448,鎌倉・光明寺

6月27日(金)、ここに眠る江戸時代大名、内藤家歴代の墓掃除に行った。
 内藤藩は、延岡において幕末までの領主だが、その前は福島県いわき市の磐城藩の領主でもあったのでそのいわき市からバス2台で乗りついできたのである。
 わが延岡からも6人ほどが参加をした、あと鎌倉からも民生委員も参加して30人余りで墓清掃となったのである。
昨年も6月に行われて約1年ぶりの清掃であるが、御覧のように草は伸び放題、大変な作業でありますなぁ。


私は金曜日の夜は蒲田の稽古があるので4時ころに失礼したが残った人は6時ころまでかけて行ったという。
 翌日訪れてみると御覧のようにきれいになっていて、殿様方もさぞかし気持ちのいいことだろう。
それにしても、いわき市の皆さんは、延岡に移封前の殿様を今も慕って墓掃除に駆けつけるなど、昔は相当慕われていたのだろうねぇ。
 6月21日(土)に封切されてただ今上映中の「超高速!参勤交代」は磐城時代この内藤藩の支藩である湯長谷藩の物語である。
湯長谷藩四代目の政醇(まさあつ)公の時の話だが映画でもわかるように広く領民から慕われていた名君だったそうだねぇ。それが今日までの墓掃除につながっているのではないのかねぇ。
その政醇公の墓も今年はしっかりとお参りをした。
 1747年に延岡に国替えとなって幕末を迎えるのだそうだが、この延岡からの出席者が少ないのが、悲しい、忸怩たるものがある。
翌日28日(土)は供養会を行い、鎌倉市長も参加して盛大に行われた。6月27日前日に発売された月刊空手道、その中の私の連載「温故知新」のエピソードが丁度鎌倉市長表敬訪問の記事でまさにタイムリー、さっそくお渡しして挨拶をした。
 供養会では私も延岡観光大使として延岡市長のメッセージを紹介するなどして盛り上げた。
いわき市の舞踊団が踊りを奉納するのだが、延岡の「ばんば踊り」の時は何人かの人が参加をして楽しくやったねぇ。
 そのあとは、皆さんで墓参りをして、いわき市の皆さんのバスを見送って散会となった。
本日の我が商業高校卒業生は7名の参加者で、見送りに来ていた執事さんと記念に一枚。
 その後、鎌倉駅まで来て、ほかの人達は喫茶店に寄ったり飲み屋へと行ったりしたのだそうだが、私は今夜は川崎教室があるので失礼をしてきた。
内容のある充実した二日間であった。

447・港の見える丘公園

1948年に渡辺はま子さんの歌でヒットした
「港が見える丘」にちなんで付けられた公園ということで、てっきり港が~だと思ってばかりいたが、正式には港の~というんだね、これには目からうろこ、
横浜に出てきた折から、ここで配達の途中弁当を持ち込んでベンチで食べていた頃から40年、すっかりだまされていた、イヤイヤ、知らなかったことになる。
 今日は2014年6月2日(月)、時代をさかのぼること430年余り、天下統一を目指した織田信長が京都本能寺において明智光秀の謀反によって命を落としたのが旧暦ではあるが6月2日、と言われている。
 と言っても何にも関係のない今日、バラを見に行きたいという突然の話で近くというところでここへ出かけてきたというわけである。
 毎年この時期は、出かけていて横須賀の公園であったり、昨年もここから山下公園へクウを連れてきたりしている。
今年は、あまりの暑さにクウが歩くのは地面の温度を考えると無理だということで今日は家で留守番である。
 バラも盛りを過ぎてタイムリーとは言えないがそれでも観光客もいて平日だというのにそこそこの賑わいを見せている。
昼ご飯を、入り口横の「ポートヒル横浜」で取ったのだが、予約客などを入れて50席近くが満杯である。
ここは、うちの会員が結婚式を挙げたところで、あの日は雨でせっかくの眺望も残念であった。ここへ来るたびに思い出すが、ま、これも一つの思い出であろう。
 今日は絶好のロケーションであるが暑すぎてガスがかかっており、巷では光化学注意報が発令されるなど、そういう意味では最高!というまではいかなかったか。
 見晴らし台横に見慣れない旗が立っているので行ってみると「コクリコ坂から」というアニメ映画の舞台で、UW旗で航海の安全を祈って毎日あげられていたのだそうである。
 帰りは日陰を求めてフランス山などを通っておりたのだが、雑誌等によく出てくる風車があり、ま、ここで1枚撮らない手はないか。
 今日は暑さのためかそれほど歩くことをしないで桜木町からバスで来て、帰りは本町から地下鉄で横浜へ向かったのだが今では、この地下鉄は埼玉県まで直通で便利この上ないねぇ。
 埼玉のほうから横浜への来場者がぐ~んと伸びたということを聞いたが無べなるかな。
 昼過ぎには蒲田へ戻ってきて、短い時間で気分転換が計れて誠に便利な行程であった。