473.ドイツ村からのこぎり山

1月26日(月)、天気も持ちそうなので千葉方面へ出かけようということになり、シェアカーを借りて、アクアラインを通って木更津のほうへ向かった。
平日の午前中ということもあってアクアラインもスムーズにとおり一気にドイツ村まで行った。
はじめて行ったのだが、ここはイルミネーションで有名で本当は夜に来るといいのだろうがとりあえず、ということで来てみたが、パターゴルフをする人以外は何にもないだだっ広いところだね。
 しかたがないので、わんちゃんランドのドッグランでちょっと遊んでから出てきた。

それで、せっかくだからのこぎり山へ行こうということになって向かったが、ここも何年振りだろう。
 昔の館長雑記にアップした記憶があるが、その時は前のワンコウ、プウチャが健在で山の中をあっち行きこっち行きして大変な思いをした記憶がある。
案の定今回も同じような目にあった。
今回は観月台があるというところを上ろうと向かったが、行く前の階段の急なことおまけにちょっと前の雨の影響が残っており、クウなんかは杉の葉っぱや泥水で大変な状態になりあとで大変なことになるのだが、今は、ただ上ることに専念しているのである。
 ようやく観月台に上るとさすがに見晴らしもよく気分爽快なのだが、ここから頂上を目指そうということである。
それで標識に従って登って行ったのはいいがついた先がお寺となっており、ここは、私たちが目指していた頂上とは違うということである。
 さすがに気分も落ち込んで、時間もないのであきらめて降りて、帰路に就いたのだが、今回も階段をはじめ大変な思いをしたねぇ。
ましてや最初からの目的ではなかったのでなおさらである。
 降りて車に乗る前にはクウの足を洗ったり、体にくっついた枝木を払ったり結構な時間をくった。
夕方には戻ってその日の空手の稽古には間に合ったのだが、いやぁ、いい運動になったねぇ。
何年ぶりかののこぎり山であったが、今度はロープウェーで頂上まで行ってみたいものである。

472・総持寺

1月15日(木)、B級グルメの仲間で総持寺をお参りしてから東神奈川近くの宮崎の暖簾が出ている店で食事をしようということで出かけてきた。
 出かけるときは曇りであったが、そのうち雨が降ってきて本降りとなってすっかり濡れた。
総持寺へ行ったはいいが、石原裕次郎の墓は見当たらないどうも反対の方角へ来たらしい。人に聞いてそちらへ向かったが、途中、大西瀧治郎の墓があり、ビックリして手を合わせてきた。
 大西瀧治郎、先の大戦で特攻隊の生みの親とも言われている人である。
私もよく存じ上げて、映画も見た、靖国では終戦翌日に自決した日本刀が展示されていてその人の生きざまを見たようであった。
あの当時は「やむにやまれぬ大和魂」ではなかったか。
多くの将校が敗戦後は生き抜いてきた中、責任を取って自決をしてその自決も介錯をさせずに苦しみながらの最後であったという。
 あのような人は少ないねぇ。
 もちろん心を込めて手を合わせてきたが、雨にもかかわらず線香と花の供養は絶えていなかった。
そうこうしながらようやく石原裕次郎の墓に到着して、その広さと規模にびっくりして、ここも花と線香が絶えないらしい。
以前供養の時にワインが配られることがあってきたことがったが、何しろ鶴見駅の改札を出たとたんに行列ができていてさすがにあきらめて以来の参拝である。とはいってもその時はお参りをしていないので今日が初めての墓参りである。
 石原裕次郎の歌は今でも私のカラオケのレパートリーの一つで身近に感じているが、私より少し前の映画全盛のころの人である。
 もちろんその後のテレビの刑事もので有名ではあるが、私にとっては映画全盛のころの姿が焼き付いているんだねぇ。
裕ちゃんの供養の時は、よく雨になるということを聞いたような覚えがあるが、今日もあいにくの雨でゆっくりはできなかった。
 鶴見は近いので今度はいつでも行けるだろう、一人でも行ってこようかと思っている。
 それから、東神奈川へといき宮崎の看板が掲げてある店に入ってみたが、昼時はランチメニューだけで何か味気なかったね。
そこのマスターは横浜の人で宮崎で若いころ修行したという人で、地元の話では盛り上がらなかった。
ま、こういうこともあるわな。
 で、近くの喫茶店でお湯割を飲んでお開きとなったのだが、ここ東神奈川は40年前に住んでボクシングジムに通っていたころの青春の場所でもある。
雨も激しくなったので散歩もできなかったが、通りすがら懐かしいところもあったねぇ。
 雨も冷たくなり、氷雨となった午後であった。

