334、2011年回想

2011年、こんなに長い一年を感じたのは記憶にないほどである。
毎年、一年一年はあっという間に過ぎていくようで年月の過ぎゆくのが早いと思っていたが、今年は本当に長い一年であった。
 もちろん、3月11日の大震災によって、予定が大きく狂わされた、いや、予定だけならまだいい、人生そのものが狂わされた人がたくさんおられることだろう。
 震災から10日後にはジュニア大会が決行され、開催に悩み、大会当日は無事に終わることを祈って、その日だけでも長かった。
 その後、空手の稽古では停電や節電の影響で場所が確保できずにあちこち駆け回り、あげくの果てには公園で稽古したこともあった。
 満足な稽古もできないままに、千葉県大会、神奈川県大会を迎えるなど決して納得のいく年ではなかった。
 そこへもって私事ではあるが、5月16日には、愛犬プウチャが突然の病気で亡くなって正直・・心が折れた。
ペットの死亡がこんなに影響を与えるなんて少し前の私なら考えられないことだった・・しかし、一緒に暮らすようになると家族なんだねぇー、今でも思い出すと切なくなってくる。
 あまりの寂しさに新しいペットを求めたが、同じ犬種で名前は今度は私がつけてクウである。
生後3か月くらい3キロほどであったが、今では生後10ヶ月、9キロ三倍ほどになった。
 いたずら好きで、あちこち追い回してはずいぶんと気が紛れて助かっている。
しかし、最近は、駆ける姿や歩く後ろ姿が在りし日のプウチャに似てきたようで・・思い出すことも多いねぇ。
 
 そんな中で、空手では、新しい団体も加盟してきて組織的にもしっかりしてきた。
特に千龍会の加入は代表の千葉氏が新聞社の編集部の人間でもあり、全国大会では一部上場会社の協賛をお願いしてもらった。
 数ある空手の大会でも一部上場企業の協賛など数えるほどしかないと思う、ぐ~んと箔がついた感じである。
日防連の大会は、内閣府認証NPO法人主催で、一部上場企業協賛、月間「空手道」後援・・と大会自体は大変立派な大会である。
内容も、年々進化しており今では防具付空手大会においても一角を占めるほどになったと思う。
 来年は、気持ちも切り替えて、更に進化を遂げる日防連にしてまいりたいと思っています。
今年も先生方皆様には大変お世話になりました。
来年も、よろしくお願いいたします。

333、カルナバル

舌をかみそうな名前で何度聞いても覚えられない。
私の知人でもあり、会員の福田君たちの友人でもある川先という人が一年前にオープンした店である。
芝5丁目2-6にあり、JR田町駅から歩いて7分のところだそうだ。
 
 上杉会員で、現在は療養中の福田君と蒲田の小坂君とで、忘年会をやろうということで、ここに決定した。
久々に見る福田君は体重も増えたそうで、体調は良いとのことで何よりである。彼らがちょくちょく行っているこの店に私も一度は行ってみたいと思っていてなかなかチャンスがなかったが、今回ようやくその機会に恵まれた。
 店内はおしゃれでなかなかいいではないか、外からも見えるようにガラス張りなっており、おしゃれである。
マスターの川先さんは、彼らのトレーニング仲間で、仕事は昔はあちこちの店でコックの修業をして、昨年この場所にフレンチとベトナム料理などをミックスさせたような店をオープンしたそうである。
 この夜も、田町スポーツセンターでトレーニングを終えた藤重さんが仲間とともにやってきた、急遽、合体である。
何品か頼んだがメニューが覚えられないような名前である。
 ビールの後にお酒を出されロックで飲んだが、写真は撮ったが名前を忘れた。
福田君も療養の成果が表れているようで体調も良くなってきているのだそうで何よりである、その後蒲田から小坂君も来て合流したが、彼もここのマスターと付き合いがあるのだそうだ。
 今夜は田町のセンターがトレーニング日で、後からグリーンクラブの藤重さんも友達を連れてきたが、その彼もキックをやっており今でもリングに上がるそうである・・何かユニークな集まりだねぇ。
 空手を通じていろんな人と知り合いになり、友達の輪が増えていく、空手って本当に素晴らしいものだ。

332、12月14日

時は元禄15年12月14日、江戸の夜風を震わせて響くは山鹿流の陣太鼓ひと打ち二打ち三流れ…
 とおなじみのこの日は赤穂浪士の討ち入りの日で、高輪の泉岳寺では毎年この日は行事が行われる。
今年も、クウの散歩を早めに済ませ、7時ころに家を出て泉岳寺までお参りに行って8時過ぎには戻ってきたが、
京急蒲田に住んでからは、京急線で直接行けるので大変便利で簡単に行けるようになった。
 泉岳寺に着いてみると当然早過ぎて露天商のみなさんは準備でおおわらわ、小雨の中ご苦労様である。
お参りをして、社務所で御朱印をもらおうと行くとまだ窓口に鍵がかかっており呼び出して記載してもらったが今年は私が一番のりだな、若い坊さんが一生懸命に記載してくれたが早くから気の毒なような・・昨年と違って文字が新人の記入であるが、慣れない人が一生懸命に書いてくれたようでこれはこれでありがたい。
 
