習志野市の屋敷にある天津神社に行ってみた。
幕張本郷から津田沼へのバス通り沿いにあって、
神社の前を通るたびにちょっと気になっていたのだ。
幕張本郷駅から幕張台公園の前を通って
谷を越えてカーブを過ぎると、左側に森が見えてくる。
ここまで来るのに、車なら家からほんの数分だけど、
自転車だと、幕張本郷の台地に登って、駅の陸橋を渡り、
浜田川の谷を越えなければならないので、かなりタフな道のりだ。
初めて訪れる神社なので、鳥居をくぐって境内に入ることにしようと思ったが、
通りからは鳥居が見えず。
ちょっと探してみると、神社の南側に細い坂道が。
坂を下る途中で石段と鳥居を発見。
この天津神社、祭神は天之御中主之大神、
創建は約600年前だと社殿の由緒記にあった。
さて、前から気になっていたとはいえ、なんでわざわざ炎天下に
自転車をえっちら漕いでここまで来たかというと、
じつは、この神社にも富士塚があるからなのです!
境内の一番奥、がけっぷちのフェンスのすぐ手前に
それはある。
塚本体から木が生えてしまってなかなか全容が掴みづらいのだが、
それがまたいい感じ。
もうちょっと近くから。
塚の右手前の石碑には「山景改造記念」とあった。
改造は昭和9年とのことだから、それ以前から神社内にはあったということだな。
前はどんな「山景」だったんだろうか。
頂上の石碑。
山水講の紋がある。稲毛の浅間神社でも見た紋だ。
富士塚のすぐ横は崖になっていて、谷が見渡せる。
この谷もまた浜田川の支谷。
そんな崖っぷちにある富士塚が崩れると、
谷底が大変なことになってしまうからか、塚の裏側はコンクリで固められていた・・・。
こういう普段から見慣れている神社に
よく目を凝らすと富士塚があるってのが、またたまりませんな。
農家を見る 江戸東京たてもの園③
江戸東京たてもの園見学のつづき
園の東ゾーンの下町の街並みのすぐ近くにある
天明家(てんみょうけ)という農家を見てみる。
立派な長屋門越しに母屋を見る
天明家は今の大田区のあたりにあって、
大名の鮎狩りの際に本陣を勉めるような格式高い農家だったそうだ。
母屋はこんなふう
屋根の真ん中の出っ張り(千鳥破風という)が格式の高さを表している(らしい)。
母屋に入ると、花頭窓があった。
なかなか凝ってますな。
かまどもある。
園内の茅葺や藁葺の古民家では、ボランティアの方が
定期的にかまどや囲炉裏に火を入れて、
その煙で、屋根に虫が付くのを防いでいるそうだ。
そうすると、屋根の寿命が30年近く延びるのだとか。
このときもちょうどその日だったようで、
見学しているとボランティアと思しきおじさんが
「囲炉裏に火をいれたので温まっていきませんか?」
なんて声をかけてくれた。
お言葉に甘えて囲炉裏で暖をとる。(2月だったので)
おじさんの一人は、子供の頃遠足で幕張に潮干狩りによく行ったとのこと。
そう。駅から出てちょっと歩けば海だったんですよね。昔は。
しかしおじさん潮干狩りのことを「ひおしがり」って発音してたなあ。
だいぶ温まったので、おじさんたちに礼を言い
天明家をあとにした。
母屋から長屋門を眺める。
門のほうが僕の家より広い・・・。
ところで、ここ数日とてもアクセス数が多くて、
今見たらマクスタのランキングで一位になってしまっていました。
実はニフティーのデイリーポータルZというサイトのリンクのコーナーに、
僕のブログの奈良の大仏の記事が紹介されまして。
ま、夏のいい思い出ということで。
三省堂 江戸東京たてもの園②
江戸東京たてもの園のつづき
子宝湯の前の通りは
下町の街並みが再現されている。
その一角にあるのが文具店の「武居三省堂」だ。
スケッチをしている人が結構いた。
店内はこんな感じ。
筆・墨・硯なんかの卸売業を営んでいたそうだ。
素敵な商品棚。
「釜じい」の薬草箱のモデルになったとかならなかったとか。
どの箱に何が入ってるか、これでわかるんだろか・・・。
いい雰囲気です。
お店の脇の路地裏もいい雰囲気。
