317、クラスメート

この言葉から響いてきそうな淡いイメージから程遠いメンバーで誠に申し訳ない。
 思えば40年前の高校三年生、同じクラスのメンバーなのである。
今年延岡商業高校が90周年記念だそうで11月に同窓会が開かれる連絡をいただいて、帰れそうもない返事をしていたら、今度戻ったら会おう、ということで幹事の高島君と急きょ会うことになって集まった次第である。
 会えば40年前の話が中心になるのだが、今思ってもあのころは楽しい毎日であった。
その顔ぶれが今や子供や孫の話など、もういいおじいさんである・・・しかし、昔の話になると目が輝いていろいろとここでは書けない話がポンポンと出てくるのである。
 マスターの工藤君は、ここ船倉という町で「かー坊」という焼き鳥屋を経営して18年にもなる、今夜も(19日)休日だというのに、カウンターから座敷まで満席である、頑張っているねぇー。
 高島君は、学年の同期会のまとめ役、会長である。忙しい中、皆さんの連絡係となってよく動いている。学年の同期会は、今は5年ごとに行っていて今度は60歳になった時だそうである。
連絡がつかなくなった人もたくさんいて本当に大変だね。
 今一人が私の隣り町で片田というところがあるのだがそこの住人である牧野君である。
大変活発な人で陸上部ではやり投げで頑張っていた人間である。
 こんなメンバーと毎日教室でワイワイガヤガヤ・・高校三年生は本当に楽しく毎日学校に行くのが楽しみでしょうがなかった。
 私の人生の中でも、忘れられない一年間だね。
こんなにして振り返って、話ができるのも今も幸せだからできる部分もあるのだろう、また、人によっては振り返りたくない人もいるのかもしれない。
 そこを喜んで振りかえられる私たちは、幸せなんだね。
青春とは意気であり、熱であり、かえりみるときの微笑みである
誠にこの言葉を実感したひと時であった。

316、バーベキュー

延岡で家族がそろうと、バーベキュー大会となるのだが、台風の影響で庭ではできないので、ガレージの車を出して急きょバーベキュー会場である。手慣れたもので、鉄板もガスバーナーで火をつけるなど用意周到である。
 何年か前にこの雑記でもバーベキュー大会を掲載したことがあったがあのころよりも子供たちも成長して今や立派な鍋奉行である。
 おかげでゆっくりと味わうことができた。
焼酎は、霧島会社の初代社長の名前である「吉助」だそうである。
ゆっくりと飲んで食べて、みんなでワイワイガヤガヤ、これも楽しいひと時である。
一年ぶりに兄弟がそろって話し合うことは、子供のことや村のことその他もろもろ・・
今回は、私は二泊三日の短い滞在である、有意義に過ごさないともったいない、こうやってみんなと話すことがまた、新たな気持ちにつながるのである。
期待の末っ子、名前は武蔵、相変わらず名前負けしているように見えるのだが本人には期するものがるのであろう。
今後に期待したい・・・・・無理か?
 そんなこんなで楽しい一晩であった。

315、敬老会

毎年一回は、田舎に帰郷するのだが今年はお盆に帰れなかったので、その旨連絡するといっぺんくらいは戻って来いという母親の言葉で、敬老の日に兄弟全員集合ということになった。
 延岡の実家に、宮崎市の弟と、神戸の妹、東京の私がそろって、敬老のお祝いだね、村でも敬老会というのがあって車いすを押して行って
久々に田舎の敬老会を見たね。
 思えば、私が50年以上、もう半世紀にもなるか、今大阪にいる叔母に踊りを習って公民館で披露したこともあった。
そのころ、アメなどをもらって喜んでいたのを覚えている。
閑話休題
 兄が歌を披露するというので、兄弟そろって見に行ってみた。弟と私は詩吟を習っているのだが、兄はカラオケ教室に通っていた、さすがにうまいものである。
 司会の男が私の幼馴染の同級生の尾崎君である。私を見つけて今歌った人の弟さんが東京から戻っていると紹介して一言挨拶をと言われて何とか挨拶をしたが、相変わらずひょうきんな男である。
 宴会は歌や踊りなど盛り沢山にあり最後は、「ひょっとこ踊り」でしめていた。これは昔は隣の日向市の踊りであったと思うが今は延岡でも踊ったりしているんだね、で、兄が市役所時代に習い覚えていて指導もしたとかで、また一緒に踊りの輪の中にいたよ。
そんな中懐かしい顔に会うやらで、楽しいひと時であった。
 こうやって帰る故郷があって、楽しいひと時を過ごすことによってリフレッシュになり、また改めて頑張ろうという気持ちになる。
この日のために帰ってきたのだからね、その甲斐があろうというものである。

314、称名寺デビュー

秋の気配が漂う頃かと思っていたが、まだまだ残暑厳しい9月12日(月)、相方に称名寺へ行こうといわれて出かけた、いよいよクウの称名寺デビューである。
 といってもまだ、生後7か月、どのくらい行けるかと思っていたが、暑さのためアスファルトの上を長い時間歩けなくて途中抱っこしたりしながらたどり着いた。
 山の段差もおぼつかなくて横道を登るのであまり長い時間は無理かな、などと思っていたが、相方が昼から用事があるので制限時間もあって、今回は、頂上の八角堂まではいかず、真ん中あたりか北条実時の墓とされているところまで行って戻ってきた。
 つい、プウチャと比べるのだがプウチャは興奮してどんどんと登って行っていたが、クウは性格の違いだろう、警戒しながら歩くので、これだったら、マンション近くの旧呑川の緑地を自転車で走らせたほうが運動になると思ったね。 
 それでも、うちに来てから3か月半、初めて遠くへ行ったからこんなものかね、山の自然など初めてであっただろうし、クウの中にはどんな印象だっただろうね。
 帰りは、称名寺から金沢文庫駅までアスファルトも暑いだろうということで、私が持ってきたリュックに入ってきたが、まさにお犬様様だね。
帰ってきて今はクーラーの効いた部屋で満足そうに寝ている、犬なりに幸せであろう・・と思っている。
今回はたまたま、古いTシャツを着て行った。
上杉会館最初に作成したTシャツである。表は上杉会館のマーク、裏には空手道上杉会館、東京ジャパン、とローマ字で描かれているのである。
 このTシャツもこれ一枚のみとなった、ちょっと記念のショットである。
 
暑い夏から、なかなか出かける機会もなくて雑記もしばらくぶりである、これから涼しくなる秋にかけて機会も増えよう。