287、池上梅園

まだ、梅も咲いていないのに、梅見物の話ばかりで恐縮だが、お日柄もよい27日、近くの池上梅園へ行ってきた。

大田区の花として「梅」となっているのだが、確かに私が住んでいる京急蒲田駅の隣に「梅屋敷」という駅があり、昔は大きな梅屋敷があってたくさんの人が訪れて、観梅を楽しんだそうである。
 何のことはない、私と犬の散歩コースで毎日のように通っている所である。今は京急線高架工事の為随分縮小されているが、国道を挟んだ大田区体育館工事が完成すれば、またこのあたりは憩いの場となるに違いない。
ー閑話休題ー
梅園の梅はまだまだという感じで、二分、三分咲きといったところか・・・まだ人も少なくゆっくりと散策できた。少し登ると見晴台らしきものもあり、昔はそれは眺めのよいことであったと思われる。

 下には茶室や、和室などもあって落ち着いた感じである、格安の値段で貸し出ししてるという。
 「梅一輪 一輪づつの 暖かさ 」  嵐雪
という俳句もあったが、まだまだそこまでにいくにはちと早いみたいである、あと二週間後くらいがいいのかな、などと素人考えで思ったりしもした。

 駅から歩いていく途中、年輩の人がお食事にでも寄ってください、といってチラシをもらいそのままに見て終ったのだが、帰り、どこかで食事をしようということになって、このあたりではそば屋くらいしかないなぁーなんて思いながら、先ほどのチラシを見て、創作和食のおいしい店とある、いってみるかということで地図も書いてあったのでいってみた。
 旬味庵「ゴンジャ」とある、ちょっと入りにくい感じもしたが入ってみて、ランチを注文した。
そしたらいろいろな品数があって、結構これがうまいんだな、「ここ、当りだね」と話し合いながら食べたが、食後に飲み物がついて、確かにお徳であった。ほかに三組ほどきたが、チラシをもらってきたのだといっていた。
そうでないと、わかりにくいこの場所には中々これないと思ったが、このチラシに大いなるヒントを頂いた。 
 私どもの空手も以外と知らない人が多くて通り過ぎているのかもしれない。
ここは、存在を知ってもらう為にもチラシ配りはやってみる必要があると思ったね。
 確かに今まで、ポスティングや町会板に張ってもらったりもしたが、チラシ配りにも大いなる効果を感じた。
 ここ何年も続く不景気で、どこの会の先生でも会員が少なくなった、一時期の半分になりましたよ・・などと聞いたり、話したりもしていたが、嘆いてばかりもいられない。
 幸いにも今年は新教室開設が決まって幸先のよいスタートをきり、追い風が吹いてきたように感じる、一丁やってみようかね。
今年は一月からいいことがあるぞ!頑張ろう!

286、北鎌倉

相方が休みの24日、午前中で用事を済ませたとの事で、急に鎌倉に梅見に行こうと言い出した。
私は夜は空手があるし時間がない、というと、東慶寺へ行って梅を見てくるだけだという、鎌倉というと一日がかりという印象があったが、行ってみると、1時間で着いた。
 北鎌倉駅で降りて、建長寺まで歩いた、近くの円覚寺や、明月院までは行くのだが、建長寺まで足を伸ばすことはめったにない。
行くと鎌倉五山第一の寺というだけあって大きなお寺である。荘厳な長めに歩くだけでも心が洗われるみたいである。
ゆっくりの時間もないので、戻って東慶寺へ入ろうとすると、終了だという、時間はまだ4時前、5時に閉門ではと尋ねると今は冬時間で4時閉門なのだが、本堂に行くぐらいなら急いで入ってください、といわれあわてて行ってきた。
ここの梅見物に来たのだが、まだ早く、つぼみがほとんどであった。
 近くに蝋梅があって写真に納まってしたりして、駅前に歴史を感じさせるような中華店があり、ラーメンを食べてから戻ってきたが、本当に早く行ってこれるものだね、戻ってプウチャの散歩をする時間もあって、それから空手に行ったのだが、中身ビッシリの半日を過ごせた。
鎌倉というと特別な思いがあり、北鎌倉は山の内という地名で、ここの住人の上杉氏が越後まで行って長尾家に庇護されて長尾景虎が養子となって上杉を名乗り、後の上杉謙信となるという歴史があるのである。
 いつの日かこの鎌倉に於いて空手教室を開くのが、夢でもあるのである。

