461,戸塚教室

10月26日(日)、いつもは午前中の稽古を終えて幕張へ向かうので最後まで残ってやることはないのだが、この日は幕張の体育館が使えないので休みになったので、最後まで残ってみんなと一緒に行った。
 幕張からわざわざ藤田さん親子が戸塚の稽古に参加したが遠路はるばるご苦労さん、というところかね。
しかし、11月12月と大会を控えてこれに出場をする皆さんには大変勉強になったことだろう。

現在の上杉会館において、藤田さんの指導が一番のキャリアを誇る。型については定評のあるところで私も信頼をしているがこの人の型の指導をしていただくということは大変勉強になるでしょう。
 また、組手においても息子の智明君は昨年の全国大会でも優勝して合宿でも相手をしてもらって肌で感じただろうが、今日も相手をしてもらうということは是もまた勉強になったでしょう。
若い池田君などは初めてのことでなおさら勉強になったのではないのかな。
 今回の秋の昇段審査では戸塚カルチャーから3人、火曜日のカルチャーから一人と戸塚カルチャー尽くしであった。
その3人がこの日は指導してもらった。

それにしてもここも人が増えたものだねぇ、ここが開いて7年目に入るのかね、最初の頃の二部の会員は工藤さん一人で、指導を頼んでいる角田さんに言わせると一時間半の稽古時間が長くて間が持たなかった、と言っていたくらいである。
 そのころから工藤さんはやめずにコツコツと続けて今回の昇段審査に臨み昇段組手を達成して型審査も合格して晴れて黒帯となったがその喜びはひとしおではないだろう、かくいう私もよく辛抱したものだと敬意を表するのである。
 また池田君も小学校1年生で開設当時から続けて中学生になっても一般の部で頑張ってこの日にこぎつけた。この子には熱心なおじいちゃんのおかげも相当にあると思うが基本的には本人の気持ちが無ければできないことである。
 佐藤さんは子供と入会して続け組手や型の試合にも挑戦したりして怪我をしながらも続けて頑張っている。
今年元旦、私から、今年は挑戦ですね、と書かれた年賀状を机に張って、それを目標に頑張ってきたのだそうである。
皆さん、それぞれの思いで頑張ってきたのだねぇ。
 
また日曜日のほかに火曜日も小学生の教室で指導をしているのだが、火曜日の富村龍之介君も今回黒帯となった。
この子は、幼稚園年中の頃から続けて現在は小学校6年生、足かけ7年よく頑張ったものである。入会の時は友だち4人や、そのほかの同期も8人くらいいたのだが、黒帯まで頑張ったのは彼一人である。友達がやめていく中、彼の中で感じるものがあったのかねぇ、免状を手渡したときに涙をぬぐっていたが、私もこれまで何十人の人に初段免状を手渡したが涙まで流した子はいなかった。
 彼なりに思いがあったのだろう。私も喜びを通り越して胸が熱くなり、彼の幼児時代から知っている私も思わずほろりとさせられたのであった。
10人の人がいれば10人の、100人の人がいれば100人の思いがあるのだねぇ。
免状を手渡す私も黒帯となればなおさらの思いである。
稽古を終えて残れる人で、上の階の飲み屋で昇段祝いを行った。
稽古後に飲むビールはうまい。昼間の酒は酔いが回るようである。しかし、好きな人にはこれがたまらない、出てきた酒をコップについでもらいサービスで受け皿にこぼれた酒を飲むのがこれがまたなおさらうまい、写真を見れば一目瞭然である。

そんなこんなで楽しい時間を過ごして帰路についたが、戸塚教室が熱いねぇ。
 

460,秋の称名寺

10月20日(月)、秋晴れの中、称名寺へ久々にいくことになった。
カレンダーを見ると6月3日に行って以来ということになる。安くて近くてそれでいて出かけたような気にもなり気分転換にもなっていいところだねぇ。
 久々のスリングの登場である、いつの間にか網の部分が変わっているクウがひっかいても破れれないようにしたのだそうである。
ちょうど9時半ごろに出かけるとラッシュもひと段落して、それでいて下りの電車なので案外すいていて座って行けるのである。
「金沢文庫」駅で降りて歩いていくのだが、細君はすっかりここが気に入ってここに住みたい住みたいといっている。私もやぶさかではないが、東京や千葉県までの行動を考えるとやはり一歩気が引けるねぇ。
 クウも出かけるのがわかるんだね、スリングを見た時から興奮しっぱなしである。駅から歩いていくのだがぐんぐんと行く。飼い主より先に行くのは躾ができていないということだが、このくらいはしようが無い、そのかわり少し離れると振り返って確認するのではある。
 称名寺の裏山はハイキングコースになっており起伏にとんだ山道はいい運動になるのだねぇ。それでいて平日の午前中ということで行きかう人も少なくてのんびりできるのである。