下町エリアだけでも一軒一軒見どころがあって、ちっとも先に進めやしない。
ここ以外にもあと二つ、センターゾーンと西ゾーンがあるんだけど。
これが近所にあったらきっと毎月来ちゃうな・・・。
とりあえず、つづく。
子宝湯 江戸東京たてもの園
ずいぶん前のこと(2月)なのですが・・・、
武蔵小金井にある「江戸東京たてもの園」に行ってきた。
たてもの園は、小金井公園の中にある野外博物館で、
文化的価値の高い歴史的建造物が建ち並んでいる。
まさに建物好きの聖地。
前からずっと行きたいと思っていたのだが、
幕張から総武線に乗って、中央快速に乗り換えても
一時間半かかるという微妙な遠さがネックになって
足を運べずにいたのだ。
しかし2月のとある平日、ようやく時間ができ、念願かなって訪れることができた。
たてもの園のある小金井公園は
広々としてなかなか素敵な公園。
たてもの園は西・センター・東の三つのゾーンに分かれている。
解説本にある物件を数えてみると、27個もあったので
その全部を紹介はできないし、実際最後の方は疲れてしまって全部は見られてないので、
とりあえず今回は東ゾーンの下町の街並みにある銭湯
「子宝湯」を。
その「子宝湯」がコレ。
堂々とした構え。
昭和4年に足立区に建てられて、昭和63年まで営業していたそうだ。
大きな風呂は気持ちが良くて好きだが、銭湯という建物自体も好き。
しかし営業中の銭湯で写真を撮るなど、できるわけ無いので
ここぞとばかりシャッターを切る。
入口から
まずは男湯へ。
高い天井がたまりません。
レトロなポスターも。
乱れ籠というのだそうで。
憧れ(?)の番台。
湯場の天井ももちろん高い。
湯船は深い。
きっとあっついお湯だったんだろうなあ~。
外の意匠もかなり凝っている。
この彫刻だけで家一軒建つのだとか・・・。
気を抜くとここでずっと撮り続けてしまいそうなので
銭湯を出ることに。
物件はまだまだあるからね。
つづく。
開眼
うーん、むむむ・・・。
お!なんか思いついた?
八景島シーパラダイスにて
ユーカリの木
千葉市緑化植物園というところに
大きなユーカリの木が立っていた。
こういう大きな木を見ると、小さな悩み事なんて吹き飛んでしまうな。
大きな悩みまで吹き飛ぶかどうかはわかりませんが。
この木を見にまたここに来たいくらい。
都市緑化植物園は、きれいな庭園があって
いろんな花々が咲いていてとても気持ちのいい場所だ。
千葉東ICのすぐ近くにあって、
入口をうっかり見逃すとそのまま有料道路に乗ってしまうという
なかなか危険な場所にあるので、訪れるときはお気をつけて。
鷺沼の谷を走る③
鷺沼の谷を辿るサイクリングの続き
谷底を走っていると線路にぶつかってしまったので、迂回して陸橋を渡ることに。
陸橋からはこんな景色が見られた。
手前の谷に住宅地があって、その向こうに台地の畑。その奥に幕張本郷の街がある。
陸橋を渡りきった後、右に曲がって再び谷底を探す。
線路を越えてすぐの谷底は原っぱになっていた。
近くの道沿いには馬頭観音の碑が立つ。
突き当りには線路の土手があって通り抜けできるような道ではないのだが、
人々の往来を見守るはずの馬頭観音がここにあるということは、
この道がかつて線路が敷かれる前の幹線道路であったということなのだろうか。
線路の近くの谷底は原っぱだが、
そのあとは再び住宅地になる。
底をなぞって道があるわけではないので、
それより少し高い場所を通る道を行く。谷底は見失わないようにしないと。
チラチラと谷底の存在を確認しながら自転車を走らせる。
線路を渡る前よりもだいぶ谷の幅が狭くなってきた。
谷の奥へと進んでいることを実感する。
途中、谷底へ降りてみると公園を見つけた。
「鷺沼四丁目児童遊園調整池」というそうだ。
ここの地下に池があるということか。
川は完全に埋められてしまったのではなく、暗渠となって今でも地下を流れているのかもしれない。
埋められた川というと「千と千尋」を思い出してしまう。
あれに出てきた川の神様はコハク川のハクだったので、
