ゆかりの家・いなげ 再訪

先日、稲毛の浅間神社へ行った際、
せっかくなのでお隣の「ゆかりの家・いなげ」にも寄ってみた。
ラストエンペラー愛新覚羅溥儀の弟、溥傑夫妻が半年ほど暮らした家である。
前にも来たけど、やはり落ち着く佇まい。

初めて来たときはあれこれ写真を撮るのに夢中だったけど、今回はのんびりと。
と言いつつ、カメラがあるとやはり撮らずにいられない・・・。
おかげで新しい発見も。
屋根の上にシャチホコを見つけた!

民家にシャチホコって、珍しいんじゃないだろうか。
そして、建物の裏手にあるのがコレ。
防空壕。

戦争の遺跡が、人知れずこんなところにある。
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その続きはコチラ

夜の工場巡り④

夜の工場巡り、
最後は養老川の河口にある駐車場から見える化学プラントを。
工場地帯で夜景の写真を撮ろうと思うと、
なかなか車を止められる場所が少なくて難儀するのだけど
ここはそんな心配なし。
駐車場に車を止めて、そこからじっくり工場を眺めることができる。

左のプラントの上にある光のスジは、たぶん飛行機の航跡。
工場がすぐそばに見えるのはいいのだけど、
海が近いので風が吹き止むことが無い。
夜景の撮影にはなかなかキビシイ条件だ。

撮影中なぜかラジオ体操が聞こえてきた。夜中の12時過ぎなのに・・・。


夜の工場巡り、おしまい。
次回はいつ行けるやら・・・。
夜の工場巡り① 出洲港から見える製鉄所
夜の工場巡り② 蘇我のJFE第5高炉
夜の工場巡り③ 養老川河口から。対岸の石油プラント

夜の工場巡り③

出洲港、蘇我の第5高炉と巡り、
最後に向かったのは養老川の河口にある
養老川臨海公園。
工場萌えの名所であります。
この公園の駐車場のすぐ近くに工場があって
すごくよく見えるのだけど、
今回はまず対岸にある石油プラントを。
川のむこうにあるので少し遠いけど、こちらもなかなかの眺め。



つづく。
夜の工場巡り

夜の工場巡り②

出洲港で製鉄所を撮ったあと向かったのは
フクダ電子アリーナ。
ここから見えるのが、操業を停止したJFEの第5高炉。
昼間には何度か来ているけれど、夜の姿を見に来たのは初めて。
はたして夜の様子はどんなだろうと思ったら、第5高炉は怖いくらいに
真っ暗だった。空のほうが明るいくらいに。
こんなんで写真を撮れるのかしらと不安になりつつ
いろいろ条件を変えて、どうにか写ったのがこちら。

誰もいない暗闇の中、そよ風が吹いただけでもブレてしまう心許ない装備で
撮影を続ける。

影のような姿しか見えないので、ピント合わせも勘が頼り。

昼間みたいに明るいですけど、夜の11時半です・・・。

昼間みたいな写真しか撮れないなら、なにも夜中じゃなくて
昼間に来ればいいんじゃないかという気もしないではないですけど。
つづく・・・。
昼間の第5高炉はコチラ
解体作業の様子はコチラ。溶鉱炉がまる見え。
解体後の様子

夜の工場巡り①

ずいぶん久しぶりに、工場の夜景を撮りにでかけた。
流星群には目もくれず、一路工場地帯へ。
まずはこのブログでも何度か登場している出洲港で
製鉄所を撮影。
お気に入りの場所でございます。

防波堤があって三脚が立てられないので、
その防波堤にじかにカメラを置いて撮影。
コンクリート冷てえな・・・。

ちなみに、実際はこんなに明るくはなくて
しかも色味もかなり違います。
ほんとはこんな感じ。

水蒸気もまた、いいアクセントになったり。

やっぱり夜の工場はいいなあ。
さて、次に向かうのはJFEの第5高炉。
目指すはフクダ電子アリーナ。
つづく。
以前の出洲港の記事はコチラ
同じ場所の夕景

アンデルセン公園にて

船橋にあるアンデルセン公園へ。
奥さんの実家の近くだけど、初めて行った・・・。
馬に乗ったり、

じゃぶじゃぶ池で虹を見たり。

私は花を撮ったり。

結構楽しそうにしてたけど、
また行きたい?って聞いたら
「もう行かなーい」だって・・・。
なぜだ!!??

