交通公園と新駿河

この前の連休最終日、
花見川沿いの交通公園へ初めて行った。
そろそろ三輪車も卒業だから、
自転車の練習にはもってこいだな。

ブレーキのかけかたを早く覚えておくれ。
そしてお昼は久しぶりに
磯辺高校のお向かいにある新駿河へ。



この店に入るとちょっと遠くに来たような不思議な気分になるのはなぜだろう?
なんだか旅先で入った店みたいな雰囲気なんだよなあ。
ちなみにこの日食べたのは「てっさ丼」。
ふぐのお刺身を薬味としょうゆにつけて、タレのかかったご飯にのせて食べるのだ。

ぬぅ、うまい。
今度は麦とろ御膳を食べよう。
久々に休日らしい一日だったなあ。

忘れられない風景

数年前、
瀬戸内海を一人で旅したときの一枚。

瀬戸内海の小さな島の山の上、
オリーブ畑に挟まれた尾根づたいの道の先にある
展望台から撮った写真。
これを見ると、そのとき聞こえたふもとの学校のチャイムの音や
島々を巡る船のエンジンの音が鮮明に甦ってくる。
最近こういう「音」まで思い出せる写真を撮ってないなあ・・・。
アクセスカウンタの暴走で
このブログがランキング1位になってしまった。
これもまたいい思い出だな・・・。

台地のきれはし

花見川の川岸、
浪花橋のすぐ近くに、台地のきれはしがあるというので見に行ってみた。
写真の左側、木の茂った小さな山がそれだ。

対岸から見るとこんな感じ。

じつはこの山、かつては検見川側の台地とひとつづきだったのだが、
花見川の開削工事によって切り離されてしまったのだ。
つまり台地のきれはしというわけ。
では開削工事前の花見川はどこを流れていたのだろう?
地図を見てみると・・・

中央の赤いしるしの場所が山のあたり。
そしてその山を迂回するように道がカーブしている。
この道がどうも怪しい・・・。
住所も対岸の浪花町が、このカーブの内側に飛び地のようにあるのも不自然だ。
実際に見ると・・・
山を迂回するように、土手から道が分かれる。

しかもこの道には暗渠があった!

やはりこの道がかつての流れの場所ということで間違いなさそうだ。
この暗渠がどこから始まっているかはちょっとわからなかった。
ちなみに切れはしの山には城の櫓の跡があるそうだ。
そっちも気になるところだが、山は立ち入り不可。残念だ。
関係ないですが、その日の夜・・・
おうちでピータン。ふふふ。

ワッペン、保育所のカラー帽子に付けちゃおうかしら。

谷の終わり 幕張の谷をゆく5

幕張の谷をゆく」のつづき。
浜田川の支流に沿って走り
幕張から習志野市に入ると、川は暗渠になってしまう。
そしてこの先、川が姿を現すことはもうない。
これからは道路の高低差や台地の位置を見て、地下の川を探しながら谷底を走らなければならない。
暗渠になった場所からの延長線上には小学校や保育所なんかが並んでいる。

この地下を川は流れているはずだ。
こちらは保育所。

この道をつたって走ると、非常に緩やかだが徐々に上り坂になっていく。
上り坂ということは、そこはもう谷底ではないということなので
少し戻って低い場所を探しながら走る。
と言いつつ、ちょっと台地の上にのぼってみよう。

幕張と違い、習志野の谷には家がビッシリ並んでいる。
再び谷に下り、ふと目をやるとそこには緑道が。

うーむ、緑道ってところがどうも怪しい。
ひょっとしたらもともと川だった場所を緑道にしたのかも知れないな。
というわけでこっちの方向へ進むことに。(実際に走ったのは緑道よりも低い、住宅街の中の道)
そしてきれいな住宅街を抜けると、突然広々とした場所に出る。
こ、ここは?

公園のむこうには、崖に沿って家々が建っている。
ちょっと高台から。

公園は三方を崖に囲まれている。
三方が行き止まりということはそう、この公園、大久保中央公園こそが幕張から続く谷の終わりなのだ。
ここが谷の最奥。そして今回のサイクリングのゴールだ。
縄文時代にはこの場所まで海水が入り込んでいたんだな。
ゴールを迎え、思っていた以上の感動が押し寄せる。
たった2時間程度のサイクリングだったけど、地形を感じながら走ると
こんなに面白いのか。
パークゴルフ場やタコの滑り台なんかがあるこののどかな公園で
谷だなんだと変な感動にうち震えているのはきっと私だけだろう。
ちなみにタコの遊具は、この場所がかつて海の底だったのだという
習志野市からのメッセージだろう・・・。・・・ちがうか。
というわけで「幕張の谷をゆく」、おしまい。
ね。ただのサイクリングだったでしょ。

あとひとつオマケがあるのだけど、それはまた追々。
幕張の谷をゆく

荒れ野を走る 幕張の谷をゆく4

幕張の谷を走るサイクリングのつづき。
一週間もほったらかしでしたが・・・。
パサールを過ぎると、川の両岸には盛り土が迫る。

とても幕張とは思えない風景。
盛り土の間をしばらく走ると、突然視界が広がって
台地の上の家々も見えるようになる。

家が見えると、ちょっとホッとする。
パサールからここまでの間は人も家も見えず、生活の気配を全く感じなかった。
そんな場所が幕張にあるというのが何とも不思議な感じ。
台地に上って、谷を見渡してみた。

対岸は屋敷方面。
幕張とか大久保の台地の上に縄文時代の遺跡がいくつかあるそうだ。
なんで海から離れた台地の上に縄文人は住んでいたんだろうかと
ずっと思っていたのだが、そう、この谷もその時代には海だったからなんだな。
縄文人はこの場所で、釣りとかやったんだろか。
そんなことを考えつつ、川沿いを走ると
川は再び暗渠になってしまう。

たどり着いたのは、この辺り。幕張本郷から屋敷へ抜ける道だ。

じつはこれから先、この川が姿を現すことはもう無い。
これまでは川を辿って谷底を走ったが、
これからは、地下に潜った川を探しながらのサイクリングになる。
その前にちょっと寄り道。
幕張本郷から下ってくる道を、屋敷方面へ少し上ったところにある
屋敷一丁目公園。
前を車で通るたびに石碑が見えて気になっていたので
寄り道して見てみたら、
その石碑は庚申塔だった。

大須賀山のふもとの庚申塔には青面金剛の像が彫ってあったが
こちらは文字バージョンだ。
そしてやっぱり三猿がいた。

石碑の側面には「馬加村」の文字が彫ってあった。
こうやって塔を建てるってことは、なかなか積極的に活動していたということか。
こういう信仰はいつごろまで続いていたのだろう。
それとも私が知らないだけで、地元では今でも続いているとか。
つづく。
次回はいよいよ谷の最奥へ。
幕張の谷をゆく