鷺沼の谷を辿るサイクリングの続き
谷底を走っていると線路にぶつかってしまったので、迂回して陸橋を渡ることに。
陸橋からはこんな景色が見られた。
手前の谷に住宅地があって、その向こうに台地の畑。その奥に幕張本郷の街がある。
陸橋を渡りきった後、右に曲がって再び谷底を探す。
線路を越えてすぐの谷底は原っぱになっていた。
近くの道沿いには馬頭観音の碑が立つ。
突き当りには線路の土手があって通り抜けできるような道ではないのだが、
人々の往来を見守るはずの馬頭観音がここにあるということは、
この道がかつて線路が敷かれる前の幹線道路であったということなのだろうか。
線路の近くの谷底は原っぱだが、
そのあとは再び住宅地になる。
底をなぞって道があるわけではないので、
それより少し高い場所を通る道を行く。谷底は見失わないようにしないと。
チラチラと谷底の存在を確認しながら自転車を走らせる。
線路を渡る前よりもだいぶ谷の幅が狭くなってきた。
谷の奥へと進んでいることを実感する。
途中、谷底へ降りてみると公園を見つけた。
「鷺沼四丁目児童遊園調整池」というそうだ。
ここの地下に池があるということか。
川は完全に埋められてしまったのではなく、暗渠となって今でも地下を流れているのかもしれない。
埋められた川というと「千と千尋」を思い出してしまう。
あれに出てきた川の神様はコハク川のハクだったので、
こちらは堀田川の堀田さん、もしくはホリ君かしら・・・。
ま、どうでもいいんですが。
さて、そろそろ谷の一番奥へと辿りつきそうな予感がしつつ走っていると、
目の前の視界が開けてきた。
習志野の花咲にある梅林公園だ。
じつはこの公園には前にも来たことがあって
その時も、ここは起伏があって不思議な地形だとは思っていた。
しかしそれほど地形というものに興味を持っていなかった当時、
ここがまさに谷で、これが国道14号の方まで続いているなんてことは
考えもしなかったこと。
以前の記事を見ると、同じような写真を撮っていた・・・。
道路の写真ばかりなので、たまには花でも。
このあとも谷は続いていたのだが、
徐々に浅くなって、谷は溶けるように住宅地の中に消えてしまった。
というわけで、鷺沼の谷の一番奥には梅林公園がある、
と僕の中ではそういうことにしようかと思う。
そして今回辿った谷が堀田川の跡だとは思うのだけど、
そうすると習志野市のHPにある水源の沼というのはどこなのか。
梅林公園だろうか。
地形図をよ~く見てみると
谷が一番奥のほうで二手に分かれているようにも見える。
もう一方のほうに沼があったとも考えられるな。
そうするとまだいろいろ調べないといけなそうだが、
時間がないのでとりあえずこれでおしまい。
お疲れ様でした。
鷺沼の谷を走る
本大久保の住人です。
つい先日、私も「堀田川」が昔、存在していたと聞きました。
そこで、インターネットで検索をかけたら、このページにたどり
つきました。
興味ありますよね(他の人からどんな興味なんだ!?と言われそうですが)。
> そうすると習志野市のHPにある水源の沼というのはどこなのか。
> 梅林公園だろうか。
> 地形図をよ~く見てみると
> 谷が一番奥のほうで二手に分かれているようにも見える。
> もう一方のほうに沼があったとも考えられるな。
もう一方の谷は、おそらく私が以前、ちょっこっとだけ住んでいた
習志野市本大久保1-3-2x 周辺と思われます。
ただ、バーミヤンからどのように谷が続いているのかは不明。
バーミヤンの通りをまっすぐ京成大久保駅の方へ行くと右手に
「ゆうゆう館」という所があります。左手には公園がありこの公園の
横の道を入って京成線の線路の突きあたりまで行くと、地下道の
トンネル(京成線の向こう側に出る)があります。
トンネルをくぐった所から上記の居住表示まで谷地になっております。
一応、参考までではありますが。。。。。
是非、堀田川散策してみてください。
また、何かわかりましたらアップ願います。
MicBerryさん
コメントありがとうございます!
お返事が遅くなり、申し訳ありません。
もう一方の谷というのが、
じつはずっと気になったままなのです。
もうちょっと涼しくなったらまた探してみようかと思っております。
情報ありがとうございました!