毎年この時期は、忠臣蔵である、それに合わせるかのようにテレビや舞台などでも上演されるが、私もその関係の場所には行っている。
 両国の吉良邸跡でも行事が行われる、ちと淋しい人出ではあるが・・。
南部坂雪の別れとなった場所へも行ってみた、道中この坂を歩きながら大石内蔵助の胸中を思いながら歩いたものだった。
 しかし、事の発端は,殿中松の廊下の刃傷沙汰が始まりなのだな・・あの時浅野内匠頭が切り掛からなかったらこのような大事件には至らなかった。
 この浅野家には癪持ちの系統でもあったらしい、辛抱さえすれば・・・
何事にも、たら、れば・・はつきものだが・・これが歴史である。
小雨も午前中には上がって行事がうまくいったであろう、この日は行列行進なども予定されていたそうで、何よりであった。
 
 さぁ、これが終わるといよいよ年末に向かって一直線だな。
今年も正月に向けてまっしぐら…である。
 

331・大楠山

大会後の解放感もあり、好天に恵まれた12月12日、ちょっと出かけようかということになり、クウもいけるところというと限定され、何年かぶりだが大楠山に出かけようということになった。
 さっそく車を借りてきてクウも同乗していざ横横道路へ・・平日ということもあってスムースに行けた。クウにとっては初めてで不安なのか、私どもからそう遠くまではいかない。ここがプウチャとは違う、プウチャは見えないところまで行き呼んでもなかなか来なかった。これはこれでいいか・・
 段差のあるところを歩いたがこんなにあったのか・・意外と距離があるものだな・・などと木漏れ日の中を歩きながら思いながら、これも何年かぶりなので忘れてしまったのだということであろう。
 ようやく山頂に行くと360度の眺めが素晴らしい、ここは標高は242メートルなのだそうだ。
眼前に雄大な富士が見え、遠くは筑波山、スカイツリーまでもが見えるそうである。
 年配の人が何人か来ており、元旦の日の出には百人を超す人がご来光を拝むのだそうである。山頂に売店がありそこのご主人に聞いた話だが・・
 で、しばらく休んできた道をゆっくりともどり、帰りは近くの道路端に野菜売りますの看板を見て、地元の野菜をしこたま買い込んだ。
 三浦大根や、地元産の野菜は新鮮に見えさぞかしおいしいことだろう。
近くに、広場に設置されたレストランがあり、屋外の空気を吸いながらシラスどんぶりを注文した。
 どっさりとシラスが乗っかっておりおいしくいただいたね。
そして夕方には戻れるよう後にしたのだが、横浜の高速道路では事故渋滞にあい、簡単な距離を30分もかかったね。
 戻ると程よい疲れと満喫感で良い一日を過ごさせてもらった。
これでこれからの年末、気分新たに迎えることができるというようなものである。

330、バーベキュー

全国大会も無事に終わって、一息ついた次の日は日曜日で幕張本郷の稽古であるが、今年は早めに納会を済ませ、郊外でバーベキューをやろうということで計画をしていたそうである。
私は話は聞いていたが出席するだけなので、何も準備はしなかった。
 しかし、天候だけは気になっていて、一昨日のように気温が低いと風邪をひく原因になるな、昨日みたいに雨が降ると中止だな、などと心配はしていた。
 昨日の大会でも朝の雨で準備が遅れるなどしたが、ついでにバーベキューもどうなのかな?などと心配したものだった。
 ところが今朝がた目が覚めてみると澄み切った空が広がり行楽日和、大変うれしく感じたね。
これでは問い合わせるまでもない、決行だな。
 昼に津田沼に到着すると迎えに来てもらって、近くのバーベキューのできる公園へ連れて行ってもらい、すでに準備OK,さっそく乾杯から始まった。
 いやぁ、よく人がいるわ、中学生も来ていてこりゃぁ相当な肉が必要だろうなどと推測したりして・・家庭から皆さんがたくさん持ち寄っておいしいおにぎりや、ホタテ、シシャモなど私には経験のないバーベキューである。
しまいには、マシュマロをあぶって食べるなど、経験したことのない食べ方をしたりしてびっくりである。
 途中でビンゴゲームを挟んで改めて盛り上がり、最後には山本さんが、何年か前の合宿以来の沖縄の三線を聞いたりしてお開きとなった。
 大会が盛会のうちに終わった翌日で、スタッフのみなさんは連日でさぞやお疲れだったでしょう。
買い出しから、セットの準備、終わればその後片付け、とてもじゃないが皆さんの温かいご協力が無ければできることではありません。
 当会は人間味のあふれた素晴らしい団体だとしみじみ思います。
この素晴らしい縁に、改めて感謝!