向かいのお店は「熟女パブ」だ。(どうでもいい情報)
そして散策の最後は海へ。
中の島大橋は日本一高い歩道橋。

ここにもタヌキがいる。
なぜかお供え物も。
遠くに製鉄所が見える良い所。

おしまい。
木更津ぶらり

木更津ぶらり②

木更津散歩のつづき
木更津の古い街並みの残るさかんだな通りを抜け、
街中の古い建物を探してうろうろしてみることに。
こちらは洋品店。

雨具屋さんの錆びっぷりも良い感じ。

これは元床屋か?

街角にある魚屋の量り。

もちろん現役。
そんなに古いわけじゃなさそうだけど、
このスナックがかなり目を引く。

道路に対してやや斜めの入口。電柱に合わせた屋根の作り。
素晴らしい。
ところで、
木更津と言えばタヌキ、というくらい街全体がタヌキ推し。
まず駅前ロータリーにタヌキがいる。

こちらは床屋さんのタヌキ。

マンホールもタヌキだ。

街じゅうタヌキだらけだが、
その木更津のタヌキ推しの総本山が證誠寺だ。
緑が美しい證誠寺の境内。

浄土真宗のお寺だよ。
ありがたいお言葉もぶら下がっている。

で、この證誠寺とタヌキになんの関係があるかというと・・・、
「秋の夜に和尚と何十匹もの狸が寺の庭で囃子合戦をした挙句、
夜が明けたら腹鼓で調子を取っていた大狸が腹を破いて死んでいた。」(ウィキペディアより)
という狸伝説が残っているのだ。
日本三大狸伝説の一つなんだそうですよ。
こちらはその大狸を葬ったという狸塚。

ポコポコ腹をたたいて踊る狸はユーモラスだけど、
案外悲しい伝説だな・・・。
つづく。
木更津ぶらり

木更津ぶらり

ふと思い立ち、昼過ぎから木更津に行ってみた。
で、まずは一枚。
パ・・・

いや、下ネタブログではありません。
街歩きブログなのです。
今回歩くのは木更津駅の西口界隈。
この辺りには古い街並みが残っているのだとか。
アウトレットには目もくれません。
こちらが木更津駅西口ロータリー。

西口に古い街並みがあるらしい、というのは知っていたものの、
それ以外はほとんどわからず。
「散歩の達人」に載っていたわずかな記事だけでは心もとないので
とりあえずロータリー近くの観光案内所で情報収集。
手ごろな観光マップをゲットした。
散策のスタートは駅西口からまっすぐに伸びる富士見通り。

地図を見てもイマイチ距離感がわからなかったけれど、
駅から海まで徒歩で15分ほど。
意外とコンパクトな街です。
富士見通りを歩いてまず目指すのは
南片町大通りとさかんだな通り。
「さかんだな」とは魚店のことで、この周辺はとくに古い建物が多いとか。
富士見通りから南片町大通りに入って最初の物件がこれ。

昭和初期に建てられたのだとか。
観光案内所でもらった地図の裏面に主な古い建物の解説があったので、
それを参考にします。
南片町大通りとさかんだな通りは一続きなのだけど、
その境目に建っているのが安室薬店。

アーチ状の装飾が良い感じ。

こちらもまた味わい深いお店。

店先の軒の低さがまた良いのです。
実はこちらはコロッケ屋さん

街を挙げてマラソン大会を応援している模様。

もうちょっと歩くと見えてくる
ヤマニ綱島商店。

店の後ろに蔵を備える、国の登録有形文化財だ。
つづく
木更津ぶらり

新幹線

新幹線、
と言っても、東京ドイツ村の新幹線。

袖ヶ浦で東京でドイツで新幹線。
なんだかよくわからん・・・。
正面から見ると、やけに薄い。

「新幹線」という単語に「薄い」という言葉が組み合わさる機会も
そうそう無いような。
チープでレトロな感じがだが、

連結部分にはグッときてしまう私。

国分寺 御開帳

市原にある上総国分寺へ。
境内にある薬師堂の本尊、薬師如来が
正月の三が日だけ御開帳されるのだ。
薬師堂は今日もステキな佇まい。

おお、以前は閉まっていた扉が開いているぞ!
お堂の中を覗いてみると・・・、
いた!
薬師如来だ!

