337・称名寺、2012

1月30日今年初めて称名寺へと出かけてきた。いつものように橋をバックに写真を撮ったが、いつもは桜の季節や夏の緑映える写真だが、冬の写真は周りが枯れ模様でちと淋しいね。
 裏山のハイキングコースは枯れ葉を踏みしめながらの散策である。
頂上の八角堂では工事がされていてゆっくり休めなかったが、ここまで資材を運び込むのも一苦労であろう、私など手ぶらで歩くのでさえいい運動であるのだから・・
 ようやくクウも段差のある階段を登れるようになってきた。
プウチャの場合は異常に興奮して遠くまでかけたり、いったん戻ってまた駆けて行ったりと大変な運動量であったが、クウの場合は少し駆けてはすぐに戻ってくるという・・・まだ心配なのかねぇー。
 降りてきて池の周りを散策するのだが、なんと蝋梅(ロウバイ)が咲いているではないか、ちょっと感動。
ロウバイといえば鎌倉を訪れて食事したこともあった。
いろいろと連想されて頭の中は忙しい。
 今日は昼から出かけたのでいつもの食堂はやり過ごした、それで3時過ぎに戻ってクウをきれいにシャンプーして充実した一日であった。
 夕方からは生麦教室の稽古だが、連日の寒さの中みなさんよく来て頑張っている。
 典型的な寒い冬の日の一日である。

336、明治神宮

初もうでのはしごはよくないといわれるが、ま、そう固いことはいわずに7日にはTさんと明治神宮に行ってきた。
 ここも何十年ぶりだろうか・・20代の頃には、日本一の参拝客と言われるこの明治神宮にそれこそ除夜の鐘の後から並んで、何歩か歩いては警察の止まれのの標識に立ち止まり、その繰り返しで1時間以上もかかってお参りしたこともあった。
 それは若いからできるので、今は並ぶことなら門前で手を合わせるだけでよいと思っている。
この日も、正月は明けたが土曜日ということもあってまだまだ大勢の人で出会った。
 整理している警備員が端のほうからだと並ばずにお参りできますというので、一番端っこに行ってみるとなるほど並ばずにお参りができた。
 真ん中の正面ばかりにこだわらなくても端っこでも賽銭箱はあるし一応正面である、などと言いながらちゃんと拝んできた。
 明治神宮のは朱印帳には無いので少し並んで記入してもらった。
さすが、ここの記入には皇紀2672年と記入されている、重みが違うね。
 この朱印帳、今年は、蒲田神社から始まって、池上本門寺、明治神宮と3か所から記入してもらった。
これも、3年前の日向国天岩戸神社から始まって、表が終わり今年から折り返しとなった。
一つ一つ思い出してみるとそれぞれに思い出がある。
 実はまだ、鎌倉八幡宮が無いのである、過去に行くには行ったがあまりの人の多さに諦めて帰ってきたことであった。鎌倉でも長谷寺や大分様の高徳院はあるのではあるが・・
 また今年は、どこに行ってどこのが集まるのか楽しみの一つでもある。

335、2012年始動

2012年,おだやかに新年が明けて静かなスタートとなった。
 元日の昼頃に近所の蒲田八幡神社にお参りに行ったが、まだ人が並んでいてビックリ、もう参拝客はいないだろうと思っていた。
 とにかくその日はお参りを済ませて、今度は1月5日、高倉さんが所用の帰りに蒲田へ寄ったので、池上に行こうということで、池上本門寺へ行ってきた。
 ここは昨年も遊びがてら来て近くでもあるので何回か来ているおなじみのところでもある。
せっかく来たのだから、力道山の墓参りもしようということで行った。
小さいころはあこがれていて、プロレスラーになりたいと思っていたほどである。
一人で来ることはあったが写真を撮る機会がなかったので今回は納まった。
 ここには、昔の映画俳優市川雷蔵や、右翼の活動家児玉誉士夫なども眠っているのだという、
力道山の近くに児玉誉士夫の墓があったのでついでといっては失礼だがこちらもお参りしてきた。
市川雷蔵はわからなくて次の機会に譲ろう。
 五重塔を通り過ぎて公園、展望台へと行って快晴のもと、道端で将棋を指している人などもいてのんびりとした平和な日本を感じたねぇ。
 呑川沿いを散策し、もう菜の花が開いているのに驚きながら蒲田へと戻り、こちらでゆっくりと一杯やりながら、上りはなじみのジャズ喫茶で新年のあいさつを済ませて夕方に分かれて戻ってきた。
 今年のすべり出し、良いい正月であった。