鬼越の富士塚

本八幡の葛飾八幡宮で富士塚を見た後、
京成電車に乗って隣の鬼越駅へ。
駅近くの「神明社」という神社にも、富士塚があるという。
鬼越で降りたのって初めてだな。

駅から歩いて数分。
曲がり角のところに、その神明社はあった。

社殿の横は広くて駐車場になっている。
その広場の一番奥に、富士塚はあった。

つい先ほど見てきた葛飾八幡宮の富士塚とくらべると、
高さはありそうだが、裾野はそんなに広くない。
ボク石と呼ばれる溶岩がふんだんに使われているせいか、
最初目に入ったときに「黒い」と思った。
登山道は一直線に奥宮へと続いている。
山の斜面はなかなか急だ。

そんな富士塚には、いろいろ石碑があるのだが、
大体が富士講の碑だった。
これもそのひとつ。

石碑にある中道大行とは、中道めぐりのことか。
中道めぐりというのは、富士山の中腹(標高2300~2600m)を一周すること。
大沢崩れという今なお崩壊の続く侵食谷を通るので、非常に危険の伴うものだ。
本八幡の富士塚にも「不二」と書いた講碑があったので、
同じ富士講がここの富士塚を造ったのかも知れない。
頂上からの眺めはこんな感じ。

神社の境内の一角というより
駐車場の一角にあるような。
黒い溶岩と銀杏の落ち葉とのコントラストがきれいだった。

一日に二つ富士塚を見ると
それぞれ比べることができて、なかなか味わい深いな。
このあと再び京成電車に乗り
さらにお隣の京成中山駅へ向かった。
つづく。
八幡・鬼越・中山散歩

本八幡の富士山

マクスタブロガーの柴吉さんから、
本八幡の葛飾八幡宮に富士塚があるとの情報をいただいた。
子どもの頃何度も訪れたことのある葛飾八幡宮だが、
富士塚の存在にはまったく気が付かなかった。
富士山だとは気がつかなくても、少なくとも、神社にお山があった、
くらいの記憶があってもよさそうなものだが・・・。
葛飾八幡宮の富士塚は
境内の最奥、社殿を囲む塀に沿って回り込むように歩いて行くと、見えてくる。
これが本八幡の富士山だ!

それほどの高さは無いが、
正面からみると、溶岩なんかがあって険しい山の印象だ。
登山道もワイルド。

しかし、少し横にまわって見ると、
正面以外には溶岩は無いのがわかる。

険しい山という印象も少し変わってくる。
こちらの富士塚はいつでも登拝できるので、
さっそく登ってお参りしたあと、石碑なんかのアイテムをチェック。
小御嶽神社の石碑を発見。
子安神社の富士塚と同様に、石尊大権現と彫ってある。

この碑の他にもうひとつ小御嶽神社の石碑があった。
なんで一つの富士塚に、二つの小御嶽神社の碑があるんだろか?
頂上のすぐ下には、なにやら洞穴らしきものが。

「胎内」だろうか。
こちらは頂上の奥宮。

側面には「寛政十二庚申」と彫ってあった。
寛政12年(1800年)に建てられたってことかしら?
この日はとにかく天気が好くて、
コントラストがつきすぎてしまい、かえって写真を撮るのが難しかった。
寺とか神社とか富士塚を撮るには、曇りのほうがいいらしい・・・。
でも、そんなお天気のおかげで
こんな写真も撮れたりして。

帰り際、ふと振り返って富士塚を見ると、
女性がひとり登ってお参りしていた。
おしまい。
八幡・鬼越・中山散歩

葛飾八幡宮と公民館

本八幡で降りて北口をふらりと歩いたあと、葛飾八幡宮へ。
国道14号から参道に入って、踏み切り越しに鳥居を眺める。
奥にある赤い門は随神門。

もともとは仁王門だったそうなのだが
明治政府の廃仏毀釈の方針で、随神門に建てかえられたのだそう。
乱暴だなあ、明治政府・・・。
その随神門の前にいた狛犬。

狛犬っていうと、普通は神社の前でニラミをきかせているけれど、
この狛犬はそんな風じゃないなあ。
随神門をくぐって、そのまま本殿でお参りしようかと思ったのだけど、
参道の途中で気になる建物を見つけてしまった。
風格のある建物なので、信徒会館か何かだと思ったのだが、
よく見たら公民館だった。