単焦点レンズは楽しい。

稲毛浅間神社で富士山探し②

浅間神社で富士山探しの続き。
稲毛浅間神社で一番駅に近い東側の参道。

ここの鳥居をくぐって水盤舎を過ぎると、右側に小御嶽神社が見えてくる。
多くの富士塚に祀られている神社が、ここ稲毛浅間神社の境内にもある。

実際は富士山の北側5合目にあるのだそうな。
狛犬も富士山っぽい土台に乗っている。

そして小御嶽神社の石盤には「天狗」の文字も。

何故かって?
それは、富士山には天狗がいるからです・・・。
この小御嶽神社の周辺には富士講やその他の講の講碑が
たくさん立っていた。
そんな講碑を見つけるたびに、ちょっと興奮。

ま、別に秘密結社の足跡を追っているわけじゃないんですけど、
なんとなくそれに近い気分。
表参道の燈篭にも富士講のマークを見つけたりして。
「あっ、こんなところにも富士講のサインが!」、そんな感じ。
3つの参道と小御嶽神社、そして富士山の溶岩と思しき岩の貼りついた不思議な祠。
さらにはたくさんの富士講の講碑・・・。
やはり稲毛の浅間神社は巨大な富士塚であった。

稲毛浅間神社で富士山探し

子どものお宮参りやら七五三で
何度もお世話になってる稲毛の浅間神社へ。
この稲毛浅間神社、神社のホームページに、文治3年(1187年)の社殿再建の際、
富士山の形に盛り土をし、参道も富士山にならって3つ造り、
社殿は東京湾を隔てて富士山に向かい合って建立したとある。
これってつまり・・・・・・、
巨大な富士塚ってことじゃないですか?!
何度も行ってるし、浅間神社がもともと富士山信仰から生まれたというのもなんとなくは知っていたけど、
境内全体を富士山として見たことは無かった。
すっかり富士塚めぐりがマイブームになってしまった今、こりゃあもう一度見に行くしかないでしょう。
はたしてこれまでと違った見方ができるだろうか。
まずは駐車場に車を止め
本殿にお参り。

ネットでちょっと調べたら、境内には富士講の碑や、富士塚の重要アイテムである小御嶽神社など
富士山にゆかりのものがいろいろあるとのことだが、
駐車場から本殿までの間には見つけられず。
正面参道から左の道に入ったところにある、小さな社の建ち並ぶ場所にも
富士塚関係のものは見つけられなかった。
本殿に向かって左側の階段を下りるとある古そうな北側の参道にも、何もなし。
うーむ、何も無いな・・・。
境内全体が富士山だというけど、富士塚らしいものは無いや、
階段を昇ったり降りたりして疲れちったよ。
と半ば諦めつつ本殿にもどると、その右側に「納札所」と矢印のついた看板と
下りの階段を発見。
おお、こっちにも道があったのか。
その階段を下りてすぐにあったのがこちら。

おや?
奥にある小さな祠は一体何だ??
表面には溶岩のようなものが貼りついていてゴツゴツしているぞ。

ひょっとしてこれは!?
と思い、近づいて祠の前の碑を見ると・・・

「包」という字の上に富士山のマーク。
八幡宿の富士塚と同じ富士講の石碑だ!!
やった!見つけたぞ!!
この祠が富士塚ゆかりのものなのは間違いないだろう。
しかしこれ自体が富士塚というわけではなさそうだ。
おそらく富士塚のアイテムの一つで、富士山の麓にある「胎内」とよばれる
洞窟を表しているのではないだろうか。
となると、祠のまんなかにいるこの像は
富士講の根本をつくった「長谷川角行」か。

ん〜、よくわからん。
そんなに古いものでもなさそうだし。
今度、神社の人に聞いてみよう。
富士塚に興味を持たなければ、この小さな祠も目に入ることは無かっただろう。
今まで見えなかったものが、視点を変えると見えてくるってのはなかなか楽しい。
次回は東側の参道で富士山を探します。
つづきはコチラ

上総国分寺へ

八幡宿の富士塚を見たあと、
少し足を延ばして上総国分寺へ行った。

お目当てはこの寺の薬師堂。なかなか良い姿なのですよ。
しかしまずは仁王像にご挨拶。
仁王像って彫るのはどうやら難しいようで、如来像のような動きのない像と違って
ダイナミックなポーズでしかも大きいので
何かちょっと間違うと怪獣みたいな見た目になってしまうのだけど、
この寺の仁王はなかなかの完成度。

かっこいいぜ。
その仁王門をくぐると正面に見えるのが薬師堂だ。

素晴らしい・・・。
入母屋の屋根が大きくてアンバランスな感じがとっても魅力的。
この薬師堂が南ではなく西を向いて建っているのは、
東方浄土にいる薬師如来を表しているからだろうか。
ちなみにここの薬師如来は正月三が日のみ御開帳。
次の正月は行くしかないな。
柿と薬師堂。

寺の南側には原っぱがひろがっているのだが、
実はこの原っぱが古代の上総国分寺の跡。

七重の塔も建っていたって。
近くに市原市役所があるけど、
古代もこの辺りが国の中心だったんだな。