7月23日(月)、関東地方も久々に晴れ夏模様になった。以前からこの日は熱海へ日帰り温泉に行こうということになっていたので、姪っ子との3人で横浜駅から快速アクティーに乗って向かった。
夏休みのせいか電車もそれなりの混雑であった。
熱海へ着くとさすが観光地、何か旅行に来た、という気分になる。
以前梅祭りなどで来たことも何回かあるが駅前の人でもずいぶん多く感じる、そういえば震災後に来た時は海の間近ということもあって少なかったのだった。
さっそく下調べをしていたホテルへ向かったのはよかったがついてみると女性は大丈夫だが男性の入浴は午後3時からだという。これでは私一人が置いてけぼりになるのでキャンセルして、相方たちが詩吟の研修で利用しているという海岸近くのホテル「大野屋」へ向かった。漫画にでも出てくるローマ風呂があって有名だとかで楽しみに行ったが、フロントで「経営が替わって現在はやっていません」などと言われがっくり・・それだったら早く看板を外せよ!と言いたかったが、是非もない、次を探してとぼとぼと歩きだした。
途中おなかもすいてきたし、寿司屋を見つけたので、入ってみるとお客は誰もいないが店員がくつろいでいた。
熱海といえば海鮮物が有名だ、さっそく一押しだという海鮮どんぶりや寿司を頼んで熱海を堪能した。
で、店員さんに日帰り温泉をやっているところを知らないか?と聞くと建物は古いが、地元の人も通う源泉かけ流しの歴史のある「福島屋旅館」を紹介してくれ、地図までを書いてくれた。
ありがたく礼を言ってそう遠くはない、「福島屋旅館」に行ってみた。行く途中さすが熱海だね、歴史を感じさせる建物があったので、わけもわからないが一枚写真に収めた、いいねぇ歴史の重みを感じるねぇ。
で、着いたところが「福島屋旅館」ここも普段では来ないであろうと思うような昭和の初期に作られたような歴史を感じさせる温泉で、入浴料も安く地元の人が銭湯感覚で入ってくるようなタイムスリップをしたかのような温泉であった。
一緒に入っていた常連の人によると、昔はちょん髷を付けていいる人が来ていたという、なぬ?・・・それはそれは歴史の歴史の深さを感じさせる温泉であった。
確かに、皆さんが上がって一人湯船につかっていると、片田舎のひなびた湯治温泉に来ているかのような雰囲気を感じさせられたのである。
何回か熱海の温泉に入っているがこういうところは初めてで、今回は怪我の功名といおうか、思わないところで思わない経験をさせられて、これはこれでよい思い出となったのではないだろうか。
その帰り熱海駅へ歩いて向かう途中、それなりの新しい雰囲気のある喫茶店によって現実的なかき氷などを注文して風呂上がりのゆったりとした雰囲気になれた。
それから駅前の商店街の土産物屋などをのぞきながら土産を買い求めて電車に揺られて帰路に就いたが、わずか半日あまりの出来事だったが何か一泊の旅行に行ってきたかのような気持ちに錯覚させられるような素敵な一日であった。
月別: 2012年7月
359、東麻布
六本木教室からこの春二人が昇段審査で初段となり、また新しい会員の歓迎も兼ねてお祝いをしようということで東麻布まで出かけてきた。
地下鉄赤羽駅からすぐ近くで、早めについたので飯倉公園を散策してみた。町名由来板があり興味深く読んでみた。
このあたりも結構由緒があって私は以前より興味を持っており、こういうところを散策していろんなことを知るのが好きだなぁ。
せっかくの説明も随分汚くなっており周りの植物も伸び放題で見えにくくなっている、もったいないことである。
飯倉公園の入り口には、バイクは入れないが車いすは通れるように柵が作ってある、珍しい、こういうのは初めて見たのでとりあえず撮ってみた。
今は飯倉片町の交差点にある麻布小学校で空手を教えているが、最初の頃はこの近くの飯倉福祉会館で幼児を教えていたこともあった。
飯倉で教えて、麻布小学校で教えてから馬込に行き、一日に三か所、一人で教えていたのである。
あれから10年にもならないが、あのころは気力・体力ともにあったのだろうねぇ。
麻布あたりは昔から歴史的にも色々と見どころがあるので好きなところでもある。
会場となった、「ファンゴーバンガロイド」飯倉公園の目の前にあり、すぐに分かった。
ここで8人ほどで個室を使ってゆっくりと食べながら話ができた。
お祝いの二人は、先日の神奈川県大会に形試合に出場して刺激を受け、暮れの全国大会に再度挑戦するという、うれしいねぇー、毎日忙しい合間を縫って空手に通いながら試合に出ようなどとはおいそれとできることではないが目標を持つことによってまた生活に張りが出てくるものだろう。
隣で食事をしていた人も時間の都合がつけば始めたいようなことを言っていた。
親子で始めて、そしてコミュケーションが広がればこんなうれしいことはない。
ほかの人からも、家庭での空手の会話の内容など知らされるなど、私の勉強にもなった。
有意義な午後のひと時であった。
358、寒川神社
相模国一宮・とパンフレットには記載されている。説明では関八州総鎮護の神として、1500年前雄略天皇の時代に奉幣のことが記されて醍醐天皇の代には延喜式では、相模の国唯一の大社と定められ・・・云々、とある。
