大多喜散策 つづき 大多喜街道をゆく③

大多喜散策の続き。
大多喜の町中を走る旧街道は
いかにも城下町らしく鍵形に道が曲がっている。
その曲がり角に建つのが
国の登録有形文化財「豊乃鶴酒造」。

現役の酒造メーカー。「大多喜城」という酒を造っている。
お酒は酒蔵で買えるというので、ちょっとおじゃま。

レンガ造りの煙突がステキだ。
そしてお土産に吟醸酒を買った!
さらに旧街道を行くとあるのが「大屋旅館」。
こちらも国の登録有形文化財。現役の旅館だ。

いいなあ。もうちょっと歳をとったら泊まってみたいぞ。
鉄道で房総一周一泊二日で、宿はここってのはどうだろうか・・・。
と言いつつ、旅館よりも気になったのが
お向かいにあるこのお家。

チョー気になる!!
旧街道をしばらく歩くと古い街並みは途切れ、川にぶつかる。
御禁止川(おとめがわ)というそうだ。
川に架かる橋からは大多喜城といすみ鉄道の鉄橋が見える。

ホントはここに列車が通りかかれば、絵葉書みたいな写真になったんだろうけど
なにしろ列車の本数が少ないので・・・。
このあと橋を渡って蕎麦屋に入り、
その後、旧街道を引き返して散策は終わり。
同じ小江戸でも、川越のほうが観光地としては完成されている感じだけど、
大多喜もなかなか充実していて楽しかった。
のんびりできるのはこっちの方だな。
今度は列車で来てみよう。
大多喜散策、おしまい。

大多喜散策 大多喜街道をゆく②

房総の小江戸とも呼ばれる、大多喜の城下町を散策した。
天正18年(1590年)、本多忠勝が城主となり
地名を小田喜から大多喜に改め、城下町を整備。
現在のような街並みが整ったのは江戸時代の前期頃だそうだ。
小江戸といえば、先日川越に行ったばかり。
このときはあまりの人出と交通量の多さに参ってしまって
小江戸の趣きを感じる前にさっさと帰ってしまったのだが、
さて、こちら房総の小江戸はどうだろうか。
まずはいすみ鉄道の大多喜駅近くにある無料の町営駐車場に車を止め、
駅前の観光案内所で情報収集。散策マップをいただく。
こちらが大多喜駅。

では散策スタート。
駅から東へ向かって徒歩5分、とりあえず旧大多喜街道沿いを散策していく。
そして最初に現れるのがこちら。
「渡辺家住宅」。国の重要文化財!

江戸時代後期の建物だそう。
むかし「なんでも鑑定団」に出演していた日本画家の故渡邉包夫先生のお宅であります。
個人宅なので見学不可なのだが、うっかり入ってしまうところだった・・・。
たぶん知らないで入っちゃう人いるだろうな。
旧街道沿い、渡辺家住宅のすぐ近くにある
「釜屋」という土蔵造りの商家。質屋と金物屋を営んでいたそうだ。

軒下から街道を眺める。

旧街道沿いは古い建物が多く、落ち着いた雰囲気だが
それ以外の新しい商店や一般住宅も含めて街並みを整備しているようだ。
その前にあった酒屋さんの看板。

こちらも気になる看板。

キューピーとパンダが・・・。
お菓子屋さんの看板。

チウインガムだって。
つづく。

平三簡易郵便局 大多喜街道をゆく①

車で大多喜町に行った。
房総の小江戸と呼ばれる大多喜の城下町の散策がお目当てだが
まずはその途中、大多喜街道で見つけた気になる建物を。
行きで見つけて気になったので、帰りに寄ってみたのだ。
それがこちら、平三簡易郵便局。

場所は市原市の山の中の街道沿い。
周辺には「市原ぞうの国」なんかがある辺り。
局員の方のお話しによると、
この建物、昭和30年代に建てられたそうだ。

「ひらさん」と読むみたい。
ちなみに簡易郵便局というのは
民間による郵政の代理店みたいなものだそうだ。(ウィキペディアより、民間というのは国以外という意味)
とっても味のある建物だと思うのだけど、
局員の方は
「お金があればすぐにでも建て替えたいんだけどね~」だって。
「大雨が降ると雨漏りがね・・・。
修理するとなると、古すぎちゃって全体を直さないといけないんだよね」
ああ・・・。それは味どころじゃないですね・・・。

そういえば局の中に入ったときに
「簡易郵便局を撮って廻ってるんですか?」なんて訊かれたけど、
そういう人がいるんですか?
これは私に簡易郵便局を見て廻れという啓示でしょうか!?
次回は大多喜の城下町の散策を。

上総国分寺へ

八幡宿の富士塚を見たあと、
少し足を延ばして上総国分寺へ行った。

お目当てはこの寺の薬師堂。なかなか良い姿なのですよ。
しかしまずは仁王像にご挨拶。
仁王像って彫るのはどうやら難しいようで、如来像のような動きのない像と違って
ダイナミックなポーズでしかも大きいので
何かちょっと間違うと怪獣みたいな見た目になってしまうのだけど、
この寺の仁王はなかなかの完成度。

