487,横浜山手散策

テレビ情報番組で横浜の元町公園内のレストランのデザートがおいしいとレポートされていてまたその背景の緑がいいので行ってみようということで、25日(月)、出かけてみた。
JR石川町駅で降りて元町を抜けて元町公園へ行ってみた。プールや弓道場などもあって、その昔外国船に積み込む水はここから運んでいて、地元の人たちは水屋敷と呼んでいたという。

 お目当てのエリスマン邸へ着いたのはいいが、人がいっぱいで並んでいる、とりあえずあきらめて外国人墓地から港の見える丘公園へ歩いてみた。


 木漏れ日の道路を歩くのも気持ちがいいものだ。昔の私には考えられない日常だがこれはこれでいいものだ。
NHK朝のテレビ小説では、主人公が中華街に住んで外国人墓地脇の坂道を上がってケーキ屋さんに勤める設定になってる。
 平日の昼間というのにこの混みようはマスコミの影響もあるのだろう、私たちもその一人であるが・・。
港の見える丘公園ではバラ園があり盛りを過ぎた感はあるがまだたくさんの花が開いていてスケッチの人がたくさんいて、私にはまねのできることではない。
 横浜ベイブリッジをバックにいつもながら一枚。コクリコ坂の舞台にもなったそうで、その旗の下で収まった。

今回も公園入口にあるKKRポートヒル横浜にてランチを取って一休み。
エリスマン邸ではもうすいているだろうと戻ってみるとまだ人が並んでいる。あきらめて近所を見回すと道路を挟んで「えの木てい」がオープンテラスで開いていてすいていそうである。
 ケーキセットを頼んでしばし談笑。幸せなひとときだねぇ。何度も言うが、ひところの私の生活からは想像もできない、人生何が起こるかわからいということ身を以て知らされているところである。
 そこから坂を下って元町を抜けて石川町駅へ戻り、蒲田へ戻ってきたが、時間にしても半日もかからないで過ごしてこれるのである。
有意義な時間を過ごせてこれだけでも幸せなものだ。
初老の域に入った今、このような過ごし方は理想でもある。
そしてまたこれをリフレッシュとして頑張る気持ちにもなる。
 今日も感謝の一日である。

486、初夏の称名寺


5月11日(月)、初夏の日差しがまばゆい日久々に称名寺へ出かけようということで出かけてきた。先週は横須賀の猿島へ出かけそこからこちらの山を探したのだが見つからず、今日は頂上の八角堂から猿島がはっきりとわかりそれを拡大して写真に収めた。
 アップダウンの山道を歩くのは運動になるねぇ。平日で出会う人もいないのでクウものびのびと走り回っていい運動になっている。
今日はおにぎりを持参して頂上でほおばったがこれがまたおいしい、のどかなお昼、まさにありがたいものである。
 降りて称名寺の池のほとりには菖蒲の花がきれいに咲いており、ベンチでしばらく休んで心を和ませてくれる。
京浜急行で「金沢文庫」駅、「金沢八景駅」と快速が止まるのだが、ここの鐘つき堂は、その金沢八景で、称名寺の晩鐘として有名でもある。
 またここは、テレビドラマで京都のお寺の設定で見たこともあったが、たびたびドラマなどにも出てくるのだという。確かにこの静かなたたずまいなどは、京都のおテレとしてもぴったりの場所であろう。またこちらの橋は太鼓橋にもなってそこを通行することもできる。
 何とも言えない風情である。ほとりのベンチで佇んでいると時々、ポチャッ、ポチャッ、という音が聞こえてくるのでなんだろうと思っていたらなんと甲羅干しをしているカメが飛び込む音だそうである。
 ここで一句、「古池や カメが飛び込む 水の音」? ?すまん、すまん、凡人にはこの程度の出来で芭蕉の俳句をもじるのが関の山、というところである。ご勘弁願いたい。
 角度を変えて言えば、芭蕉師匠もこのような思いだったのかなぁ、と偲ぶところである。
そんなこんなで金沢文庫まで歩いて戻り、地面が熱くなっているのでクウをスリングに入れて駅まで抱えて歩き、どこまで甘えさすのかねぇ。
 帰りは電車の中で膝の上で熟睡なのである。まぁ、おかげで私も運動になっている部分もある。
そんな風にして半日を過ごして有意義な時間となるのである。