雄略天皇・5世紀後半の天皇だそうで、私の頭の中の日本史は645年の大化の改新からなので、もう、相当古い・・としか言いようがない。
このたび細君の病気の平癒と健康祈願を兼ねて茅ケ崎で乗り換えて相模線、宮山駅で降りて徒歩10分・寒川神社へと行って来た、なんでここなのか?以前にもここにきているそうなのである。
祈祷していただくのだが私はついでなので何を祈祷されますか?と聞かれ、とりあえず一般的な八方除でとお願いした。
私は若いころから宮本武蔵の影響で「神仏は尊し、されど神仏を頼まず」なんてかぶれてきていたが、最近はごくごく自然に、道を歩いていれば野の仏にも自然と手を合わせるようになっている。
神様に祈って健康になればそれもいいか、などと別段気にもしなくなった。
お札を見てびっくり、すごいね、寒川大明神とある、その札をもらって帰り、さっそく神棚に飾ったが、近所の蒲田大明神の札があるのだが仲良くしてくれるのだろうか、妙なところで心配をしたりして・・
細君もおかげさまで元気になり毎日仕事をしているが、まだ、疲れやすいのが気になるくらいである。
それでもこの参拝で気が晴れたのか元気に戻ってきた。
お守りや、御神土,御神酒をもらってきた。
拝んできたりすると心が晴れるよな、そういう一日であった。
帰りの途中川を超えるのだが、川をのぞいてみるとカモの親子が群れを作って泳いでいる、可愛いものである・・・私も変わった、このような光景をほほえましく見るようになったのである。
午後から行ったので帰りを心配したが、夕方5時には戻ってきた、意外と近いものだね。
御朱印帳にも記載が増える、しかしこれはスタンプラリーではない。
行ってお参りをしてきたあかしなのである。
357、コッカーカット
7月5日(木)、以前より予約していた、クウのカットに行ってきた。
コッカーカットというのがあるらしくどんなものになるかとりあえず頼んできた。
11時に預けて引き取りに行ったのが3時半過ぎ、4時間ぐらいの作業だろう。
家でもやったことがあったがとにかく大変なのである、とにかくじっとしていないでそちらのほうが大変なのだが、さすが専門店きれいに仕上げてくれた、これでクウもさっぱりしたことだろう。
以前と比べると歴然である。しかし、これはこれでかわいいものだね。
どうしても前のプウチャと比べるのだが、プウはたれ目で愛嬌があって何より賢かった、いろんなところで物わかりがよくておとなしかったがその分不憫でならなかった、もう少し本能的にわがままでもよかったかな、などと思っている。
その点今のクウは、最低限のしつけだけで好きなようにさせている。寝ている私たちの上でも平気で乗り越えていくし、枕も共有で好き勝手にしている。しかし、同じ枕に頭を並べて寝るのだからそれはそれで可愛いものがある。
これで今年の夏は過ごせるであろう。
サマーカットをしたクウである。
356、大田区総合体育館
6月30日(土)、大田区総合体育館のオープンセレモニーが行われ、誰でも入れたので近所でもあるし出かけてきた。
区民体育館で4000人も収容できるところは東京でも少ないらしい。大田区体育館といえば、プロレスの興行でよく耳にして誰もが聞いたことのあってなじみのある体育館であろう。
私も日防連の全国大会を行う前は、ここの分館で何回も上杉会大会を開いてお世話になったなじみのある体育館である。
改築されるので、浅草のスポーツセンターで開催されるようになって久しいのだが、また、ここ大田区体育館に戻って行いたいものだと考えている。
ただ、新築でもあるし、なかなか簡単には取れないとは思ってはいるが・・。今年秋の審判講習会は何とか取れないものか、これからあたってみる予定ではあるが、どうなることやら。
ここで行えるようになったら私は大変便利だな、何しろ毎日、クウの散歩コースでもあるくらい近いのだから。
入口の広場ではいろんな出店が開かれているし、スタンプラリーのゴール地点にもなっているらしい。
私のマンションの入り口もなっていて回るといろんな景品がもらえそうで、さっそく甘納豆をもらって、ちょいと一回りしてみようか・・とついいやしい根性が出てしまった。
東邦大学では昔の資料などがあり、今NHKテレビ「梅ちゃん先生」の舞台にもなっている病院である。合計8か所を回り歩いたね・・戻ってその夜細君に見せてあげると「あんたもひまねぇー」・・・・無べなるかな、返す言葉もない。
ま、結構な運動になったのでいいではないか、何しろこんなことは初めてのことでありこれはこれでいい記念にはなったのである。
今や話題の「梅ちゃん先生」、テレビで放送している割にはそれに見合った場所もないので蒲田に来てもそれらしき記念の地はない。
モデルの医者の街医院は蒲田駅西口にはあるが、おそらく今もあると思うが、確かではない。
キャバレーや映画館などこの辺にあったというだけで現存しているわけではなく、蒲田も昔の面影はほとんどないのである。ただオープニングに出てくる川は呑川で間違いないとは思っているが、それとてなんともない只の川である。
それでも今は話題の蒲田である。これからも活気づいていくことでしょう。
蒲田の住人としてもうれしいのである。