446.鎌倉市長表敬訪問

5月13日(火)、かねてよりお願いしてあった鎌倉市長表敬訪問が実現して延岡の先輩の人と出かけてきた。
鎌倉市役所は鎌倉駅西口にあり、私も鎌倉へは何度も出かけているが西口へ降りるのは初めてだねぇ。

 二人で落ち合わせて出かけたがすぐの場所にあり、約束の時間に市長に面会をした。
若い市長とは聞いていたがこのような若いパワーが古都鎌倉を引っ張って新しい時代を作って行くのだろう。
 今回の表敬訪問は、毎年、延岡の藩主内藤様の歴代のお墓が市内の光明寺にあり、6月の法要には市長自ら参列していただいているのでお礼かたがた今年もまたお願いをしたわけである。
 福島県のいわき市が主催となっているのだが、延岡からも参加して、鎌倉市長も参列していただくのである。
昨年私も参加したが今年はその墓の草取りから参加することにしている。墓掃除と言ってもそこはお殿様のお墓、歴代で一人ずつそれぞれだから大変な規模なんだねぇ。
それをいわき市からはバス2台で来て泊まり込みで作業を行い、翌日は法要と観光を兼ねて帰られるのだそうである。
延岡出身としてもここは参加をしなくてはいけないと思っているので、今年は張り切っているが、ちょうど空手もその時は行事もなくうまく回るのである。

今回、鎌倉市長訪問には武家の本元、鎌倉市において空手教室を開くという私個人の長年の夢も秘められているのである。
昨年の還暦の誕生日には鎌倉八幡にお参りをして御朱印帳を買ってきたのである。
 私の新たな一ページが始まるかもしれないね。
いろんな意味で今後の展開を感じさせる一日であった。
帰りに、記念というわけではないが鎌倉駅でお土産を買い御茶菓子として食べたが珍しいことである。

445・新緑の称名寺

5月12日(月)、朝からすがすがしい五月晴れ、出かけたくなる天候である。手っ取り早い称名寺へ行こうということになった。リュックなどの用意をしているとクウにもわかるのだろう、興奮状態である。
 電車に乗って20分ほどで金沢文庫駅についてさっそく徒歩である。
昨日あたりは人が混んだのだろうが、月曜日はすいていて人に出会ったのが3人であったか・・のびのびと行けるのでうれしいコースでもある。
 今日はやけに新緑がまぶしく映る、まさに、青葉若葉の日の光・・である。
それでいてそれほどの汗もかかず快適に歩いてきた。
頂上の八角堂での一休みが気持ちよくて本当に良かったねぇ。
降りてきて境内では、先日、テレビを見ていたらクライマックスの場面で、この称名寺の橋のたもとで、主人公が犯人を前にして事件解明の説明をしていた場面を思い出した。設定は京都のお寺であったが、この境内もその雰囲気を醸し出している。私も思わず見入ったものね。
 そうだよこのあたりの撮影であったな、説明をしながら池のほとりを歩くと菖蒲の花が黄色いので珍しいと思って撮ってきた。近くにはあやめも花を咲かせている。

 そうこう思いながら帰路について戻っても2,3時間しかたっていなくて、ほんとに便利でありがたい所でもある。
ここでは能の舞台を設置してその観賞会も開かれるのだそうで、一度は来てみたいとも思っている。
 私が気に入って気楽に買ったジャンパーをあなたには派手である、と言って勝手に着こなしたご婦人もいる、今回は特別だ、たまには掲載でどうぞ。

444,ズーラシア動物公園

横浜にある自然動物園で、15周年を迎えるのだそうである。できた当時から話題になり行ってみたいと思っていたがなかなか機会に恵まれなくて、5月5日の子供の日、たまたまこの日になったのだけれど行ってみようかということでやっと目的が果たせたようである。
 だいたいにしてこの「ズーラシア」という名前はどこから来たのか?一応調べてみると動物園とユーラシアをあわせた造語なのだそうである。
 自然の中に生きる姿を見せようということで、結構手が入り込んで他の動物園とは違った一面を見せてくれる。
この日は子供の日ということで結構な人出であったようだ。
入口から入ると確かに普通の動物園とは様子が異なる。アジアゾーンなのでライオンや象などアフリカとは違った様子であった。だけど自然も含まれているのでどこかしらほっとさせてくれるねぇ。


 虎やヒョウなど保護色に包まれて見えにくいところはあるが、これはこれで自然に近い姿でいいでしょう。
奥に進むとイベントがあったり自然遊歩道があったりして一日楽しめるようになっていて家族連れには楽しいでしょうなぁ。

見ごろには少し早いがツツジもたくさんあって楽しませてくれる。道端にヤマブキの花を見つけてつい、詩吟をうなりたくなるのは悲しいさがか?

 昼間の3時間ほどの時間であったが一度行ってみることで満足をした。
昔はこのようなところで飼われている動物は可愛そうな気がしていたが、ちょっとは自然に近い状態で生活をして、何より食いっぱぐれが無い。これはこれでいいのかなぁ、なんて考えるようになったねぇ。
 こういうところで天寿を全うするのも一つの生き方かもしれないねぇ。
若いころは自然の中で生きて今日明日には死ぬかもしれないがそれが動物としての本望である、と思っていたのだが、こういうところで少々の不自由はあっても至れり尽くせりの人生?も悪くはないと思うようになったのも年を取ったせいかもしれない。
じゃぁ、私がその当時40年前に戻ったとしたらこのような考えになるかというと、今日明日の生き方もわからない自然の中での生活を選ぶとは思うのだが、相変わらず身勝手な考えではある。
 まぁ、いろんな思いをしながらの一日、楽しいものであった。