ベランダ

マンションなので、ベランダというものが、気持ち程度にあり、そこに相方が植木などを置いたり、最近はゴーヤを植えたりして、耳掻き棒で一生懸命、受粉をしたりしているのである。
 そのかいあってか、可愛いいゴーヤが2個ほど生ってきている、せっかくだから写真にとってきたので、載せることとなった。

 ついでといっちゃ何だが、ハイビスカスもきれいな花を咲かせている、一応、私も毎日水を上げたりしているので喜ぶ権利がある。

何かほっとなごむねぇー、ゴーヤも大きくなれと応援したくなるね。
最近は花を愛でたり、ワンコウと散歩をして喜んだり、私も随分と変わってきたよなぁー。
しかし、こういうのも人とのしがらみがなくてのんびりとしていいものではある。
子供相手に空手を教えたりして毎日を過ごし、みんなの成長を楽しむ、私も老人の心境か・・・ま、これはこれとしていいのではないだろうか、平穏無事、これに感謝ですな。

No267 [たいへいの眠りをさます蒸気船]

たった四杯で夜も眠れず」
と幕末に世を騒がせた、アメリカペリー艦隊の来日の様子だそうである。

連日の猛暑日を記録したこの夏、出かける気にもなれなくて家出じっとしている毎日であったが、久々に30度を下回ったこの日、天気も曇りで、久里浜の花の国へ出かけようと話がまとまりさっそく愛犬を連れての外出となった。
 昨年も一度訪れているが今年は、少し時期をずらして今、コスモスが咲いているということで、出かけた。
ひとつの山自体が公園になっており、歩くだけでもいい運動になる、何より入園無料ということが、サイフの事情を考えるとありがたい。

 久々のお出かけにフウチャは興奮して大張り切り、ぐんぐんと引っ張って行く。
今日は山頂で引き返すことなく、反対側で降りて、その近くにあるという、ペリー記念公園まで行くことにした。
 ペリーが来日したのが、1853年、黙っていてもすぐに思い出す、なぜなら、私が生まれたのが1953年、丁度100年前なのである。

で、当時ここに降り立ったのだという、記念館などを見て回ると当時の様子などがわかるようになっている。
 大河ドラマ「龍馬伝」でも始めの頃、桂小五郎と黒船を見て驚いていたことが描かれてあったが、その当時、このあたりに各藩が警備を担当しており、私たちが三浦半島で合宿を張って公園で稽古していたときに土地の老人が来て、ここは幕末に桂小五郎と坂本龍馬が稽古で立ち会った場所である・・なんてことをいわれたのを思い出した、もう、20年以上も前のことである。

 あれこれ考えながら、コンビニで買った弁当を開いて仲良くワンコウをまじえて頂く・・・150年も前に比べるとなんとものどかで平和なひと時である。
 こういうところにくるたびに、私たちは歴史の上になりたち、今があることを思い知らされ、感謝とともに、心新たにされるのでありますなぁー
 よい一日を過ごさせていただいたことでした。

No.266 [帰郷]

盆をずらして、故郷延岡へと帰り、兄弟がそろって兄の還暦祝いや、バスでの日帰り旅行などを行なってきた。
還暦など、おじさんおばさんの世界だと思っていたのだが、とうとう兄弟まできた、今度は私の番か・・・
 芸達者なわが一族のこと、カラオケや扮装ものまであり、大変に楽しい夜を過ごした。
翌日は、バスで県南の鵜戸神宮や、飫肥の城下町を訪ねたりした。

お昼は、「フーテンの寅さん」のロケが来たという日南市で宮崎牛を食べ、飫肥城や小村寿太郎記念館などを見て回った。
 その日の夕方に戻り、私は日防連宮崎県支部として活動を始めた、一真会の幹部達と軽く飲み、今後の協力を話し合った。
そこの仲居さんが最後のおまけに出してくれた黒霧島が効いたのか、帰りは酔っ払っちまった。
 翌日は、妹夫婦の車に便乗して、神戸まで向かい一泊をした。
途中、関門海峡で食事をとったが、晴れすぎてかすんだとはいえ、よい眺望のレストランであった。
ここでも坂本龍馬ブームの影響か、記念写真用のパネルがあったので、せっかくということで、二人で納まってみた。

 翌日は、大阪のおばの家によって挨拶をしてから東京に戻ったが、今回は忙しい日程であったね。


 これで、気持ちの一区切りがついて今年後半戦の開始である。

No.265 [塩屋崎灯台]

 相方の実家は福島県小野町という所なのだが、そこで法事があり、甥っ子の車に便乗して行ってきた。
 一切を無事に済ませての帰り、どこかへ寄りましょうかということで、美空ひばりの記念碑がある、塩屋岬に行きたいということを申し出てそこへ寄り道することになった。

 私も初めてであり、灯台もおととしの三浦岬の灯台以来である、楽しみに行った。
 着いてみるとさっそく美空ひばりの記念碑があり、塩屋岬を舞台にした「みだれ髪」のメロディーが流れている。
 今回は彼ら夫婦とも一緒に写真に納まった。

 で、灯台まで行こうということで歩き出すと、何と「喜びも悲しみも幾年月」の記念碑があり、ここの職員の手記が元で、この映画が作られたという説明がされていてびっくり、大変に古い歌なのであるが、私はもちろん知っており、思いを新たにしたね。


 灯台に登ると最近は高所恐怖症なのか、ぞぉっとしたがあいにくの曇り空、遠くがかすんでもったいなかったね。
 平日で観光客は少なかったが、それでもマイクロバスから年配の人たちが降りてきて写真に納まっていた。
 それらを満足しての戻り、お昼を食べようということになり、地元では有名なのだという「メヒコ」に寄りましょうということになった。
 もちろん私は初めてなのであるが、ここの蟹ピラフがおいしいという。テーブルの横に水族館というのがあり、海がめが気持ちよさそうに泳いでいる、それらを眺めながらの食事であった。

 腹も満たされ後は帰るのみ、常磐自動車道を走りながら、こっちはゆったり眠り、運転手には申し訳ない。
 利根川を越えたあたりから車も多くなり、気温も蒸し暑くなってきて日常の生活に戻ってきた。
 それでもあちこちに寄ったりして、昨日からの二日間のことなのだが、何日も過ごしたような充実した日であったなぁー。
 今回は便乗させていただいた相方の甥っ子夫婦に感謝の二日間でありました。

7月7日、七夕である