483.横浜田中屋

4月28日(火)、細君の休みと詩吟の会員夫妻との日程を調整して4人で、以前私が行ったことのある、横浜駅近くの割烹「田中屋」へと赴いた。
 この田中屋は昨年12月に訪れて、雑記、№466でも紹介してあるが、今回は前回と違う紹介をしたい。
今回は一階の「月の間」で詩吟の声を出してもよいということで了解をもらっている。
 昼の会席料理で和食が次々と運び込まれ舌鼓を打っている間に時間が過ぎていき詩吟どころではない。
食後に詩吟「坂本龍馬を思う」を軽く吟じてパワーをいただいた感がする。
特に細君は5月10日のコンクールでこの題を吟じるそうである。おりょうさんのパワーをいただいたかな?
 部屋にはおりょうさんの写真が飾ってあるのでお店の了解を取って皆さんで写真に納まった、なかなかあることではない。
  しかし、こんな近くに歴史の舞台があるのである、うれしいねぇ。
 食後は皆さんそれぞれに証があるので散会となったが、ほんのひと時であったが旅行に来たような錯覚を起こさせる出来事であった。
私の周りには坂本龍馬ファンも数多くいる、小遣いをためてまた来たいところである。

今回の私のTシャツは、同行した、久川先生に頂いたものである。久川先生は漢詩教室にも通い自分で作られて、私も勉強のお誘いを受けているのだが、これ以上は時間の調整がとれないので遠慮申し上げている。
 Tシャツには、春眠暁を覚えず 処々啼鳥を聞く・・と書いてあり、まさに今の時期にピッタリな、有名な漢詩である。
こんなところにも喜びがある。

482,三溪園

B級グルメ会などと称して時々食事に行くご隠居さん2名に声をかけられて、本牧の三溪園へ花見に行こうということになった。
4月3日、曇天、予報によると1日そのようだという、一応雨の用意はして出かけ、JR根岸線の根岸駅で降りてタクシーで行った。
 駅からすぐ、というところでもないのでなかなか来れないが、若いころ横浜市内の銭湯の中の広告看板などを取り扱う会社で働いていたことがあり、この近くの「間門湯」という銭湯があって時々は仕事で来ていた。今はどうなのかは知らないが、その当時…以来だから40数年振りか。
 あの当時は駐車場も無料入園料も無料、近くには米軍キャンプ場があってそこは治外法権。まだ戦後の名残があったのだろうかねぇ。
またそのころは鹿内孝という歌手だったかね、「本牧メルヘン」だったかそのような歌が流行っていたと思う。
あのころは横浜を題材とした歌が流行っていたなぁ、元町、ハマトラファッション、ブルーライトヨコハマ、カモメが飛んだ、私も2年ほどは住んでいたのである。
 閑話休題
話がずれていくようだ。じっくりと中を見たことはない、ボランティアの人が11時から内苑を案内します、ということで近くで時間をつぶした。
さすがに満開のころである、平日というのにたくさんの人出でびっくりした。また花嫁衣装を着た新郎新婦が写真を撮りに7,8組に出会ったのにはびっくり。ここで写真撮りをして披露宴などで流すそうである。今も昔もいろいろと趣向を凝らしているんだね。
 三重塔がシンボルとしてあるが、室町時代に京都で建築されたものを大正時代に移築されたそうである。



いろいろと重要文化財となっているものがあるが、とにかくよく集めて、またこのような山水を構築したものだ、莫大な金がなければできることではない。大した人がいたものだ。
苑内の休憩所で軽く飲んで出て、今度はバスに乗って横浜中華街へ行こうということになった。
 さすがにバスも満員、しばし揺られて中華街で降りてぶらぶら・・。どこかで休もうということになったが今はどこも安いねぇ。
6品もついてランチだと850円、食べきれないだろうと頼んだがジョッキ片手に時間がたつうちに無くなってしまった。
やはり歩いたからなのかね、結構食べたものである。
 それから横浜公演を抜けて野球場ではプロ野球があるそうで人が並んでいたが、ご苦労さんだねぇ。その熱意には脱帽、である。
そうこうしながら「関内駅」へついてそれぞれに分かれてのご帰還となった。
 今年も花見で満開の桜が見れたようである。