大須賀山探検のつづき
首塚を後にして山の北側の住宅街を歩く。
この辺りには大きな住宅がたくさん。背後には首塚の森。
なんとなく北鎌倉の住宅地みたいな雰囲気だった。
道がよくわからないまま歩いていると、下り坂の途中に神社をみつけた。
大須賀山の北側、山の中腹だ。
地図で大須賀山のあたりを見ると、首塚の表記は無く
道祖神社とか猿田神社と書いてある。おそらくこの神社がそれであろう。
ちなみに猿田神社の「猿田彦」は複雑な神格を持ち、その中には道祖神の性格も持ち合わせているそうで、
地図によってまちまちな表記の道祖神社と猿田神社は同じとみてよさそうだ。
小さな境内には鳥居と祠がそれぞれ二つずつ。
神社自体には神様の名前などは何も書いてなかったので、いったい何が祀られているかはわからない。
二つの祠のうちのどちらかは猿田彦が祀られているのだろうけど、
残ったもう一方はいったい何なのか・・・。結局わからず。
神社の前を通って坂を下ると、薄暗い森から抜けた。
浅い谷津越しに見えるのは以前訪れた浅間神社の山。
ここから見える浅間神社の台地やその背後の上ノ台には縄文遺跡があるが、
大須賀山にも縄文初期の大道遺跡というのがあるそうだ。
縄文時代、岬の先端は人々にとって聖地であったという。
今より海水面がかなり高かったので、大須賀山や隣の浅間神社の山は
古東京湾に飛び出た、まさに岬であった場所だ。
同じように縄文時代からの聖地であった花見川対岸の検見川神社のような立派な社殿は無いが、
幕張の二つの岬もきっと縄文の人々にとって聖地であったはずだ。
これだけ住宅化が進む中、台地の先端に森が残っているってだけでもミラクルだよね。
来た道を振り返ると、そこにはまさに木のトンネルがあった。
大須賀山の探検はこれでおしまい。
ここには埋立地には無い空気が流れていた。
幕張は奥が深いな・・・・。
大須賀山探検
いつも色々調べてるのかな?
写真とともに
一冊読みお終えたような気分になります
ひっきーさん
ネットでももちろん調べるんですが
それだけだとちょっと悔しいので、図書館でも調べたりします。
学生の頃もこれくらい熱心に勉強できればよかったのに・・・。
引っ越してきて約3年間。
ここの真近くのアパートに住んでいるのに、
「何でこんな所に森が?」と思っている程度で、
全く気にしていませんでした。
…まさか首塚とは(汗)。
わかりやすい説明、参考になりました。
次の休み、写真を参考に散策してこようと思います。
法度さん
はじめまして。
コメントありがとうございます!
私も数年前に幕張に引っ越してきてしばらくは
幕張のこと全然知りませんでした。
でもちょっと調べてみると
幕張には謎のスポットがたくさんあるんですよね。
町の奥の深さに興味津津です。
ここの首塚、夏は蛇とか出そうでちょっと怖いですが、
涼しくなった今は散策にはちょうどいい時期かも知れません。
そういえば、私は見つけられなかったのですが
首塚の森の中になぜか観音像が立っていると、
どなたかのブログに書いてありました。
やはり謎多き場所ですね。
フラットさん、今も幕張にお住まいですか?
よく御存じかと思いますが、作家の椎名誠は幕張小学校の卒業生で、この街で少年時代を過ごしました。子供時代、堂の山はかっこうの遊び場で、首塚の南側にある椿の林で、枝を伝って地面に降りたら負けという鬼ごっこを仲間とよくやっていたそうです。椿の林の斜面の下は崖になっていて、今は住宅と大通りですが、椎名誠が子供のころは崖下が浪の打ち寄せる海岸だったとか。彼の小説やエッセーに何度も登場する場所です。
すーさん
今も住んでますよ。
大須賀山のすぐ近くが海だったというのは
昔の航空写真などでなんとなくはわかっていたのですが、
当時の街の様子というのは空からの写真だけでは
分からないものがありますね。
椎名誠が幕張出身というのは知りつつ、いままで本を読んだことが
なかったのですが、俄然興味が湧いてきました。
どれから読もうかな~。