うーむ、思ってたより小さい像だな。
しかしこの立派なお堂で、小さな薬師如来が一人で暮らしてるってのが、またいい。
お堂の内部には天女の天井画なんかが残っていて、
完成当時の華やかさが伺える。
薬師堂でのお参りが終わった後
新しい本堂の方に行ってみると、気になるものが。

木魚にスリスリ甘える坊主・・・。
そんなこんなの初詣。
子供もおみくじを。

あ、小吉ね。
ま、何ごともホドホドがちょうど良いということで・・・。

上総川間駅 大多喜街道をゆく⑥

上総鶴舞駅の次に、
そのひとつお隣の上総川間駅にも寄った。
上総鶴舞駅は街道沿いにある駅であったが
こちらの上総川間駅は360度田んぼに囲まれている。
駅舎はこんな感じ。

駅舎というより、待合所といった風情。
駅から一番近い建物は、農家と思しきお宅であるが
そこまで行くのに畦道を4、5分歩かなければ着かなそうだ。
なぜこんな場所に駅を作ったのだろう。
駅があって、人が集まって、街ができていく。
なんていう概念はまったく通用しない。
なんとも言えない茫洋とした世界。
「千と千尋」の終わりのほうに出てくる、列車から見える
懐かしいようで、少し不安をかきたてるあの風景に似ているような・・・。


なぜこんな場所に?とか、不安を掻き立てるとか、勝手なことを言いましたが
駅には2人ほどお客さんがおりました。
ま、とにかく必要だから駅があるんでしょう。きっと。
程なくして、五井行きの列車がやってきた。

上総川間駅16:23発。
ちなみに次に五井行きの列車が来るのは17:53。
1時間半後ですと・・・。
こういうローカル線で、気ままに乗り降りして旅をしたいとたまに思うけど、
実際は時刻表とにらめっこして、綿密な計画が必要になるんだろうな。
大多喜街道をゆく」、おしまい。
ところで、マクスタでブログを始めて
今日11月24日でちょうど一年になりました。
毎日書こう!とか、そういう意気込みは全く無く
なんとなく始めたこのブログですが、気が付いたら一年続いてしまいました。
ちなみに最初の記事はこんなんでした。
http://flatserve.makusta.jp/e16457.html
今までに少しでもこのブログの記事を見て下さった方、
そしていつも温かいコメントをくださる皆様、本当にありがとうございました。
これからもまた変わらない感じで
細々と続けてまいりますので、どうぞよろしくお願いいたします。

上総鶴舞駅 大多喜街道をゆく⑤

大多喜からの帰り道、
小湊鉄道の上総鶴舞駅に寄った。
「関東の駅百選」のひとつに選ばれた駅だ。
この辺りを車で通るたびに、ついつい寄ってしまう
魅力的な駅。
駅舎はこんな感じ。

駅前には結構広いロータリーがある。
今では無人駅だが1998年までは有人の駅だったそうだ。
その名残で出札口がある。

一日の平均乗車数16人だって。
僕が寄ったときには2人のお客さんが列車を待っていた。
線路を挟んで駅の向こう側は広々。田んぼと畑ばかり。

旅情をそそるねえ・・・。

ずいぶん遠くに来たような気分になるけど、
千葉から一時間足らずで、こんな風景に会える。
いいよねえ。

西願寺阿弥陀堂 大多喜街道をゆく④

大多喜へ行く途中、市原市の平蔵というところを走っていると
車のナビに「西願寺阿弥陀堂」と書いてあるのを見つけた。
普通の寺だったら西願寺とだけ表示すればいいのに、
わざわざ阿弥陀堂とまで書いてあるのは何でだろう?
と思っていたら、街道沿いの案内看板に「国重文」とあった。
そして車の中からちょっとのぞいてみると、なるほど素晴らしいお堂が建っているではないか。
これは凄そうだ、というわけで大多喜散策の後、帰りに寄ってみた。
だいぶ日も傾いて、山肌に隠れそうになっていたけれど。
これがその西願寺阿弥陀堂。国の重要文化財。

う~ん、すばらしい佇まい。
ちなみに、堂内の厨子も同様に重要文化財。
明応4年(1495年)に建立されたそうだ。当時は七堂伽藍であったそうだが
現在残っているのはこの阿弥陀堂だけ。
かつては上部が金箔で、下部が朱塗りという凄い姿だったとか。
山の中の街道沿いに、ポツリと重要文化財が建っているという
意外性がまたいい。
軒下の組物も美しい・・・。

駐車スペースからお堂をみると、こんな感じ。

周囲の植木にも手入れが行き届いている。
周辺の山々が紅葉で色づいてくると
またこのお堂も映えるんだろうなあ。
いいもの見せていただきました。
しかし、茅葺きの屋根のきれいに揃ったこの感じ、何かに似ているとずっと思っていたのだけど、
そうだ、床屋に行きたてのカリアゲににてるんだな・・・。