471、靖国神社

五日は、細君の詩吟団体が毎年靖国神社の奉納殿で詩吟を奉じているので、今年は私の時間も空いたのでカメラマンとして出番を見計らって出掛けた。
着くなり本日の出場者の欠席が多いので私も吟じてくれないか、という言葉である。
格好は正月のお参りなのでネクタイ姿だったのでよし、としてもいきなりではなぁ、と思うところだが、考えてみるとこんな舞台に立てるということはめったにある事ではない。前回の時は本殿にお参りはしたが舞台には立っていない、ここは二つ返事で引き受けて軽く声だしの練習だけでほとんどぶっつけ本番である。
 コンクールでないので好きなようにやっていいし、観客も少ないので気は楽だ。しかし、靖国神社の舞台である、ちょっぴり緊張。
隣を大勢の参拝者は通るのだけれど足を止める人はいない。
皆さんになじみのある詩吟「川中島」を選んで吟じた。
ぶっつけ本番はこんな程度である。
それが終わるとみんなで本殿にお参りが出来るのである。
今回は人が多かったねェ、暦での仕事始めと、今年は終戦から70年を迎え多くの行事が控えてまたそれによっての参拝者も多いのだそうである。
私にとってはここ靖国神社と鎌倉八幡宮には特別な思いがある。蒲田八幡は氏神様だ。
 順番が回ってきて本殿にお参りである。政治家たちがお参り来た時にテレビで流れる渡り廊下を通って奥の間へお祓いをしてもらって終わり。
今年もいいスタートを切ったような感じがする。
今年は2月の延岡ツアーがあるのだが慣れないことゆえいまからバタバタとしているようでもある。
空手は新年会、審判講習会の開催を3月に考えている、4月の神奈川県大会、6月のジュニア大会を控えているからである。
 さてっと、今年も張り切っていくとするかねェ。

470.2015年謹賀新年


2015年の元旦は、曇りで初日の出も見れなくて寒さも有って厳しい幕開けであった。
近くの氏神様蒲田八幡へ毎年お参りするときは一時間近くも待って大変なので今年はゆっくりと出て行ったが寒いせいか、10人ほどしか並んでいなくて待つほどではなかった、何か拍子抜けしたような感じである。
今年は細君の母親が来たので、さっそく正月二日めは、
箱根駅伝の応援に近くの国道まで出かけてから巣鴨のとげぬき地蔵へといった。
私は先々月に高校の同窓会の会長たちときているので二回目だが、今回は地蔵詣りに並んで水をかけて拭くというお参りをした。
こちらは正月ということもあって40分ほど待った。
午後は川崎大師へと向かったが、なんとまぁ、人の並びが半端ではない。遠方からきている人は我慢して並ぶだろうが、こっちはさっさとあきらめて隣の鶴見駅の総持寺へと向かった。
本来ならば私は曹洞宗の信徒で有るのでこちらに来るのが筋なのだが、同じ曹洞宗でも我が家は永平寺なのでそれほどの愛着はない。ま、一通りのお参りはした。
 開けて三日は、熱海の料理旅館「渚館」へ行っておせち料理をいただき温泉に入ったのだがさすがの私も食べきれずにギブアップであった。

若いころとは違う、こんなところにも感じる。クウもごちそうが並んで大喜びだが、やはり動物ながらも宿が違うと落ち着かないのかね。結構そわそわしていた。
開けて四日は、朝食が終わって蒲田へ戻ってきてようやくのんびりとしたようである。
母親も福島へ戻って、我が家の正月も終わりである。