 頂上にある八角堂まで行くとそこで休んでおにぎりをほおばってしばし遠景を眺めるのである。今日は残念ながら富士山は見えなかったが横須賀の港や、八景シーパラダイスなどはよく見えて気分爽快である。
 頂上のテーブルで食事をしながら写真を撮ったりするのだが、親子はよく似るというがワンコウも飼っていると似てくるというが、私の錯覚か?何とも似ているように思えたのでアップしてみた。
いつも私の顔ばかりなのでたまにはいいだろう。
 詩吟関係の人もこのコーナーを訪れるようで細君も先生なので載せてよ、なんて言われるがあくまでも私のコーナーで、それに載せられることを本人が嫌がるのである。今日は特別だ、と言っても許可を取ってはいないが、いいだろう。
 降りて池のほとりを歩くと良い天候のせいか、近くの園児や写生グループの人達でにぎやかなものである。
市民の憩いの広場、という雰囲気がすっかり伝わってくる。
 おだやかな秋晴れのひと時、幸せを感じるんだねぇ。

459・新宿界隈

10月16日(木)、空手が休みで西新宿にあるHISという大手旅行会社へ延岡観光ツアーの件について訪問して説明をした。宮崎県の観光といえば、日南海岸や鵜戸神宮などの県南地方が主で、県北では高千穂があるくらいなのだが延岡のお祭りでのツアーが組めないか説明してきたのである。
 新宿西口も久々だねぇ。終わってから新宿駅まで歩いて来て大ガード横の飲み屋街を通ってみた。20代の頃友達がこのあたりの大手チェーン飲み屋で働いていて、ちょくちょく来ては友達との待ち合わせに使ったり新宿に来た時は顔を出したりして結構通っていたところである。
 今は、思い出横丁となって看板までかかっていたが、こんなにきれいなところではなかった。そりゃぁそうだ、50年近くも前の話である。
 しかし、今も変わらず営業を続けている店もあって懐かしく感じたねぇ。近くのホテルでは、刑事ドラマのテレビ撮影で受付の役をやってセリフも一言二言・・青春の一コマである。
 そこから南口までさらに歩いて宮崎のアンテナショップ「こんね」という店をのぞいてみた。昼も過ぎていたのでチキン南蛮定食を注文して食べた。ただ、私がいた延岡時代にはこのような名物はなかった。私が知らないということもあろうが、宮崎といえばカボチャとシイタケの産地ぐらいしか思い浮ばなかったのである。

、ましてや延岡、といえば旭化成の工業都市しか知らなかったので今は勉強である。
 高校時代も家と学校の往復で3年間が過ぎて卒業してそのまま上京したので、延岡も行った事のない知らないところがたくさんある。
 今は観光パンフレットを見ながら勉強しているところであるが、いろいろ知ってくると延岡もアピールの仕方では観光地になる素材はたくさんあるのである。
九州最後の秘境と言われる大崩山(おおくえやま)などは、関東山梨県の有名な観光地昇仙峡というところがあるが、あのように奇岩がそびえたちその下には渓谷があって四季の折々の素晴らしい眺めをかもしだすのである。
 高千穂神話の流れを受けて市内の中心地の山愛宕山はその昔神様の出会った場所としても有名で夜景もこれまた素晴らしいのである。
 「こんね」で食事をしながらいろいろと空想がはずむひと時であった。
出てみると新宿駅南口、ここは台風などの中継で新宿から放送されるときはここ南口なのである。

458・お台場

空手が休みで夜に高校の同窓会会場の下見に行こうということで、新橋からユリカモメに乗ってお台場駅で久々に降りた。
 このあたりも昼間は何年か前に来たことがあったが夜に訪れるのは記憶が無い。
少し早目についたので、近くを歩いてみたが、昼間とは違って夜の風景というのは東京を感じさせないようなそれでいて都会的でいい空間だねぇ。いくつかのグループが来ていたが近くで言葉を聞くと日本人ではないらしい、同じ東洋人だと思ったが西洋人から見たら区別がつかないだろうねぇ。私でさえ、一瞬日本人グループかと思ったほどである。

