鷺沼の飛行場跡から国道14号に出て
幸楽苑と工場の間の細い坂道を登っていくと
広々とした畑に出る。
すぐ下の国道やインターチェンジの喧騒が嘘のように静か。
畑の一角に翼を拡げたような石碑が建っていて、「山懸飛行士殉空之地」と刻まれている。
鷺沼の飛行場から飛び立った山縣豊太郎は、曲技飛行に失敗。
この地で墜落死した。
石碑は山縣飛行士の師匠であり、伊藤飛行機研究所の設立者である
伊藤音次郎がその死を悼んで建てたもの。
残念ながらこの事故が、日本初の墜落事故になってしまったそうだ。