こちらは堀田川の堀田さん、もしくはホリ君かしら・・・。
ま、どうでもいいんですが。
さて、そろそろ谷の一番奥へと辿りつきそうな予感がしつつ走っていると、
目の前の視界が開けてきた。
習志野の花咲にある梅林公園だ。
じつはこの公園には前にも来たことがあって
その時も、ここは起伏があって不思議な地形だとは思っていた。
しかしそれほど地形というものに興味を持っていなかった当時、
ここがまさに谷で、これが国道14号の方まで続いているなんてことは
考えもしなかったこと。
以前の記事を見ると、同じような写真を撮っていた・・・。
道路の写真ばかりなので、たまには花でも。
このあとも谷は続いていたのだが、
徐々に浅くなって、谷は溶けるように住宅地の中に消えてしまった。
というわけで、鷺沼の谷の一番奥には梅林公園がある、
と僕の中ではそういうことにしようかと思う。
そして今回辿った谷が堀田川の跡だとは思うのだけど、
そうすると習志野市のHPにある水源の沼というのはどこなのか。
梅林公園だろうか。
地形図をよ~く見てみると
谷が一番奥のほうで二手に分かれているようにも見える。
もう一方のほうに沼があったとも考えられるな。
そうするとまだいろいろ調べないといけなそうだが、
時間がないのでとりあえずこれでおしまい。
お疲れ様でした。
鷺沼の谷を走る
鷺沼の谷を走る②
鷺沼の小さな谷を辿るサイクリングのつづき。
前にアップしたのは3月のはじめの方ですが・・・。
国道14号から大久保へと抜ける道を走り始める。
わずかに上り坂なのでこの道が谷底で川の跡というわけではなさそうだが、
とりあえず走ってみる。
おそらく谷底は、ここより幕張寄りの住宅地の中の道路だろう。
少しだけ走って国道の方を振り返ると、
ちょっとだけ上ってきたのがわかる。
このまま緩やかに上り続けるのかと思いきや、
僅かだが下りになっているではないか。
ひょっとしてこれが、職場の先輩の言っていた
「バーミヤン辺りにあった沼」の痕跡なのだろうか。(もうちょっと行ったところにバーミヤンはあるのだ)
確証が得られないのが残念なところ。
さて、ここから谷を行かず、左手の坂を上り、
台地上にある根神社に寄ってみた。
で、これが根神社。
小さな境内だが、きれいで清清しい神社だ。
梅の咲き始め・・・。いつの話しだ・・・。
この神社があるのは鷺沼の谷と隣の菊田川の谷に挟まれた
台地の上。
いわば岬のような場所だ。
ひょっとしてここも縄文時代から聖地だったのかも知れないな、
と思って後で図書館で見てみたら、どうやら周辺に遺跡があるようだった。
縄文人は、ここから大海原を見ていただろうか。
お参りを済ませ、
このあと一気に谷底へと駆け下りた。
住宅地の中のなんの変哲もない道路だが、おそらくここが谷底だ。
かつての川筋に沿って道路が走っているのかもしれない。
右を見ると上り坂。
左を見ても上り坂だ。
ちなみにこの坂を上っていくと、習志野市役所がある。
何の変哲もない道路も、「谷底」という地形的な意味を感じると
なんだか興奮してきてしまう変な私・・・。
うっすら興奮しながらくねくねと曲がる道を進むと、正面にはJRの線路の土手。
仕方が無いので
迂回して陸橋を渡ることにした。
つづく。
鷺沼の谷を走る
たまには外で
子どもたちをつれて近所の公園へ。
家の中でずっと過ごしているのと
外でのびのび遊ぶのと、
さてどっちが身体にいいのか、いまいちわからなくなってしまった今日この頃だけど・・・。
久しぶりに行ったカバさん公園は、液状化の影響か砂が浮いていた。
子どもたちのストレス発散というよりも、
異動ですっかり写真を撮る機会が減ってしまった僕のストレス発散だったのかも知れないな。
しかし蛇口にペンキを塗る理由がよくわからん。
数
死者・不明者3万人というニュースを見て
ああ、大変だ、と思いつつも
その数字になんとなくピンとこないままでいた。
「1人が死んだ事件が2万件あった」ってことなんだよ(ビートたけし)
ストンと腑に落ちて、
胸が締め付けられた。