かっこいいぜ。
その仁王門をくぐると正面に見えるのが薬師堂だ。

素晴らしい・・・。
入母屋の屋根が大きくてアンバランスな感じがとっても魅力的。
この薬師堂が南ではなく西を向いて建っているのは、
東方浄土にいる薬師如来を表しているからだろうか。
ちなみにここの薬師如来は正月三が日のみ御開帳。
次の正月は行くしかないな。
柿と薬師堂。

寺の南側には原っぱがひろがっているのだが、
実はこの原っぱが古代の上総国分寺の跡。

七重の塔も建っていたって。
近くに市原市役所があるけど、
古代もこの辺りが国の中心だったんだな。

頂上へ 八幡宿富士②

飯香岡八幡宮にある富士塚登拝の続き
この日、富士塚の周りを地元の方と思しきオジさんたちが掃除していた。
聞けば、数日後にあるお祭りの準備をしているのだという。
この方たちがここの富士講の人かどうかはわからなかったが
みなさんこの八幡宿富士を愛しておられるようで
いろいろ興味深い話を聞かせてくれた。
まあ、子連れで富士塚を見に来てるという物珍しさもあって
話しかけてくれたのだろうけど。
で、その方々の話によると、
この富士塚は関東で2番目の高さだという。
50cmだけ低いんだと(ちょっと悔しそうに)言っていた。
また、各地の富士講は高齢化により解散してしまったり、自然に消滅してしまったりしているのだが
ここ八幡宿の富士講はまだまだ健在で、毎年お山開きをして
出羽三山にも詣でたりしてと、元気いっぱいだという。
「この間のお山開きには、浦安に住んでるコラムニストの人が来てくれてね~。」
とも言っていたが、その人の書いた本を読んでここに来たのですよ、私は。
ちなみにこの富士塚、いつごろできたんですかね?と聞いたら
「うーん、かなり古い。」とだけ教えてくれた。あら。
さて、富士塚登拝のつづき。
九合目に着くと、頂上の奥宮の鳥居が目の前に見える。

そしてここ八幡宿富士の頂上がこれだ!!

注連縄で囲まれていたので、頂上に登ることは叶わなかった。
九合目から見下ろすとこんな感じ。おーい。

信仰の対象ではあるけれど、やっぱりこういうところに登るのは楽しい。
富士塚自体も、神社特有の静謐で厳かな張りつめた雰囲気ではなく、
もっと庶民的でくつろいだ印象を持つことができる。 
富士山に対する庶民の熱意によって造られたものだからだろうか。
頂上から少し裏手にまわると
溶岩ではなく、丸い石が連なった部分がある。
大沢崩れだ。

大沢崩れとは、現在も崩壊が進行している、富士山の西側にある浸食谷のこと。
まだまだ見るべきところはありそうだが、
麓で家族がやぶ蚊から逃げまどっているので、そろそろ下山するとしよう。
その途中でみた合目石。
木漏れ日と溶岩のつくる陰影がきれいだった。

というわけで、はじめての富士塚登拝おしまい。
またここに来よう。そして他の富士塚にも行ってみよう。
飯香岡八幡宮の記事はコチラ
八幡宿富士①はコチラ

八幡宿富士 登拝

八幡宿にある飯香岡八幡宮の境内の一角、
「浅間神社」と書いた額のある鳥居をくぐると、そこに富士塚がある。
富士塚というのは富士山を模して築かれた人工の山のこと。
その表面は富士山の溶岩で覆い、頂上には富士山から運んだ土をのせ、
さらに実際の富士山にある小御嶽神社や烏帽子岩、頂上の奥宮などを
石碑や祠にして再現。
まさにミニチュアの富士山なのだ。
そこに登れば、本当の富士山に登ったのと同じご利益が得られるって!!
さて、そんな富士塚にどうして行ってみようと思ったかというと
以前浦安の事をあれこれネットで調べていたら、浦安には3つの富士塚があるという記事をみつけ、
そこから富士塚のことを調べたら、浦安だけじゃなく県内のいたるところにあるとか、
しかも千葉県には東京よりも多くの富士塚があるとか、
稲毛の浅間神社は境内全体が富士山を模しているだとか、そんな記事をたくさん見つけ、
もう気になっちゃって気になっちゃって・・・。
気になり出したら止まらなくなり、昨年出版された新書版の富士塚ガイドブックも購入。
予習はバッチリ。
あとは実際に本物の富士塚を見に行くのみ。
ではどこの富士塚にしようかと、しばし検討。
で、思いついたのが飯香岡八幡宮にある八幡宿富士。
ガイドブックで最初に紹介されているし、しかも筆者イチオシだという。
さらに幕張からもそんなに遠くないしというわけで
富士塚初心者の私にとって、うってつけの富士塚なのだ。
前置きが非常に長くなってしまったが、ではいよいよ富士塚に登拝。
あくまでも信仰の対象なので「登山」ではなく「登拝」なのです。
八幡宿富士の表面は富士山の溶岩でゴツゴツ。