 新橋から来る途中窓の外にカラフルなビルが見えてなんだろうと思っていたら、台場駅前のフジテレビの建物なんだねぇ、それにしてもものすごい電力消費だと思うが、今でも原子力発電所は作動していないと思うが、これだとなくてもいいのかねぇ、単純な疑問である。
 レインボーブリッジから東京タワーを望むなど素晴らしい眺めだねぇ、若い人のデートスポットにはおすすめだねぇ。
私か・・今夜来たのでもういいか、ワンコウと近くを散歩するのが何よりなのである。
 そうこうしているうちに時間となって会場のホテルに行くと、同行の会長の佐藤さんがすでに来ていてフロントの人と話していた。以前このホテルの常務をやっていたそうでその顔で来てみたのである。
 さっそく会場を見てみるとさすがにホテルで雰囲気があってなかなかしゃれている、この中で便宜を図ってもらってこれは素晴らしい同窓会になるのではないかねぇ。
一回りしたら、地下のバーで軽くやっていくという、着くと佐藤さんの昔の同僚や部下やいろんな人が挨拶に来る。支配人も来て同席して飲み始める。
 私は聞き役で参加するのだが、違う世界の話には色々と勉強になることが多い。入口には、今NHK朝の連続テレビ小説「まっさん」ニッカウィスキーの創設者の資料が並んでいる、今、フェアーを行っているのだそうだ。さすが、商売人タイミングが絶妙だね、私も毎日見ているので思わず見回った。
 そのうちにここのキャプテンが挨拶に来た。飯塚貴也さんと言って、バーテンダーのコンテストで優勝したこともある全国的に有名な人なのだそうである。
 そういう人とも名刺交換をしながら私とは全くの別世界の人、人生も面白いものである。
楽しい会話もあっという間の時間である。帰りに精算をすると、ここの支配人のおごりなのだそうである。これには恐れ入ったねぇ。
佐藤さん共々遠慮なくごちそうになったが、なかなか素晴らしく今度の同窓会が楽しみになってきた。
 ホテルか・・、グランパシフィック、ル・ダイバである。

457,牀前 月光を看る(しょうぜん げっこうをみる)

牀前 月光を看る疑うらくは是地上の霜かと
(しょうぜんげっこうをみる うたごうらくはこれちじょうのしもかと)
頭を挙げては山月を望み 頭を低れては 故郷を思う
(こうべをあげてはさんげつをのぞみこうべをたれては故郷を思う)
私の大好きな李白の詩「静夜思」であるが、秋の静かな夜更け寝床の前に月の光が差し込んでいる。あまりにも白いので、地上に降りた霜かと疑ったほどであった。
 光をたどって頭をあげてみると山の端に名月がかかっている。
その名月を眺めるうち、故郷のことがふと思い起こされ、知らず知らず首をうなだれて知らず知らず望郷の念に浸ったことである。
 何という名詩であろうか、私のような凡人にとってこのような詩に触れることによってその思いに共感を覚えるのだねぇ。

 今の時間か・・10月8日(水)、午前4時半、なんという時間に書きこむのであろうか・・
寝る時に少し暑いので窓を開けて寝るのだが、まさに秋の夜更け・つい目が覚めると光が私の部屋に差し込んでいてふと外へ目をやると月の光が輝いていた。
 思わずベランダに出てカメラを向けてこの満月を撮ったのだが、このような時にいつも思い出すのは李白のこの「静夜思」なのである。
 私が詩吟を習いたての頃、蒲田は蒲田でもその当時は西蒲田のひなびた6畳の部屋で仕出し弁当やでアルバイトをしながら暮らしていた頃だったであろう。
 当時は故郷を後にしてまだ3,4年、望郷の念も強いころであった。あの当時を思い出すねぇ。
若かりし頃の上杉は今の私をどのように想像していたのかねぇ、夢をかなえた、とまではいかないが今が幸せにして暮らしているならばそれでいいではないだろうか。
 相方がいてワンコウがいて、ちびっ子を相手に毎日空手を楽しみ、平凡ながらも幸せな毎日を過ごしている。
平凡、平凡、というとあまりにも夢の無いように聞こえるかもしれないが、「平凡な人生を送ることがすなわち非凡なのである」と聞いたことがある。
 また平凡と簡単に言うが、人生平凡に過ごせる人はそうはいないと思うね、生きているといろんな災害や事件や事故などに巻き込まれることが普通なのである。気を付けていても病気になることもある。
 
 ベランダに出てしばらく椅子に腰かけて月を眺めていると李白は流浪のはてに苦労したんだよねぇ、しかしその中で、「月下独酌」などまたまた素晴らしい詩を作っている。月と自分とそして自分の影とが楽しく舞い遊ぶという、とても私らの発想の及ぶところではない。
 しかし、こうやっていると西暦700年代に活躍した李白と1300年の時空を超えて友達になれそうな・・李白さんあなたの時代はそれはもう大変だったんでしょうねぇ。
 
そんな思いに浸っていると、狭い我が家、細君から安眠妨害だ、と苦情を言われかねない。「あなたも詩吟をたしなんでいるから出てきて眺めたらどうですか」「私は水曜日から仕事が始まるんです!」何かそんな返事が返ってきそうな・・
心の中での会話である。
 そうこうしているうちに5時を回った。そろそろワンコウを起こして少し早目の散歩に出かけるかね。
また、現実が始まった。
文中の写真が月ばっかりというのも例がないが、これが名月なのである。