重厚な唐破風の入り口だ。
明治初年に建築された民家を、新潟県の柏崎市から移築したそうだ。
ロビーはこんな感じ。

天井が高くて、なんだか銭湯の脱衣所みたいだった。
このあと本殿でお参り。
そしていよいよ富士塚へ。
つづく。
八幡・鬼越・中山散歩

本八幡で降りる

数年ぶりに本八幡駅で電車を降りた。
子どもの頃は、この駅で降りて親戚の家によく行ったのだけど。
ホントに久しぶりだなあ。

正面の白い建物、昔は映画館だったんだよね。
南極物語とか、確かここで観た気がする。
北口を出て、国道14号の方へ歩く。
てくてく
国道の手前の横丁を右に曲がって、すぐにあるのが
このラーメン屋。月梅。
ユーメイと読む。

ウチの父親も若い頃に行ったことがあるって言ってたので、かなりの老舗だ。
名物ネギラーメンには、ネギの他に具は無い。
ネギしか入ってないアッサリ塩味なんだけど、
なんかウマイんだよなあ。
あと揚げ餃子。
注文して、フッと一息つくかつかないかの時間で、あっという間に出てくる謎の食べ物だ。
学生時代に友達におススメしたら、次の日「何じゃ、あの餃子!!」って怒ってたなあ。
わかってねーなー。
と、思い出いっぱいのラーメン屋だが、残念ながらこの日は定休日・・・。
そこからちょっと歩くと、2階にサイゼリヤ。

実はここ、記念すべきサイゼリヤ1号店なのだ。
ほらね。

もう営業はしていない模様。
ここもむかし食べに来たなあ。
通りはこんな感じ

通りを進んで、つきあたりを国道の方へ左に曲がると
竹やぶが見えてくる。
「八幡の藪知らず」だ。

この藪に入ってはならない・入ると二度と出てこれなくなる・入ると必ず祟りがある
と言われている、ちょっと恐ろしい藪。
ウィキペディアにも書いてあった。有名なんだな。
国道越しに眺めてみる。

実際のところ、何で入っちゃいけないか、よくわからないんだって・・・。
さて、なんで本八幡に来たかというと、
お目当ては富士塚があるという葛飾八幡宮。
それは次回。
八幡・鬼越・中山散歩

三咲の富士塚

妻の実家は船橋市の北部なのだが、
そのご近所の「三咲神社」にも富士塚があるという。
妻は子どもの頃から、お祭りやら何やらで
何度もこの神社には行っているはずなのだが、
「そんなのあったかしら?」だって。
かくいう私もこの神社には数回行っているのだが
たしかに富士塚の存在には気付かなかった。
先日実家へ行った際に、散歩がてらちょいと見に行ってみた。
境内の参道

神社の鳥居とキツネは新しいものが建てられていた(お稲荷さんなんだね、ここ)。
参道の脇には神社なのに四国遍路の講碑らしきものが多い。
比較的新しそうなものもあったので、この辺りは
今でも地域の結びつきが強いのかも知れない。
そういえば参道の途中に富士塚みたいのがあったかも!
と行く前に妻が言っていたのだが、
参道にはそれらしいものは見当たらず。
本殿にお参りしたあと、周囲を見回してみると・・・、
お!なんかあるぞ!!

見つけた。富士塚だ!
頂上には「冨士浅間大神」の碑。
中腹には小御嶽神社だ。

まずは遠目から鑑賞。
登山道(?)の石段の脇にはボク石とよばれる溶岩が。

富士塚の周囲は石垣で縁どられていた。

他に合目石などの富士塚アイテムは見つけられなかったのだが、
妻が石段を数えると、九つあった。
これって石段で一合目とか二合目を表現してるんじゃないの?と妻が言う。
ううむ、なかなか鋭い推察ではないだろうか。
まだそんなにたくさん富士塚を見たわけではないけれど
どの富士塚も、たとえ小さくても、それぞれに表情というか個性があって
おもしろい。
さあ次はどこ行こうかな。

