猫実の富士塚 浦安探訪2

浦安探訪のつづき
新浦安駅から境川沿いを歩いて、境川東水門を過ぎると
埋め立て以前からある、元町というエリアに入る。
新町と呼ばれる埋め立て地では、川岸はただのコンクリートだったが
水門から先はレンガ造りになって、川面近くまで降りられる。

街並みにマッチして、良い雰囲気だ。
ここから少し川を離れて、ガイドマップにあった「左右天命弁財天」を見に行く。
本日一つ目の物件だ。
細い路地を行くと、何やら水の流れる音が聞こえてくる。
住宅が密集した場所にはそぐわないような、なかなか勢いのありそうな水音だ。
その音の出どころと思しき場所に左右天命弁財天があった。

弁財天の祠は周りを池でかこまれていた。
猫実の弁天様と呼ばれているそうだ。明治17年建立。
非常に霊験あらたかだそうだが、しかし左右天命ってのはいったい何のことなんだろうか?
せせらぎのような水の音の正体はこれだった。

周辺の路地は下町っぽくてなんだか良い感じ。

そのまま川には戻らず、路地を通って次に向かうのは「浦安三社」のひとつ
豊受神社。

豊受神社の境内には富士塚があるのだ。
浦安市内にはこの豊受神社を含めて三つの富士塚がある。
それは浦安三社にそれぞれひとつずつなのだが、
決して広くは無い浦安に何故三つも富士塚があるかというと、
浦安がかつてあった三つの村が合併してできたから。
浦安三社の豊受神社、清瀧神社、稲荷神社は猫実、堀江、当代島という
それぞれ別の村にあったのだ。
一つの村が富士塚を造れば、隣の村も、じゃあうちの村にも造るか、ということになるのだろう。
それだけ富士信仰も盛んだったんだろうな。
さて、豊受神社の富士塚、猫実富士は境内に入るとすぐに目に入ってくる。

相当大きい。
おそらく僕が出会った富士塚のなかで一番の大きさだろう。
山肌も大き目の溶岩がたっぷりあって、かなり荒々しい。
遠くから見た富士山は、なめらかでとても美しいが、
実際に登るとなると、富士山は岩だらけで決してなだらかではない。
この富士塚も、遠くから見る富士山ではなく、登る対象としての
富士山を表現しているんではないだろうか。
こちらは頂上の奥宮。

じつは富士塚の前にはデカデカと「のぼってはいけません」と書いてある。
しかし富士塚のあまりの素晴らしさについつい興奮し、
参拝に来ていた地元のおじさんに話しかけたところ、
「登っていいんだよ~。子どもが危ないからああやって書いてあるけどさ」だって。
まさかのお言葉。
だがさすがに躊躇していると、「そこが登山道だよ」といいながら
おじさんが脇から登り始めてしまったではないか。
こりゃあもう登るしかない、というわけで登山ガイドのようなおじさんとともに登拝。
山の中腹にはなんと天狗がいるのだ!

天狗の横にはお稲荷さんの祠があったそうなのだが、
落っこちて壊れてしまったのだと教えてくれた。
頂上からの眺め。
下にちょっと写っているのが、案内してくれた地元のおじさん。

おじさん、ありがとー!
僕が富士塚に興味を持ったきっかけは、浦安の歴史を調べているときに
この富士塚の記述に出会ったから。
そして記述ではなく実際に見た富士塚は、本当に素晴らしいものだった。
つづく。
浦安探訪

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