437、第45回全国吟剣詩舞道大会イン郡山

2月23日(日)、福島県郡山市郡山ユラックス熱海にて行われる「第45回全国吟剣詩舞道大会」に出場するため、22日の朝、川崎駅前に集合してバスで出かけた。この大会は合吟コンクールといって、一チーム35人によって行われる詩吟大会である。昨年までは一チーム50人によって行われたいたが規模が大きすぎて集まりも悪くなってきたので35人に縮小したのだそうである。

 大会全盛期には、日本武道館において120チームが全国から集まり、それはそれは大イベントとして行われ優勝チームは、毎年正月二日朝のNHKにて全国放送されていたのだそうである。
 私も以前所属していた団体当時から何回か出場したことはあるが、そのチームは優勝経験もある中で私が参加した時は6位入賞が最高であった。

(写真は、コンクール後の剣詩舞である。)
 今の宗家になってから、女子は優勝を果たし今度は男子チームということになった時、私も何度か駆り出されて優勝だ優勝だと騒ぐわりには、昨年の14位入賞がやっとのことであった。
 今年も春から何度か練習を重ね今年こそは…と臨んだのだが見事に空振り、結果は出場チーム37チームのうち入賞チーム25位にも入れなくて惨敗・・・見事なまでの惨敗なのである。
 今年は37チームのうち出番が3番目で終わった時、少しの乱れはあったがそれでもそこそこはいくだろうと期待していたのだが、入賞もできないなんて何の言い訳もできない、見事な惨敗である。
 私個人であれば問題はないのだが所属チームを名乗るのもはばかれるほどの結果であった。
帰りのバスの中では、祝勝会の予定が急きょ反省会と変わり盛り上がりに欠けた帰途だったねぇ。
 しかし、何事も負けることも大事なことだと思っている。
終わったことをどういっても仕方がない、次に気持ちを切り替えて前進をしていかなければならない。
 かの徳川家康は武田信玄に三方が原の戦いでさんざんに負けて命からがら逃げ帰り、その時の様子を描いて今後の自分の戒めとしたのだという。
 現代の私たちは命を懸けて行うわけではないのでそれまでいうと大げさなのかもしれないが、反省の上に進歩があるのだろう。
 空手も人生もしかり・・現在にその結果は出ていなくても前向きに生きるのが大事なことでろうね。
 そういうことだが、初めての郡山は雪がちらほら、寒かったねぇ、
泊まった旅館では練習のために場所を提供してくれたりと親切な対応をいただいた。
会場もなかなかのもので、結果が良ければ万々歳となっただろうが、皆さんと楽しく過ごせたこともこれも想い出となるのであろう。
 また、これだけの人を集めて行う大会では運営、進行など、私にとってはたくさんの勉強になるのである。
このような経験が今後の空手に対しても生かせる日が来るだろうということを思って帰ってきたのである。

436・延岡花物語「この花ウォーク」

2月14,15,16日に開催される延岡のイベント「花物語」のために帰郷した。
2月14日は、東京に大雪が降ってきて、まず羽田から飛行機が飛ぶのかどうかという不安の中でのスタートである。何とか私はお昼の出発で予定より遅れたが難を逃れたようである。
 宮崎へ着いたら今度は電車が雪の影響で30分も遅れ、延岡で行われる「歓迎会」には実家に戻って荷物を置くことなく直接駆けつけて何とか間に合ったという波乱の幕開けであった。
 翌日の開会式では、記念のモニュメントの除幕式や、テープカットではその席に「観光大使」として駆り出されたがなかなかできない経験である。
出席していた延岡市長と記念に1枚撮らせていただいた。

