11月20日、しばらく続いた寒さも和らぎ気持ちの良い日となった。
この陽気につられてか、称名寺へ行こう、などと急に言われて心の準備もないままにクウを連れて出かけることになった。そりゃぁクウは喜び勇んで飛び回ることだ、昨日は車の中が長くて運動らしいことはやっていないのだからね。京急のホームからわがマンションが見えるので今日はカメラもあるので記念に1枚。
金沢文庫駅で降りて称名寺についてみると、お昼頃でもあったのだがこの陽気だろう、たくさんの人出である。絵を画いている人がひぃ、ふぅみぃ・・20人近くもいてびっくりだ。
近所の園児であろう、団体で来てにぎやかに動き回っている。
私どもはいつものように右手の登り口から登って行く、こちらのコースは人がいないので助かる、のびのびと歩けるのである。
途中からまだ通行止めのテープが張ってあるが、以前よりも高いところにひいてあるのでくぐっていく人もいるのであろう、私どもも行ってみたが途中確かに手すりが落ちているところもあるのだが、別に通ることに不自由はしない。ここを直すには来年まで待たなければならないだろう。
お役所の仕事だから自己責任ということで暗黙しているのではないのかな。
頂上まで行ってみたが反対側からは結構な人が登っていた。
久々の八角堂である。
カレンダーを見ると10月2日に来ているがこの時は途中で引き返しているので、その前だと4月16日までたどらねばならない、半年以上の月日だね。
そこから降りて、金沢文庫駅から快速で戻ると30分もしないで蒲田につくのであるからなんという近さだ。
戻ってうどんをすすって戸塚の稽古に行ったのだが、今日も一日有意義に過ごしたねぇ。
帰るときりたんぽ鍋が待っており、テレビで演歌を聞きながら家族で食べる、平凡な一コマだがこれがありがたいのである。
今日も良い一日を過ごさせていただいた、感謝、感謝、である。
月別: 2012年11月
375、偕楽園
古(いにしえ)の人は民と偕(とも)に楽しむ、ゆえに能く楽しむなり 「孟子」
ここからきている名称なのだそうである。
日本三大名園としてよく知られた庭園で、私も30数年前に一度訪れたことがあったがほとんどが忘れている。
バックに千波湖を望んだが広いところだねぇ。
広すぎてどこから入っていいのやら途方に暮れていたがとりあえず、常盤神社の駐車場に車を止めて行ってみた。
この時期の後楽園はだだっ広いだけでたいしてみるほどでもなかった。おまけに犬は入場禁止なのでそとがわから眺めるだけで終わり、近くの常盤神社を詣でてその隣に東湖神社があるのにはびっくりした。
藤田東湖、幕末にあって「天下の藤田東湖先生」として知られ、西郷隆盛や橋本佐内などに大きな影響を与えた「知る人ぞ知る」、有名な先生である。
私が知っているのも詩吟に携わる関係からか、これを知った時は感動して偕楽園以上のものだった。
早速お参りして御朱印もいただいて来た甲斐があった。
常盤神社の中にある「義烈館」は、義公と呼ばれた徳川光圀公、烈公と呼ばれた徳川斉昭公を祀ったところであるが、中に入ると光圀公が編集されたとされる大日本史397巻、目録5巻の計402巻が展示されているのには大いなる感動を覚えたのである。
そのほか幕末三舟と呼ばれた、高橋泥舟、勝海舟、山岡鉄舟の三人の書が飾ってあるのにもびっくり、感動の連続であったね。
歴史に興味が無い人にはどうってことはないが、歴史が好きで詩吟に携わっている私には大きな土産である。
いやぁ、感動、感動の一日でありましたねぇ。
水戸といえば梅が有名で、この偕楽園の観梅も有名である。
お土産も梅にちなむものを買ってもどったが、今回も短い旅程ながらも中身がぎっしり詰まった大変有意義な行楽であった。
ワンコウもよいストレス発散になったであろうと勝手に推測をする。
良きかな一日、わが人生、である。
374、水戸の御老公
来春、相方の詩吟の会の吟行会が水戸に決まったそうで、その下見に行きたいということで私も付き合うことになり19日、水戸まで出かけてきた。
偕楽園、西山荘を訪ねたいということで、とりあえず西山荘のほうから行ってみることにした。
テレビでおなじみ「水戸黄門」光圀公が隠居して亡くなるまでの10年間を過ごされたのだという。
屋敷に入ると「よくおいでくださいました・・・」などと御老公が座って机に向かっている姿で自らの声で迎えて下された。
ここは私も「御尊顔を拝し奉り、恐悦至極に存じます・・ハハァッ」というところであろうか。