485、鎌倉文学館

5月5日(火)、まさに初夏を思わせるこの日、鎌倉文学館へと出かけた。着付けを習っているという姪っ子と、着物を着ての訪問である。
確かにこのような場所には和服がよく似合う。
 ただ、バラの時期には半月ほど早かったようで、まだほとんどの花がつぼみ状態であった。咲き誇ったころにはさぞかし感動するものがあっただろうね。
 ここは、加賀前田の殿様の別荘だったところだそうで、そのころにしては洋風建築でその贅の深さがしのばれる。

また当時の作家たちが鎌倉に住んでいたころの資料がたくさん展示されてあって文学好きな私には?大変興味がそそられるものがあった。
 お昼は長谷駅近くのレストランを予約しておいたのでゆっくりと食べられたが、ゴールデンウィークの鎌倉も人出が大変で、鎌倉には何度も来ているがこんなことは初めてである。
 まず、JR鎌倉駅では乗降口が一方通行で規制され、江ノ電の乗り換え口は閉鎖され、一度出てから行列に並んでからの乗車、それすらも規制があって、一度では乗れなかったのである。
 また鎌倉市内の歩道や道路が狭いので、はみ出して歩いていたり、バスが来たので乗ろうとしたら超満員でこれも断られたり、しまいには長谷駅から鎌倉駅まで歩いてきたね。
 私は大丈夫だが和服姿にはきついものがあっただろう。
昨日の猿島といい、今日も鎌倉といい、休み、特にこのゴールデンウィークは出かけないのが一番だねぇ、とつくづく思いながらもゴールデンウィークでなければ済まされないこともあるからねぇ。
 いやはや、今年はいつにも増してのゴールデンウィークであったような気がする。

484,猿島

ゴールデンウィーク毎年この時期は、高校空手の神奈川県大会が横須賀で行われ、私の元会員も出場するので行っているが今年も、5月4日(月)に行ってきた。
 ところがついた時間が丁度昼休みが始まった時で午後の部は1時間半後に行われるという。実はこの日細君と午後猿島へ行くという予定で来ているので、選手に激励だけして失礼した。
 大会会場裏の公園から猿島行きの渡り船が運行されるので、大勢の人に並んでようやく行けた。
細君の、母君の兄様が戦争中海軍軍人でこの横須賀の海軍学校を出て猿島で生活をして出港して帰らぬ人となったという、以前から一度は来たいと思っていたが、細君の休みが平日で、平日は就航していないということで、今日ようやくの念願がかなったのである。
そういう事情なので空手選手には了承願いたい。
 猿島は無人島だというが、砂浜にはたくさんの人がテントを張って今日一日で何千人の人が訪れたのだろう。とにかく船が250人定員ぐらいの満杯で、ピストン輸送である。
 渡ってみると戦争当時の面影が数多く残っており、おじさんもここで生活をしてここから出て帰らぬ人となった。70年を経てもその当時の様子がうかがい知れる、ここは合掌である。
 このような場所を訪れるたびに、先人の尊い犠牲の上に私たちがこの平和な時代を過ごされるということに改めて感謝の気持ちになるね。
また、 古くは日蓮上人が流れ着いたともいわれその洞窟のところも行ってみたが、歴史の深さが知られるところである。この洞窟の前でいつものように写真を撮ったのだがご覧のようにハーレーションをおこしている。まさか・・・
 そのほか資料を見てみると、テレビマンが「仮面ライダー」の撮影でショッカー軍団の基地があるところとして使用されたそうである。
いきなり、青春時代にタイムスリップして思わず苦笑いである。
 一回りして、三笠公園に戻り、園内のショップで記念品を買い、東郷平八郎大将の銅像と記念撮影。
何回も来ているこの公園だが今年は猿島へ渡ることができて、本当にによかった。

次は細君の母を連れてこなければいけないねぇ。