 そのあとは、菜の花ロードを歩いてみたり物産展をのぞいたりしながら、
樹齢230年の梅を鑑賞したりと楽しんだ。ここのお寺には、徳川家康のひ孫にあたる日向御前の墓があり、
お参りをした。その奥には、松尾城跡があり、一度は行ってみたいと思っていたがようやくそのチャンスが巡ってきた。さすが城跡というだけあって本丸まで行くのに結構な距離と時間を要した。そのあとの予定が大いに狂ったのだが仕方がない、でも、それだけのことはあったのかな。
 先ほどの堤防には菜の花とともに河津桜が植樹されているのだがはまだちょっと早かった感じである。市内の今山神社の神輿が練り歩くなどお祭りらしい雰囲気がばっちりである。
 そのあとに、母親が入所しているデイケアを訪問してしばし歓談するなどしてから、延岡名物チキン南蛮の店「おぐら」へ行って食味をした。

 前回の帰郷ではもう一つの店「なおちゃん」に行ったので、味付けが違うということなのでこちらも行かなければならないと思っていたのである。
 私も延岡生まれの延岡育ちなのだが、18年間いただけなので知らないところがたくさんあり、観光大使としてまだまだ勉強しなければいけない。
 来年は東京からツアーを募って出かける予定でその準備にも入るところである。空手と並行していろんなこともやって行かなければならないが、名刺には空手連盟の理事長が記入されており、そちらの宣伝もしっかりとしているつもりである。
 若いころからいろんなことをやってきたのだがそれらがみんな今になって役に立っており、これからもいろんなことをやることによって空手は言うに及ばず人生に役に立っていくことだろう。
 「情けは人の為ならず、巡りめぐって我が身にかえる」なのである。
この意味を時々勘違いする人がいるが、人のために行うことがやがては自分に返ってくるということなのである。もちろん見返りを期待して行うのではないが、お天道様は見てくれているのであろう、それでいいと思っている。
 今後もそういう気持ちで頑張って行こうかねぇ。今回は甥っ子達が案内してくれた。

435、新年会

東京では、27センチもの降雪を記録して45年ぶりの大雪が降った2月8日でああったが、翌日、9日(日)、東京蒲田駅西口において、連盟の新年会を行った。
 交通事情で来れなくなる人もさっそくいて、近隣の人達で集まって行った。

乾杯の音頭は、育心会館の渡邉先生である、先月の全国大会マスターズ2部での優勝者で今ノリに乗っている。
 長老の吉澤先生にはずいぶんとエールをいただいたが、確かに今やらなければ時が過ぎてしまうだろう、今年もまた新たな気持ちで精進しようと思った次第である。
 当会の会員も何名か出席して先生方と話し込んだが、ある先生からは、皆さん素晴らしい人ばかりですねぇ、と過分な言葉を頂戴した。



 会員を見ればその先生もわかるということで、巷で聞いていた私の評判とは随分違うようなことを言っていたが、私は原則、事に及んでも弁明を求められない限りはしないできたので、誤解も生まれていることだと思う。
 また、一つには有名税というのもあるであろう、雑誌にコラム連載も5年を迎えると少しは知られ、それについてあれこれと言われるのである。
 私に問い合わせると丁寧に説明をするのだが大半は第3者の意見を聞いてそのまま判断するのである。
 幕末の木戸孝允(桂小五郎)は、「世の中の人はよしなといわば言え 我がなすことは 天のみぞ知る」と歌い、また、坂本竜馬の和歌にも「世の中の 人は何ともいわば言え 我が成すことは我のみぞ知る」と似たようなことを言っている。
 リーダーというものは人の意見に耳を貸さないといけないが、そればかりにとらわれていてはあっちフラフラこっちフラフラとなるのである。
 やはり信念を貫き通す、ということが大事なのではないのかねぇ。
私の好きな言葉に
「断じてあえて行えば 鬼神もこれを避く」というのがあるが・・しかしなんだね、こういう気持ちで行うと軋轢も生じるものである。
もう少し、私の自重が望まれるところであろうか・・・ま、飲んだ勢いでそんな意見も交わしたように思える。
今年も新しいメンバーも加わって楽しい中にも胸襟を開いた議論を交わしてなかなか楽しい時間であった。
 時間は尽きないが遠方よりお出で願った先生もいる。