昔の屋敷だけあって質素で、冬は底冷えをしてこんなところではさぞかし大変だったと思うのであるが、その時代はこれが当たり前であったのだろうと思われる。
中には、歴代の黄門さま御一行が訪れた写真が展示されてあった。
時は、紅葉の季節でちょうど見ごろできれいであったねぇ、テレビでは水戸のご隠居はここから旅立つのであるが水戸の城下からすれば結構な距離でそう簡単には来れまい、と思うようなところで意外であった。
時代劇ファンの私としては一度は訪れてみたかったところである、ワンコウは入場できないので、入り口の事務所で待機して交代で行ってきたのである。
その隠居所の近くに助さんの住居跡があるのでそこも訪ねてみたが、ここは井戸跡が残っているのみであった。
時間があれば、もう少しゆっくり見たかったのだが、その後の予定もあるのでさらっと見てきたのであるが、いあやぁ、これでまた一つすっきりしたねぇ。
帰りには御用達のお土産を買い求めて、ここを後にした。
373、日本武道館
11月11日(日)、東京九段下の日本武道館において、第44回全国吟剣詩舞道大会が行われ、私たちの会も、50人で行われる合吟コンクールに出場した。
普段の稽古でも50人が一堂にそろったことはないのであるが、月一回から二回、そろって練習をしてきたのである。
当日は全国からバスを仕立ててきてあの広い駐車場もいっぱいになり、九州から北海道から大阪、岐阜ナンバーなど続々と集まり武道館が結構一杯になるのである。
そして朝早くからあちこちで本番前の稽古で大声が響き一種異様な光景だね。
今年は全国から参加した48チームで行われ、私たちの出番は45番、結構待った、出番少し前にもう一度練習をしてから本番に臨んだのだが、結果を言えば、入賞はしたが特別入賞には至らなかった。
3年前には私たちの会の女子部が優勝しているのである。今年も優勝から第三位まで女子のチームが占めたのだが男性はむずかしいのかねぇ。
結果的にはダメだったが、ここまでの道のりはなかなかのもので、これが最後と思っていたがたまにはいいのかとも思ったりもした。
コンクールも終わって、特別企画があるのだが、これが大変に手の込んだものでなかなか楽しませてくれた。
私もこの世界に踏み込んで38年、始めたころは弱冠21歳、そのころは髪の毛が肩まで伸びており、後ろで束ねて幕末の志士よろしく奮闘していた頃である。
空手とともに続けて、今は、この経験が、専門誌「月刊空手道」に連載として掲載させていただいている。
まさかこんなになろうとは夢にも思いもせなんだが、今になって役に立っているのだから続けてきたことがよかったのであろう。
今では、愛犬クウと散歩のときにたまに軽く口ずさんだりもするのだが、まさに、よきかなわが人生・・である。
372、東京ドーム
11月1日(木)、東京ドームにおいて「よい仕事おこし」フェアーがあり、東北の物産展などもあるので招待券を頂いていて昼間で時間もできたので出かけてきた。
地元の信用金庫が共催して、大田区のブースもたくさん見られた。B級グルメ大会で青森の「八戸せんべい汁」が、優勝したそうでそれを食べに行った。
ようやく探し当てて並んだが、残りはあと5人分です、と言われ危うくセーフ、イカの炭焼きも一緒に食べてみた、だしが出ていてどちらもおいしかったねぇ。
イベント場では、フラガールも来ていて踊っており、何年か前、映画で「フラガール」を見て感動したのを覚えていたが、生で見たのは初めてである。
東北も力強く復興している、うれしい気持ちである。
この東京ドームも何年か前に「マスターズ野球」できて以来ではないかな、東京ドームといえば、読売ジャイアンツのホームグランドで、現在日ハムと日本シリーズを繰り広げているが、11月3日にはここで、第6戦を行うのであるなぁ、一瞬考えたよ。
たまにはこんなところに出かけてみるのも気分転換になって面白かったね。
水道橋へ行く途中、東京駅で降りて改装なった丸の内側に降りてみた。
平日の午前というのに結構な人出で、これが夜のイルミネーション点灯ともなれば大変な人出だろうね。
そういえば、日曜日の夕方、幕張本郷の稽古から総武線で戻るときに東京どまりの電車の時は乗り換えをするために構内を歩くのだが、以前にもまして人が増えたような感じを受けていたが、おそらくこれの影響もあるのだろう、改めて納得したね。
そんなこんなで何気ない、秋の日中であった。