489・朝陽を浴びて

♪♪朝陽 夕陽を馬上に浴びて 続く砂漠の一筋道を~♪♪
私の好きな歌「蒙古放浪歌」の一節である。
この歌の締めは「行くや若人 千里の道を」であるが、戦前の若者は、特に次男三男は家を継ぐこともなく出ていかざるを得なかったのだが満州に夢を求めて勇躍していったのではないかと思う。
 私の場合はずいぶんと小さくなったが東京に出て活動することであった。
あれから40年・・・どこぞの漫談家ではないが、まさかワンコウの散歩で朝陽を浴びてその当時を思って、この歌を口にするとは思いもせなんだ。
 心たけくも鬼神ならず 人と生れて情けはあれど 母を見捨てて波越えてゆく 友よ兄等よいつまた逢わん~
 朝陽夕陽を馬上に浴びて続く砂漠の一筋道を 大和男児の血潮を秘めて 行くや若人千里の道を
いいねぇ、一瞬でもあのころに戻り元気がみなぎるようである。今では散歩の後にワンコウ仲間のその名もガブリエル君と戯れるを楽しみにして一日のスタートとなるのである。
 そしてある日、空手の稽古を終えて戻り部屋から夕焼けが空一面を真っ赤に染めている。思わずカメラを構えたが実際にはもっと素晴らしくて感動を覚えたのである。この臨場感が伝わらないのが残念である。遠く大きなビルの間に富士のシルエットが見えるのがわかるかね?

 このような自然に接した時に人間はセンチメンタルになるのかねぇ。
私らしからぬ、一面である。

488,第2回錬武舘流錬成大会

5月30日(土)、埼玉県春日部市において「第2回錬武舘流錬成大会」が開かれ出席してきた。
日防連顧問の坪山先生が主催される大会で昨年は出席できず、なんやかんやで3年ぶりの春日部訪問であった。
京急蒲田を7時半に出て浅草経由で行くと9時過ぎにはついて意外と近く感じたね。浅草から東武特急に乗車してスカイツリーを見ながら行くとちょっと日光に行くような・・(久しく日光にも行ってない)

 春日部駅で東武野田線に乗り換えて、一つ目の駅「八木崎」で降りてすぐ会場が目に入ったが大きな建物である。
会場では、戦後の防具空手界のパイオニアである、錬武舘の中村典夫先生の直弟子田中毅一先生にも挨拶ができて何よりである。
又、田中先生は埼玉県東部地区を拠点に活動を広め現在の礎を気付いた伝説の先生でもある。
ご一緒の大沢俊一先生は剣道の大家でもあるが、空手を修めていた時期もあってその空手を田中先生に進めてご一緒に始められたともいう、両先生の話を書けばとても紙面が間に合わないので割愛させていただくがいつか機会があれば紹介したいところである。
 そのような大先生の見守られる中で開催された大会、日本武道礼法道連盟ならではの「道着のたたみ方」の試合もあってなかなか楽しいものであった。
 実行委員長の中古賀師範が準備のため会場に6回も足を運び打ち合わせを重ねて、自分でもよくやった、と言っていたが、まさにその通りで、私も大会主催者として毎年毎回その動きをやっているが、その労力たるものや相当なものである。
 今回は終了後の親睦会にも出席させていただいて思ったことは、和気あいあいとしたこのアットホーム的な親睦会は、坪山先生の人徳のたまものだろうねぇ、私も見習わなくてはいけない。真錬会の山脇師範も張り切っていた、皆さんよく働くねぇ。



 おかげで、楽しく過ごし時間のたつのも忘れてしまうほどであったが、何分にも東京のはずれから来ているので時間も考えて途中で失礼をしたが、なんと、万歳三唱で送られて気恥ずかしいやら、うれしいやらで帰路に就いた。
 万歳三唱、といえば40数年前、故郷延岡を立つときに駅のホームで何十人の友人たちに送られたことがあったがめったにあることではない。
 そのような楽しい余韻を引きずりながら地下鉄に揺られて「宝町」駅についた8時半ごろ地下鉄でもわかるほどの大きな地震があり、しばらく止まって心配したが、京急線は10分ぐらいで動いて無事蒲田に戻ってこられた。
 マンションに着いたはいいが、今度はエレベーターが止まっており14階までてくてくと上がり、いつしか酔いも飛んでいたねぇ。
震度5になるとエレベーターは停止するのだそうで、結構大きな地震であったらしいのである。
 それでも無事に家に着き、無事に一日が終了して大変良い大会、よい一日であった。