一応中締めということで吉澤先生にお開きの言葉をいただいたが、思えばつくづく楽しい新年会であった。
 今年の日防連も1歩前進と行きそうである。

434、居酒屋あぶさん

延岡出身のマスターが経営しているというので、一度は顔を出さなければ、と思っていたがようやくこの日(2月4日)の訪問となった。場所は、地下鉄「四谷3丁目」下車、「四谷三丁目」交差点近く、コンビニ横にこの看板が見える
 マスターと話をすると延岡工業高校野球部の出身で若いころ草野球チームで、この作品の作家と同じチームにいた縁でお店を出すときに公認応援してもらったのだという、その当時、たけし軍団との試合などもやっていたそうで、この夜も軍団の一人がお客としてきていたな。
 入口から野球一色で、有名選手の写真やユニフォームやバットなど所狭しと置いてある。
これでは延岡の観光ポスターなど張るところもないわなぁ、仕方ない。
 しばらくして延岡の年配のグループがお客としてやってきたので紹介してもらい、店に置く代わりにパンフレットなどを持ち帰ってもらった。これで良し、としよう。
 
 そういえばこの「あぶさん」という漫画は、ビッグコミックオリジナルで掲載されて、今日(2月5日)発売が最終となるのだそうだ。
 連載41年というから、私も床屋や飲み屋なんかで見かけて内容はともかく話だけは知っている。41年も連載なんて聞いたことがないがそれだけ人気漫画なんだね、とりわけ野球ファンにはたまらないだろう。
 そんなファンが詰めかけていつも満席なんだそうであるが、この日は氷雨模様の寒い夜で入れたというわけだ、普段は予約を入れるのがおすすめなんだそうである。
 この夜は細君も同伴した。若いころこの近くの美容室で働いており青春の思い出だそうである、約束より早めに来てあちこち回ったようで、昔の面影はほとんどない、というようなことを言っていた。
 そりゃぁそうだ10年ひと昔というから、今は昔の話である。そうでなくても東京の中心地区 変わろうというものである。
 今夜は、氷雨模様の寒い夜、戸塚教室から直行で四谷まできたが、故郷の人達に会って延岡弁でしゃべったし、パンフも配ったし、で良い夜であった。

433・スタート

2月1日、研心舘、佐藤先生に以前紹介されたことのある、筆跡診断士、母土真早希(もじ まさき)さんの出版記念パーティーに呼ばれて出席してきた。私の世界とは別世界のことなのだが、興味もあって出席してきた。
 中国に太極拳修行に行っておられる、佐藤先生や坪山先生、五十嵐先生も出席されて同じテーブルでいろいろな会話もはずんだ。佐藤先生は埼玉県越谷市で剛柔流の師範で研心舘を主宰され、60歳を過ぎてから中国の太極拳を学びに留学されているという大変な努力家で私も大いに尊敬をする先生である。

 その件はまたいつか紹介できるだろうが、今日は出版記念と会社創立の記念パーティーである。
空手関係は我々だけなので会場に興味津々であった。
 司会者がニューハーフでいきなり驚かされる、主催者入場では江戸時代からの火消しの木やりで入ってくるのである。その昔、結婚式で見かけたことはあったが久々に木やりを聞いた、伝統文化でいいものである。

 筆跡鑑定士など聞いたこともなかったがフランスなどでは大変に知られている職業なのだそうで、日本でも徐々に浸透してきているそうである。
 会場の隅では筆跡鑑定を行っていたが私達には時間が回らなかった。
終了後、今度出版される「スタート」という本をいただきめくってみると文字から性格がわかるのだという。女性がこのんで見るようだと思いながら私もめくってみたが、なかなか面白いことが書いてあり興味を持って読んだね。
 なるほどねぇ、文字からその人の性格も見えるのか・・・今はパソコンが主流なのだが、それでも文字を付け加えたりするなどどこかに文字は出てくる。
カナリヤ書房から2月10日に出版されるそうで、巻末の紹介本を見るとなるほど女性がターゲットだな、私などがわざわざ買い求めることはないのだが、今回はお土産としてもっらって読んだが、こういう類も面白いものである。
 細君も読んでみたいということを言っている、読み終えたら回そう。
空手家も空手バカだけではしようがない、謙虚に見聞を広めることも大いに勉強である。
そんな感じの一日だった。