285、金沢八景

1月20日、世間では大寒、一番寒い日とされている。
 昨年の大寒は19度もあり春の装いで出かけた、などと日記には書いてあったが、今年は平年並みの気温であった。
ただ、風がなかったので体感気温は暖かく感じたね。
 相方の足の調子も随分とよくなってきており、プウチャも最近は遠出をしていないのでのんびりと称名寺へ行こうかとなり出かけてきた。
 昼前に出かけたので、着いたころはお日柄もよく、気持ちよく散策できた。
平日の昼間ということや私たちが選んだコースは人と出会うことが少ないのでのびのびとゆっくりと楽しめるのである。
 ここは鎌倉時代の執権北条氏の分家であり、金沢文庫駅の由来の、金沢文庫があってたくさんの書物も置かれている所でもある。
 また、この称名寺の鐘は、金沢八景の一つに数えられており、昔からの名所でもあるのだそうである。
この称名寺の隣に金沢文庫があって一度だけ入ってみたことがあった、すぐ脇からハイキングコースもあってそこからも登ったこともあった。
 頂上に行くと、八角堂があって、そこで持参した弁当を食べたりするのであるが、眺めがよくて、横須賀や横浜のランドマークタワーや今日はあいにくであったが、富士山も見えるのである。
 どういうわけか今日は人もいないしで、一吟自ずからでてしまった。人がいると迷惑千万だが、一人で声を出す分にはかまわない、先日の短歌、「田子の浦ゆ 打ち出でて見れば 真白にそ 富士の高嶺に 雪は降りける」いいねぇー、調子に乗って「金州城」「川中島」「城山」次々と出てくる・・・?まだ、「温故知新」では紹介していないが、詩吟といえばもっともポピュラーな詩ではないか・・・ということはそのうちに紹介できるかな・・・吟じ終わりて清風起こる、一吟天地の心・・まさにその通りであった。
 プウチャも満足して帰り、戻ったらプウチャのシャンプーである、どろどろの水が流れる中、きれいさっぱりとしてあげて愛犬も満足。
良寛さんの「余生」という詩があるが、ちょっと浸ったような一日でしたな。
                            おだやかな22日である

284、靖国神社

元旦には近所の八幡様に初詣で出かけたが、靖国神社へも3日に出かけてきた。
 さすがに多くの参列者である、先に遊就館のほうへ行って、昨年末の放送「坂の上の雲」で日露戦争で戦死した広瀬武夫の写真を見てきた。(神社の入り口の灯篭にはそのときの様子がレリーフとして飾ってある。)
 入ると、ゼロ戦が飾ってある、昨年読んだ「永遠のゼロ」をお見出し、よくこんな飛行機で何百キロも飛んで戦ったなぁーと改めて思うと同時にせつなくもなった。
 正月から来ると気が重くもなるが、こんな平和な正月を迎えられるのも多くの犠牲の上に成り立っているということも忘れてはならないし、いつも感謝の気持ちを忘れてはならないと思っている。
 昨年は詩吟の参加者とともに奥の本殿にお参りができて良い思いでであった。今年は外からのお参りだが気持ちに変わりはない。
 
 何かとかまびすしい靖国だが、ここは、太平洋戦争の戦死者だけでなく、明治維新からの犠牲者も祀られていて、日本の礎を築いた人達が眠っている。
 純粋に感謝の気持ちでお参りをしたらいいのにといつも思っている。
本宮三香という学者が「九段の桜」という詩を残している。
近いうちにご紹介できたら・・と考えている。