京成線をくぐるとなると、ひょっとしたら「菊田川」の谷の可能性も
あるかもしれませんね。
大久保の周辺はいろんな川の谷が入り組んでいてとても興味深いです。
違う川につながる谷がすぐ近くにあるということは、
あの辺りの住宅地に分水嶺があるということでしょうか。
分水嶺・・・。そそる響きですねえ。
私は大阪出身で、東京に出て来たとき武蔵野台地の起伏に驚いた記憶が有りました。近くを通るたびに奇妙な土地だとは思ってましたが、習志野の鷺沼にもこんなに面白い土地が有ったんですね。全く見逃してました。。。
新しい記事を楽しみにしてます。
私は大阪出身で、東京に出て来たとき武蔵野台地の起伏に驚いた記憶が有りました。近くを通るたびに奇妙な土地だとは思ってましたが、習志野の鷺沼にもこんなに面白い土地が有ったんですね。全く見逃してました。。。
新しい記事を楽しみにしてます。
wubさん
コメントありがとうございます!
最近本屋さんに行くと、東京の地形の起伏に注目した街歩きの本が
たくさん並んでいますね。
普段何気なく見ている地形が意外な場所と一続きに繋がっているのを
発見するのが谷めぐりの醍醐味だったりします。
千葉県の総武線沿線には台地を刻む小さな谷がたくさんあるので、
これをひとつひとつ巡っていきたいところですが、
なかなか時間が取れないのがもどかしい限りです・・・。
子供のころ、堀田川と鷺沼の沼で遊びました。
堀田川は鷺沼の谷に沿って流れていました。梅林公園あたりからJRの土手。
JRの土手の下のトンネルをくぐって南へ。そして14号をくぐって海。
JRの土手の北側では流れの勢いがさえぎられてちょっとした沼になっていました。JRの土手の南側は現在は暗渠となっています。谷の真ん中を流れるマンホールのふたのある道がそうです。南に下って、八釼神社の南西でくの字に曲がって14号をくぐって海にという経路です、
沼地だったところは八釼神社の北西あたりからJRの土手までと、上の書いたJRの土手の北側に小さい沼。沼地とっても大部分が田んぼでした。でも、鷺沼小学校の坂を下ってバーミアンのほうに曲がらずにそのまま行った先の左側には大きな沼がありました、田んぼってほったらかしにすると水が枯れてしまうものなのですが、そこはずーっと埋め立てられるまで水がありました。
斜面林には白鷺がいて、このあたりが鷺沼の地名の元かなと考えています。
引き続き写真で説明を・・・
鷺沼の谷を走る②の7枚目
この道の左に田んぼでない本当の沼があった。
埋め立てで最後まで残ったところ。
鷺沼の谷を走る②の9枚目
かつて堀田川であったところの暗渠です。マンホールがところどころにあって、
下にはかつての堀田川が流れています。両側は田んぼと湿地帯だった。
鷺沼の谷を走る③の1枚目
この橋の下はずーっと田んぼでした。八釼神社の手前まで続く田んぼと湿地帯。
鷺沼の谷を走る③の2枚目
沼だったところです。でも自然の沼でなくてJRの土手で流れがさえぎられた沼。
さえぎられた流れは土手の下の土管をくぐって南へ。
昭和40年代から50年代、ここは習志野市の天然ガスの採掘場でした。
田んぼはほったらかすと乾燥して干上がってしまうものが多いのですが
鷺沼の田んぼは干上がらないで沼や湿地帯になりました。地下水の湧き出しが多いのだと思われます。
あと、堀田川の海へながれる部分が極端に狭くて人工的な造りだったのと、私の祖父から堀田川の名前が
「田んぼを堀った」から堀田川と聞いたことがあり、堀田川はこのあたり一面の沼を田んぼにするための
水抜きのための人工的な用水路ではなかったかと想像しています。
yagisanさん
非常に詳しい貴重なお話、ありがとうございます!
現在の地形をみて、そこから予想するしかなかった
この記事ですが、いただいたコメントですべてスッキリしました。
そして、立てた予想がそれほど見当はずれなものでもなかったのだと
わかって、ちょっと興奮してもいます。
JRの土手の北にある原っぱで感じた違和感も解決しました。
なぜここだけ家が無いのかとずっと思ってたのですが、やはり沼があったのですね。ガスの採掘というのはかなり意外です。
また、暗渠の上の道が何故まっすぐ14号に繋がっていないのも疑問だったのですが、かつての川自体が曲がっていたんですね。
図書館で調べても、堀田川についてあまりいい情報は得られませんでした。
いただいたコメントのおかげで、この記事自体が堀田川についての
良い資料になったのではないかと思います。ありがとうございました!!