一人で寿司

昨日のこと。
妻が実家に行くと言うので、夜は私ひとり。
せっかくの機会なので、顔見知りの船橋のお寿司屋さんへ。

こうやって一人でおいしい寿司を食べられるなんて、
30代も悪くないなあ。
しかもこの後、
こんな機会滅多に無いしというわけで、
芳葉さんでホーヨウ麺なんか食べちゃったりして・・・。
う~ん、おなかいっぱい。
ごちそうさまでした。
あ、マクスタンプ捺してもらうの忘れた・・・。

子安神社の富士塚

畑町にある子安神社のつづき
子安神社の参道の脇
本殿に向かって右側に、お目当ての富士塚がひっそりとたたずんでいる。
これが子安神社の富士山だ!

え?
ただの盛り土だろって?
遠くから一見しただけではわかりません。
近づいてみると、頂上の真ん中の石碑に
ほら。

ね?
溶岩がゴツゴツ貼りついてて、一目見て富士塚だとわかるものも、もちろんいいのだけど
こうやって近づいてよおく見ないと、それとわからないっていうのもまた
マニア心をくすぐるというか、なんというか・・・。
しかしこりゃいったい何だろうな・・・?

頂上の右側の石碑には富士山の神様、浅間大神の文字。

灯篭には、朱色が目にまぶしい富士講のマークが

溶岩で化粧をしてないし合目石も無いから、全然富士山っぽくないけど
こりゃ確実に富士塚だな。
八幡宿の富士塚と違い、見た目のインパクトは無いけれど、
小さくてもいいから、ここに富士山を作ろう!という思いの深さを強く感じられる富士塚だ。
富士塚なのは間違いなさそうだが、問題なのはこれ。
頂上左側の石碑。

左右に大天狗、小天狗の文字があるので
小御嶽神社の碑だろうと思ったら、中央には「石尊大権現」の文字が。
帰って調べたら、この「石尊大権現」というのは
神奈川県相模原市にある大山の神社のことだそうだ。
うーむ、なぜ富士山に大山が・・・?
謎だ。
おしまい。

畑町の子安神社へ

畑町にある子安神社へ。
七年祭りにも参加する由緒正しきこの神社。
前々から行ってみたかったのだが、ようやく時間ができたので。
初めてなので、車のナビと途中で出てくる案内看板を頼りに行く。
花見川区役所周辺のきれいな住宅街を抜け、台地に上ると
風景は一気に変わり、畑が広がる。
参道から続く道は京葉道路の上を通り、一直線に南へのびる。

京葉道路を渡る橋は子安参道橋というそうだ。
境内に入ると、参道の脇に祠やら石碑がたくさん建っているのだが、
鳥居をくぐって最初にあるのがこの石仏。

馬頭観音かな?う~ん、わからん。
と、横の面を見ると庚申塔という文字が彫ってあった。
庚申信仰というのがあるそうで、それに基づいて建てられた塔だ。
庚申(かのえさる)ということで、猿をモチーフにしたものも多い。
たしかに、下のほうをよく見ると・・・
ほら。

三猿だ。
参道をもう少し進むと、今度は石碑が林立している。

この場所にある石碑のほとんどに、出羽三山の神社の名前が彫ってある。
出羽講の碑のようだ。
稲毛の浅間神社にも出羽講碑があったけれど、こんなに密集はしてなかったな。
この神社に、こんなにたくさん出羽講碑があるのは何でだろうか。
さて、参道でいろいろ気をとられてしまったが、
ようやく拝殿に到着。
子安神社は子育ての神様とのことで、子供たちのすこやかな成長を願いつつ

お参りのあと、拝殿の横の小さな道を行くと、
一番奥の塚のような場所にも社があった。

じつはこの塚は、案内看板によると「子安古墳」という古墳なのだそうだ。
古墳のお山自体が御神体だ。
古墳のすぐそばには弁財天も。

周囲が池のようになっているのは、弁財天が水と関係が深いから。
祠や石碑が多く、しかも古墳まであって
地味ながら(失礼)見どころの多い子安神社だが、
じつは、本当のお目当ては「富士塚」なのです。
それはまた次回。