富士塚を造ったのは「富士講」と呼ばれる人々。
「講」というのは、信仰で結束された庶民の集団のことで
富士山を信仰する講だから「富士講」である。
信仰の集団というとなんだか怪しい感じだけど、江戸時代には庶民の間に
たくさんの講が浸透していて、どちらかというと町内会のような感覚だったようだ。
そんな富士講の碑も見ることができる。

包という字の上にある三角の線が富士山を表す。
麓で合目石を発見。ちゃんと登山道があるのですよ。

中腹あたりで登山道から分かれて右奥に進むと、小御嶽神社の石碑がある。
富士塚の重要なアイテム。

再び登山道に戻れば、頂上はもうすぐだ。

写真の枚数が多いので、続きは次回・・・。
飯香岡八幡宮の記事はコチラ
続きはコチラ

飯香岡八幡宮へ

昨日のこと。
芳葉さんでお昼ごはんをたらふく食べたあと、
市原市の八幡宿駅のすぐ近くにある飯香岡八幡宮へ行った。

この飯香岡八幡宮、社伝によると653年の創建だとか。
写真の拝殿は県の文化財。さらに奥にある本殿は国の重要文化財である。
なかなか長い歴史のある神社で、しかも久々の秋晴れの一日。
木漏れ日の中、非常に清清しい気分になれた。

が、今回この神社へやってきたのは、お参りをして
何かしらのご利益にあずかるのが目的ではない。(もちろんお参りはしたけど)
本来の目的はというと、
境内の南側、拝殿に向かって右の奥の方へ歩いていくと見えてくる・・・
これ!この山!!

この富士塚へ登るのが今回の目的なのです!!
というわけで次回は、大興奮!初めての富士塚登拝。

マザー牧場にて

今日撮ったのはコレ。
アルパカ。

マザー牧場、結構楽しかった。
スキー以外でこんな標高の高い場所へ来たのは久しぶり。

マザー牧場は遠いというイメージが僕の中で勝手にあったのだけど、
そんなことはなかった。高速使って1時間半くらい。
のんびりできて、眺めも良い。ちょっと気に入りました。
また来るからねっ!

聞いてねーか・・・。

マムシ草と奈良公園

市原にある奈良の大仏。
その周りで見つけた、なんだか不思議な花。

どうやら、むらさきまむしぐさ(紫蝮草)というようだ。
てっきり食虫植物かと思ったよ。
ヘビつながりで、近くにはヘビイチゴもあった。

ちなみに、奈良の大仏の参道の脇には
「奈良公園」というのがある!
それがこれ

遊具は鉄棒と登り棒だけというシンプルかつ大胆な構成。
もちろん鹿はいない。
草がボーボーであんまり遊ばれていないようだが、ペンキは新しそうだった。
ま、本当は「奈良児童遊園」っていうんだけどね。
奈良の大仏の記事はコチラ

奈良の大仏

市原市にある奈良の大仏を見にいった。
え?なに?おかしなこと言ってんじゃないって?
奈良の大仏って言ったら東大寺の大仏だろって?
いやいや、嘘じゃありませんよ。
市原にあるんです、「奈良の大仏」が。
姉ヶ崎に東京ドイツ村なんてのがあるカオスのような千葉県だから、
市原に奈良の大仏があったって別に変じゃないでしょ。
しかもコチラは市原市指定の文化財。
仏像好きとしては見に行かないわけにいかないのですよ。
場所は市原市奈良、県道14号の茂原街道と交差するその名も「大仏通り」を東にしばらく行き、
さらに北へ入ったところである。
大仏通りをしばらく行くと現れる看板。

人家はポツポツあるが、ケータイは圏外。
大仏通りから分かれて1.3キロ、参道の入り口に木の看板がある。

真っ直ぐにのびる参道はこんな感じ。

参道が長いとドキドキするよ。
そしてその参道の突き当たりにいらっしゃるコチラが
「奈良の大仏」!!

なかなか小さな大仏(?)である。
この大仏、等身大の石造釈迦如来立像で現在の像は1804年に建立されたそうだが、
当初の像は931年に平将門が建立したという伝説があるのだとか。
もうちょっと近づいてみる。

とても優しい、いいお顔。
正直、行く前は、ほぼ朽ち果てたような仏像を想像していたのだが
台座には新しい花や飲み物がお供えしてあり、周囲も綺麗にしてあって
地域の人々から大切にされているのがよくわかる。
そういえば、何で「奈良」なのか。
かつてこの地の北に平将門が京都を模した都を築いて
さらにその南にある奈良を模して、この地に大仏を立てたとかなんとか・・・。
ま、とにかくステキなお方に出会えてヨカッタ。
続きはコチラ