491,戦後70年

毎年8月15日の終戦記念日には靖国神社に出かけ手を合わせてきている。
朝早く出かけ、御朱印帳の窓が開く午前7時には待っている程である。
 早くいかないとこの日ばかりは人がいっぱいで、参拝するのにもずっと並びこの暑さでは嫌になるのがわかっているので毎年早い時間に行っている。それでもすでに結構な人が出てきているのである。
何年か前に昼ごろに出かけて大変な思いをしたことがあるので早めに来るようにした。
 
 明治維新よりこの方幾多の人の尊い命の犠牲の上に成り立っているのである。それを感謝してお参りすることは日本人として当然だと思っているので毎年欠かさないようにしている。
年配の人を良く見かけるが近親者を亡くした人たちなんだろうねぇ、この暑いのによくぞおいでくださるものと思っているが、親族の強い思いには私など計り知れないのだろう。
 
 今年は戦後70年ということもあって人出の多さには正月の詩吟を能楽堂で吟じた時から感じていた。
正月にはこの能楽堂で詩吟を吟じたことが思い出されるがあの時は正月の寒いころ、今日は真夏の暑いころと正反対の感じ方だね。
帰りに九段坂に差し掛かるとこれから取り締まる警官も準備を始め、街宣車も続々と来ているようである。
そのころになると暑さと人出で取集がつかなくなるので早めの退散となるのだが地下鉄の出入り口では多くの団体が主張をしたり署名を求めたり、これもこれからもっと増えてくるのである。
 今国会で、平和について議論されているが、祈るのは世界平和と安全な暮らしなのである。拉致被害家族の横田さんの放送も流れていたが、一日も早い解決をと願っている。
 今の私たちが毎日平和で幸せな日に感謝をして過ごさなければいけない。
ややもすると毎日の生活に追われて忘れもするが、こんな日にでも思い出してみるというのも大事なことなんだろうねぇ。
帰りには、お土産屋で菓子を買い求めて急いで戻ってきた。
 

490・ラブユー東京

雑記も一か月以上掲載しないことは珍しい、と言おうか記憶にないほどである。
ジュニア大会が終わってしばらくどこも出かけないで大した用もなく称名寺とてこの暑さでは敬遠していることなので、何もない。
 8月4日(火)、ベランダで朝食をしようということで久々にベランダでのんびりした。
まだ朝方のこの時間は比較的に涼しいのである。窓が西側にあるので朝日は入らず日影のせいもあろう。
 実はこのマンションを引き払って横浜市鶴見区に移住することが決まっており着々と契約やその準備が進んでいるらしい。
というのもこのようなことは細君が一切を仕切っており、私は経過を聞くだけである。
鶴見の一軒家を購入して、そこで一階で美容室を経営して二階に住むようになるとのことである。
正式契約も終えて9月には転居するとのことだが、まだ何の準備もしておらず実感としてはまだない、というのが現状である。
人間至る所青山在り・・その覚悟はあるとはいえ、第2の故郷蒲田を去るのはなかなか思い切りが付くまでに時間を要したねぇ。
ましてや東京で活動していたのが横浜になるということは落胆を禁じ得ない。
引っ越し先が鶴見駅から10分もかからないところでこの蒲田からも電車で10分もかからないんだけれどもね。
このマンションからは富士山が見えて大変気に入っていたところである。ここを終の棲家と思ってはいたが、庭付きの一戸建ても捨てがたく、今回の物件は私も気に入っているところなので、半々・・というところか。
 しかし、しばらくもすれば向こうの良さに満足するであろうということはわかっている。確かに素敵な家なのは間違いないところだ。
ワンコウのことを思えば、私が留守の時でも下の店からはしょっちゅうのぞきに来れるので安心できるという大きな利点があり納得の一つでもある。
 そんなことを知ってか知らずか、この夏限りの食事もワンコウの目線は食い物ばかり、主の気持ちなど知る由もない。
桜の季節はここから呑川沿いの桜を眺め桜が散っては花筏となって風情を楽しませてくれた。
 カラオケに行っても歌う歌は、「東京の灯よいつまでも」「ラブユー東京」「おさらば東京」古い歌ばかりだがこんなレパートリーが並ぶのである。
 そんな思いの朝食であった。