313,合同稽古

8月20日、六本木の会員たちが川崎教室の厳しさを学ぶために出稽古にやってきた。
川崎は初めてという人もいてなかなか新鮮であった。
稽古内容は同じなので戸惑うこともなく進んだが、基本中に、だらだらしている子は指導員に叱られるなど、ピリピリとしたムードは六本木の会員にとっては、びっくりであっただろう。
 上杉会館の教室は何か所もあるが、こんな厳しい言葉をかけられる教室はほかにない。何しろ「やる気がないなら帰れ!」など、私でも言えない言葉が投げかけられるのである、いきおい生徒も真剣になろうというものである。
そんな言葉も子供を持つ親が言っているのでそこは親心というものが伝わってくるのである。
 そんな雰囲気にのまれてか、六本木教室の生徒も真剣に行っている。いいね、これだけでも来た甲斐があろうというものである。
 ミット蹴りでもレベルが違い、組手でも1,2回で防具を脱ぐ六本木と違い、休めというまで、続けて行う川崎教室のちびっ子たち。この積み重ねが違うのである。
 帰り、駅までのバスの中では反省を兼ねた話が出ていた。
今後の稽古に影響を与えることでしょう、大変に素晴らしいひと時でした。
六本木教室の諸君、これからもがんばってまいりましょう。

312、2011年8月15日

今年も8月15日がやってきた。
東京にいるときは、靖国へ参ろうかと計画しているが今年も朝早く行ってきた。
クウの散歩を済まして、6時過ぎには家を出て7時前に着いた。
 すでに機動隊や報道陣があわただしく準備をしている、8時を回ると大変込み合ってくるので、今の時間にお参りしてこよう。
 ここ靖国神社は、太平洋戦争だけでなく、明治維新から国のために殉じた人たちを祀ってあるのである。
どうしても先の大戦の印象が強いがそれだけではないということを強調しておきたい、日本の礎を築いた人たちなのである。その人たちの犠牲の上に今日があるのである、ここは純粋に感謝のお参りをしてきた。
 靖国といえば、何年か前に時の首相、小泉純一郎が参拝して大変な騒ぎであった。私もそれを見届けて感動した思い出がある。
 また、詩吟の発表会の後、本殿までお参りさせていただき、小泉さんと同じところに立って参拝させていただいた忘れられない思い出もある。
 今日は一人でひっそりと手を合わせ、入り口で見知らぬ人にお願いをしてカメラのシャッターを押してもらった。
 
 ここ靖国は、江戸時代末期の剣術道場「練兵館」が一時あったところで,案内には高杉晋作や桂小五郎なんかが足しげく通っていたようなことが書いてある。
 以前にも俎板橋の練兵館をこの雑記で紹介したこともあった。
本殿の裏には庭園もあって大変静かなたたずまいを見せている。
 ただ、朝早くから蝉がうるさく鳴いていて真夏を感じさせる,昭和20年、66年前の8月15日も暑く、今日と同じように蝉が鳴いていたことだろう。
 帰り道、乳母車につかまって歩いてくる老婦人とすれ違った。
どのような思いか知る由もないが、この猛暑の中を参拝するのは戦争を体験した人が知るのみの思いがあるのであろう、心の中ではあるが礼をした。
今年は3月の大震災があって、大変な思いをしている人が多い中、平和な日常のありがたさをかみしめたお参りであった。
                      連日の猛暑、8月15日

311、ビヤガーデン

たまには銀座で飲もうということで、松坂屋の屋上ビヤガーデンに行ってきた。
最近はあちこち満席で断れることも多かったので、5時過ぎから入ってみるとさすがにすいていてゆったりと飲めた。
西の空にはお天道様がまだ沈みかけていて、夜のとばりがこれからというときに飲みだすのも気が引けるような・・
 銀座松坂屋のビヤガーデンはジンギスカン料理と聞いていて食べたのだが、以前のイメージではクセがあるように思っていたが、すんなりと食べられておいしかった。
 ビール飲み放題!と言われてもそれほど飲めるわけではない、結構腹いっぱいになり、早い時間からいたので制限時間2時間を余しながら出たが、そのころには続々とお客が入ってきた。
 で、銀座にサウナがあるとインターネットで調べていたので行ってみたところ影も形もなく、このご時世で無くなったのだろうと勝手に推測しながら新橋へと向かい、駅前の交番に尋ねながら駅前サウナに入った。
 新橋駅前といえばサラリーマンのメッカである。
機関車が置いてあり、大勢の人がたむろしている、画面では見慣れた漫才コンビが実況していたな。
そこを通り抜けてパチンコ屋の上のサウナへ到着、初めての場所は独自のシステムに戸惑いを見せながらの入浴であったが、結構なところであった。
 しばらく入ったり出たりして上がり、レストランでもう一杯、私はかき氷を頼んで、頭にキ~ンと来る感じがたまらない。
いやぁ久々にすっきりした夜を過ごしてきた。
銀座には銀座の顔があり、新橋にはまた新橋の顔があったように感じた夜だった。

310、ある夜の川崎教室

拓大空手道部で活躍している桑原が、夏休みとかで、友達を連れてきた。
拓大ボクシング部で、高校時代は全日本大会で優勝して、雑誌などでも紹介され、すでにスポンサーもついているという有名人なのだそうである。写真掲載も肖像権などもあるそうだが、ここは私的なブログ、せめて名前はIさんということで紹介しよう。
 私も若いころはボクシングを志したこともあり、空手にボクシングのエッセンスを取り入れてもいるので、勉強になればと、川崎の女性などとマススパーをお願いした。
ま、けがをしないようにということで、ホンの軽く程度にしていたが、いろんな打撃界の人と交わることによって何かをつかむことと思っている、一般の人も自分の稽古を休んで見学である。
 寸止めと防具空手とボクシングの合同稽古である、楽しいね、面白いねぇ。
先週は、他会派の人が来て合同稽古をやり、先日の演武会では、型演武のほかに試割りなどを行うなど、空手でいろんな楽しみをしている、また、いろんな人間関係もあって楽しいものもある。
 稽古はきついが楽しい!こう思ってもらえるとありがたい、皆さんに空手を通して楽しんでもらって、人生において何かが残ればこんなうれしいことはない。
ただサークルではなく武道でもあることも忘れてはいけない。
私たちの道場では道場訓はないが、「礼節」「感謝」「協調」「勇気」の四つの言葉をモットーとしている。
参考までに、私が高校時代空手部の道場訓を紹介しておこう
   一、礼節を重んじること
   一、誠の道を守ること
   一、努力の精神を養うこと
   一、人格完成に努むること
   一、血気の勇を戒むること
これであったと思うが順番は定かでない。
 血気盛んなころに、これを戒めるなんてできなかったなぁ、やんちゃ盛りに人格完成なんて難しいものだった。
礼節は人以上に重んじていたし、規則なども遵守して行っていた、努力、これは才能のない自分にとって努力しかないと思って人一倍努力をしてきたという自負がある。
しかし、これは目標であって、唱えているところにいつの日か自覚する時が来るであろう、そういう感覚であった。
世の中に出てずいぶん役に立った部分もあると思うので、会員の人にも伝えていきたいと思いますね。