あけましておめでとうございます。
昨年の11月でこのブログも4年目に入りましたが、
相も変わらず、だらだらと更新してまいります。
で、新年最初の記事ですが、話は去年のクリスマスイブのこと。
御茶ノ水でのお散歩のつづき。
聖橋を渡って右にある湯島聖堂に寄ってみた。
元禄時代、5代将軍綱吉によって建てられたそうだ。
「日本の学校教育発祥の地」だとかで、
合格祈願の絵馬なんかがたくさんある。
みんなどうにかなりますように。
本堂、じゃなくて大成殿には孔子を祀っている。
土日祝は大成殿内部を一般公開。(見なかったけど)
しかし晴れた日の黒い建物は、露出がまあ難しいこと・・・。
円柱とか回廊がたまらなく好き。
土塀も好き。
そういえば聖橋という名は、この湯島聖堂と川を挟んだ対岸の
ニコライ堂を結んでいることから来ているんだってさ。
おまけ。
というわけで、
今年もどうぞよろしくお願いいたします。
カテゴリー: 東京都
聖橋から 御茶ノ水散歩
御茶ノ水の聖橋から眺めるこの風景が好き。
下に見える神田川。電車と、奥に見える緑色の鉄橋。
中央線と総武線が交差する線路。
さらには遠くに見える秋葉原の街並み、とどめに川沿いの建物。ビリヤード場もあるんだよね。
とにかくここにいるだけでいろんなものが見える。
神田川の流れも谷も人の手によって造られたものだけど、
ここからの眺めが東京で(今のところ)一番好きかもしれない。
農家を見る 江戸東京たてもの園③
江戸東京たてもの園見学のつづき
園の東ゾーンの下町の街並みのすぐ近くにある
天明家(てんみょうけ)という農家を見てみる。
立派な長屋門越しに母屋を見る
天明家は今の大田区のあたりにあって、
大名の鮎狩りの際に本陣を勉めるような格式高い農家だったそうだ。
母屋はこんなふう
屋根の真ん中の出っ張り(千鳥破風という)が格式の高さを表している(らしい)。
母屋に入ると、花頭窓があった。
なかなか凝ってますな。
かまどもある。
園内の茅葺や藁葺の古民家では、ボランティアの方が
定期的にかまどや囲炉裏に火を入れて、
その煙で、屋根に虫が付くのを防いでいるそうだ。
そうすると、屋根の寿命が30年近く延びるのだとか。
このときもちょうどその日だったようで、
見学しているとボランティアと思しきおじさんが
「囲炉裏に火をいれたので温まっていきませんか?」
なんて声をかけてくれた。
お言葉に甘えて囲炉裏で暖をとる。(2月だったので)
おじさんの一人は、子供の頃遠足で幕張に潮干狩りによく行ったとのこと。
そう。駅から出てちょっと歩けば海だったんですよね。昔は。
しかしおじさん潮干狩りのことを「ひおしがり」って発音してたなあ。
だいぶ温まったので、おじさんたちに礼を言い
天明家をあとにした。
母屋から長屋門を眺める。
門のほうが僕の家より広い・・・。
ところで、ここ数日とてもアクセス数が多くて、
今見たらマクスタのランキングで一位になってしまっていました。
実はニフティーのデイリーポータルZというサイトのリンクのコーナーに、
僕のブログの奈良の大仏の記事が紹介されまして。
ま、夏のいい思い出ということで。
三省堂 江戸東京たてもの園②
江戸東京たてもの園のつづき
子宝湯の前の通りは
下町の街並みが再現されている。
その一角にあるのが文具店の「武居三省堂」だ。
スケッチをしている人が結構いた。
店内はこんな感じ。
筆・墨・硯なんかの卸売業を営んでいたそうだ。
素敵な商品棚。
「釜じい」の薬草箱のモデルになったとかならなかったとか。
どの箱に何が入ってるか、これでわかるんだろか・・・。
いい雰囲気です。
お店の脇の路地裏もいい雰囲気。
下町エリアだけでも一軒一軒見どころがあって、ちっとも先に進めやしない。
ここ以外にもあと二つ、センターゾーンと西ゾーンがあるんだけど。
これが近所にあったらきっと毎月来ちゃうな・・・。
とりあえず、つづく。
子宝湯 江戸東京たてもの園
ずいぶん前のこと(2月)なのですが・・・、
武蔵小金井にある「江戸東京たてもの園」に行ってきた。
たてもの園は、小金井公園の中にある野外博物館で、
文化的価値の高い歴史的建造物が建ち並んでいる。
まさに建物好きの聖地。
前からずっと行きたいと思っていたのだが、
幕張から総武線に乗って、中央快速に乗り換えても
一時間半かかるという微妙な遠さがネックになって
足を運べずにいたのだ。
しかし2月のとある平日、ようやく時間ができ、念願かなって訪れることができた。
たてもの園のある小金井公園は
広々としてなかなか素敵な公園。
たてもの園は西・センター・東の三つのゾーンに分かれている。
解説本にある物件を数えてみると、27個もあったので
その全部を紹介はできないし、実際最後の方は疲れてしまって全部は見られてないので、
とりあえず今回は東ゾーンの下町の街並みにある銭湯
「子宝湯」を。
その「子宝湯」がコレ。
堂々とした構え。
昭和4年に足立区に建てられて、昭和63年まで営業していたそうだ。
大きな風呂は気持ちが良くて好きだが、銭湯という建物自体も好き。
しかし営業中の銭湯で写真を撮るなど、できるわけ無いので
ここぞとばかりシャッターを切る。
入口から
まずは男湯へ。
高い天井がたまりません。
レトロなポスターも。
乱れ籠というのだそうで。
憧れ(?)の番台。
湯場の天井ももちろん高い。
湯船は深い。
きっとあっついお湯だったんだろうなあ~。
外の意匠もかなり凝っている。
この彫刻だけで家一軒建つのだとか・・・。
気を抜くとここでずっと撮り続けてしまいそうなので
銭湯を出ることに。
物件はまだまだあるからね。
つづく。
そそり立つビル
神田神保町
神田散策のつづき
神田駅からてくてく歩いて本の街、神保町までやってきた。
寝不足とビール(飲んじゃった)のせいでなんとなくボーっとするので
適当に撮り歩く。
靖国通り沿いにたくさんの古書店が軒を連ねているが、
だいたいどこの店も、店内には専門書が並んでいて、店外のワゴンに
一般の古書が置いてある感じ。
お店に入らなくても、外のワゴンの本を眺めながら歩くだけでも楽しい。
店内は本が山積み。
下のほうにある本を下さいって言ったら、大騒ぎだろうな・・・。
本屋も多いが、レトロな喫茶店も多い。
古書店の多くが靖国通りの南側にあって、入り口は北を向いている。
日が当たって本が焼けないようにするためだって、むかしアド街ック天国でやってたな。
で、今回買ったのはコレ
自分の興味のある本を探すのはもちろんだが、
なんだかよくわかんないけど
こんな専門分野もあるのかー!という発見もあったりして、古書店めぐりはやっぱり楽しい。
つづく
神田を歩く
神田を歩く
神田の街をふらふら歩いてみた。
御茶ノ水駅で降りて神田神保町にはたまに行くのだけど、
山手線の神田駅で降りるのは初めて。
事前にちょっと調べてみると、JRの高架下には小さな立ち飲み屋などの
飲食店がひしめき合っているようだ。
夜勤明けで疲れたので、あわよくば昼間っからちょっと一杯引っ掛けちゃおうかしら、などど考えつつ
散策開始。
駅を出ると、確かに高架下にお店がいっぱい。
高架橋はレンガ造り。なかなか風情があるじゃないか。
しかし高架の下に入ると、そこは昼なお暗く怪しい雰囲気。
線路の真下にすし屋がある。
祝日の真昼間のせいか、ちょっと飲めるような店はどこも閉まっている・・・。
ビールを飲みたいし、お腹も空いたが、とりあえず街を歩いてみることに。
神田の街は、もちろん新しいビルがたくさん建ち並んでいるのだけど、
その隙間にひょっこり古い建物があったりしてなかなか面白い。
ちょっと古そうなビル
どこをどう歩いたかイマイチわからないけど、
栄屋ミルクホールを発見。
ここもお休み・・・。ラーメン・・・。
どなたですか?
気になったので、帰ってから調べた。
ここは「顔のYシャツ」というオーダーメイドのシャツのお店。
看板は先代のお顔なのだそうだ。
ビルの間に小さなお稲荷さんがあった。
昼でも灯りが点いていた。
このまま歩き続けて、
次回は本の街、神田神保町を。
五反田で飲む
勉強会のため、久しぶりに五反田へ。
勉強のために行ったはずだが、
どちらかと言うと、そのあとの焼き鳥がお目当てだったりする。
勉強会が終わりに近づくと、そわそわしてきて集中できん・・・。
一応勉強したあと、そのお目当ての焼き鳥屋さんへ。
五反田駅から数分、目黒川沿いにある「ももちゃん」。
たまにしか行かないけど、何だかんだで10年くらいのお付き合い。
マスターが顔を覚えていてくれてるのがうれしい。
店内は10人くらいでいっぱいになる。
すぐ近くを走る東横線の電車の音も心地いい。
さて、何を食べよかな~。
こっちにもメニューが。
謎のサワー、ホイスとバイス。
まるで姉妹品のように並んで書いてあるが、どうやら全然関係ないみたい。
漢方なんかが入って不思議な味のするホイスより、
梅しそ味のバイスが私のお気に入り。
というわけで、とりあえずバイスとトマト豚巻きをいただく。
カリカリの豚肉とトマトの甘さが妙に合う。
しかしまあ、一人なのによく飲んでよく食べた。
次の日口内炎になったよ・・・。
また来月も勉強会があるのがうれしい。
南極観測船 宗谷
船の科学館では
日本の初代南極観測船・宗谷が係留されていて、見学することができる。
この宗谷、もともとは昭和13年、ソ連からの発注により建造された貨物船だったのだが
国際情勢の悪化によりソ連には引き渡されず、日本で民間の貨物船となる。
その後、海軍に買い上げられ特務艦として活躍し、
奇跡的に戦争を生き延びた後は、引き揚げ船、灯台補給船として働く。
そして昭和31年、日本は南極の観測を行うことを決定。
もともとソ連向けで、砕氷能力を持っていたこの宗谷が初代南極観測船として選ばれた。
通算6回の南極観測のあと、そのまま引退かと思いきや
昭和37年からは海上保安庁の通常の巡視船として北海道に配備。
昭和53年にようやく退役となった。
とにかく、まあ、複雑な経歴の持ち主のようで。
調べているうちになんだか愛着が沸いてきてしまったが
見学のときにはそんな予備知識はまったく無し。
気になるものをとにかく撮っていく。
船内に入って、まず食堂なんかを見ていると、背後の室内で人の気配が!
振り返ってよく見たらマネキン人形。船内には所々にこういったマネキンが展示してあって、
当時の様子を紹介していた。
愁いを帯びた表情の機関長。
あーびっくりした。
船内のお風呂
憧れのモールス信号!
船室の壁にはこんなものが・・・。
もちろんブリッジも見学できる。憧れの伝声管が・・・。
船後部の甲板はヘリポートになっている。
この宗谷、現存する数少ない日本海軍の船なのだが
経年による劣化が激しく、保存のための募金活動が行われているそうだ。
う~ん、また見に行きたいぞ。